島田左近の暗殺(42) 桜田門外の変(一) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

翌安政七年になりましても、本間精一郎は相変わらず京に潜伏しておりました。本間は方々に出歩いては脈がありそうな者なら身分男女の区別なく声をかけたそうでございます。

そうして、話しに乗って来るようなら食事や酒に誘い、気前よくおごってやったそうでございます。

何しろ生来、口が達者で遊びの好きな男でございましたから、そういう事をいたしましても嫌味なところがございません。

そんなワケでございまして、何度か飲み歩いてすっかり意気投合いたしましてから、「君は清河八郎を知っているか」と切り出すのでございます。

無論、ほとんどの者は「誰だそれは」となるワケでございますが、そこからが本間の独壇場でございます。

よいか君、清河八郎君と申すのは、北は庄内酒井藩の出身であって勤王の志すこぶる高く、早くから諸国を廻っておって諸士と親交を結び、天下の英傑というべき人物である。何しろこの本間精一郎はかつて川路聖謨様に仕えておって実に様々な人を見てきている。その僕が言うのだから間違いないと褒めちぎるものですから、大概の者は「出来れば会ってみたいものだ」と言うのでございます。

そこですかさず「君は藤本鉄石さんを知っておるか」と本間が言いますと、藤本鉄石は京においては高名な活動家でございましたから、「ああ、藤本先生ならば存じておる」と相手は言うのでございます。

すると本間は、「その藤本さんが唯一無二の志士だと認めたのが、まさに清河八郎なのだ」と続けるもので、相手はそうか、なるほどあの藤本先生がそこまで認めた人物か、と納得するのでございました。

(これだけ褒め倒してやったんだ。江戸に帰ったら高くつくぜ清河さん)

さて、安政七年も三月に入りました某日、本間は数日ぶりにその藤本鉄石を訪ねました。

すると藤本が深刻な顔をいたしておりまして「おい、本間君聞いたか」と申すのであります。「何をだ」と聞き返しますと藤本は申しました。

「井伊大老が斬られたらしい」