赤報隊士列伝 黒駒の勝蔵(3) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

三井卯吉には二人の有力な子分がいました。一人は卯吉と同じく関東取締出役の道案内を兼ねていた国分三蔵、そしてもう一人は甲府元紺屋町の行蔵院の修験者上がりの博徒祐天仙之助です。

 

その三井卯吉は、安政四年(1857)に殺害され、以後、国分三蔵が一家を率いるようになります。

 

一方の竹居一家では、安政七年(1860)に親分の甚兵衛が死亡し、安五郎へと代替わりが為され、黒駒の勝蔵が頭角を現す事になります。

 

安五郎の一の子分となっていた勝蔵は、国分三蔵の標的となります。三蔵は、勝蔵を罠にはめて甲州から追放し、その隙に安五郎を葬り去ろうと言う魂胆でした。

 

三蔵一味による襲撃で子分を殺害された勝蔵は、その報復に子分を使って三蔵の手下を殺させますが、何しろ三蔵の後ろには幕府がついています。勝蔵は一方的にお尋ね者にされ、やむなく一旦駿河へと逃亡せざるを得なくなってしまいました。

 

こうして兄甚兵衛に次いで、一の子分の黒駒の勝蔵まで失ってしまった安五郎に三蔵一味の魔の手が忍び寄ります。

 

檜峰神社を訪れ、神主の武藤外記と碁を打った帰り道、安五郎は待ち伏せしていた三蔵の手下によって捕らえられてしまうのでした。文久元年(1861)秋の事であったと言います。

 

そして捕らえられた安五郎は、翌文久二年十月六日に石和代官所の牢内にて獄死します。享年五十一歳。

 

一方、安五郎逮捕の報せを聞いた勝蔵は、再び甲州へと舞い戻り、竹居一家を取りまとめて新たに黒駒一家とし、三蔵一味や清水の次郎長と激しい抗争を繰り広げていく事になります。

 

親分を幕府の手先である国分三蔵によって捕らえられ、死に至らしめた事実は、勝蔵の幕府に対する不信感、敵愾心を決定づけるものでした。

 

その一方で、三蔵一味の一人祐天仙之助は、この頃甲州を抜け出し、江戸にやって来て浪士組に加わる事になります。