7月19から21までの三日間、青森港に面した「青い海公園」で、今年も「安潟みなとまつり」が開催された。

ビアガーデンや飲食店ブース、縁日、海上自衛隊の護衛艦展示や音楽隊演奏、花火、etc・・・と様々な催しを通じて海と親しむことができる恒例イベントだ。

当然、イベントには音楽も欠かせない。昨日は『太陽のおと vol.1』と題して野外フェスティバルが開かれることになっていた。

出場アーチストの中でも、今年のメーンは何といっても〝ORANGE RANGE〟。

(ORANGE RANGE公式HPより転載)

 

我が家の子供達が昔、盛んに聞いていたので、クソジジイの私でも「上海ハニー」「ロコローション」「以心電信」「花」「イケナイ太陽」などの楽曲は知っている。特に次男は小学生の頃にファンだった。

 

私「オレンジレンジが青森に来るぞ。フェスに行こうぜ」

次男「へぇ、そうなんだ。どうしよっかな」

私「お互いに明日の仕事はちょっと辛くなるかもしれないけど、絶対に今夜は行ったほうがイイ」

次男「じゃあ、行くか」

意見がまとまり、調子に乗った私は長女にも電話した

私「もしもし、俺。今日、オレンジレンジが青森に来るんだけど、行こうぜー」

長女「行ぐー」

この手の誘いを断る長女でないことは私がよーく知っているのだ。

一応、奥さんにも声を掛けてはみたけど、「私はいいや。アンタ行ってきて」。そう言うと思ってた・・・。

因みに、今回は孫2号(長女の息子=高2)も行きたいということで、3世代4人でフェスに乗り込むことになった。

 

会場に着いた頃は、目当てのオレンジレンジの一つ前のバンドが演奏していた頃だった。

ちょうどいいタイミングでの到着だけど、さすがにORANGE RANGEが来青となると、ますます人出が凄いことになるだろうと簡単によそうできた。

今からステージ前に移動することも可能だけれど、何か事故があってはマズイと思い、ステージが見えるギリギリまで後ほど移動することにした。

 

日が暮れ始めたものの、一向に暑さは和らぐ様子がない。むしろ、ORANGE RANGEの登場を待ちわびる人たちの熱気でヒートアップする一方のように感じた。

そして、遂にORANGE RANGE登場‼

我々もステージが見渡せる場所に移動した。

公園に重低音が響き渡ると、会場が一気に盛り上がった。観客のボルテージが上がりまくり、もう爆発寸前だ。

「上海ハニー」「ロコローション」「以心電信」「花」「イケナイ太陽」・・・。

惜しげもなく彼らのヒット曲が続く。これでもかというくらいノリノリの曲が続くからには、会場に詰めかけた我々も盛り上がらないはずがない。

長女も次男も孫1号も、そして64歳のクソジジイも一緒に盛り上がれるのは、ORANGE RANGEの楽曲の凄さ。

 

明日からの仕事のことも考えずに盛り上がり、やがて私の初フェスは幕を閉じた。襲ってきたのは脱力感と無気力感、そして充実感。

ORANGE RANGEのパフォーマンスは無論、素晴らしかったけれど、子供達や孫とフェスを一緒に楽しむことができ、今夏最大の思い出を作ってしまったような気がしている文月の日曜日ギター

我が家から比較的近い所に大型ディスカウントショップができてから3か月ちょっとが経過した。

オープン当初は、社内でも挨拶代わりのように「もう行った?」「何か買ってみた?」という声が多く、物凄く混んでいるという噂ばかりが聞こえてきた。

それでも、1か月経ち、2か月経つと混雑も収まったようなので、物珍しさもあり、奥さんと先日、恐る恐る行ってきた。

青森市内では2店舗目のドン・〇ホーテだけれど、店名に〝MEGA”が付いているだけに、売り場面積も広く、品揃えも実に豊富だ。正直、何処に何が売っているのか分からない。

というよりも、売っている物が豊富過ぎて、何が欲しかったのか、何を買いに来たのかを忘れるほどだ。

そして、至る所で見かける〝ド“のポップ用紙。

今度来るときは、興味本位ではなく、何か目的があった時に来よっ・・・。

ただただ圧倒されて、店舗の外に出たらホッとした文月の土曜日びっくり

 今日は朝から岩木山の麓に出掛けた。

 県庁を退職したOB職員から「今年も清掃ボランティアをするから、お前も来い」という連絡をいただいたので、今年もノコノコと出掛けて行った。

 清掃ボランティア活動を行う場所は、49年前に甚大な土石流災害が発生した場所で、今は砂防公園となっている場所。49年の痛ましい土石流災害をの記憶を忘れることなく、砂防施設の整備の重要性を現役世代に伝承しようと現役職員と一緒になって砂防公園を毎年清掃しているのだ。

 県庁を退職したOB職員たちには現役時代からお世話になっていたこともあり、行事やイベントのたびに私を誘ってくれる。ただし、お断りしておくが、私は県職員でもなけれど、公共工事に携わっている関係者でもない。

 まっ、類は友を呼ぶとでもいうのか、私が重宝がられているせいなのか、それともジジイ仲間として認められているからなのか、県庁職員でもない私だけれどご縁が続いている。

 あまりの蒸し暑さのため、2~3度立ち眩みはあったものの、どうにか無事に作業も完了した。

 手伝いに来ていた現役の県職員も交えて「はい、ポーズ」。

 手よりも口ばかり動いていた私だけれど、これからも永く関わっていくのだろうなぁと考えている文月の暑かった金曜日富士山

とある団体から突然連絡が来た。

相手「■■の▲▲です。18日に●●高校で出前講座をやるから。来られるよね?」

私「ははは・・・、せっかくのお声掛けですから参ります」

今日も朝早くに家を出て●●高校に行く羽目になった。

 

今日行く高校は下北半島にある工業高校。

本州最北端の下北だけど、この日の下北は30℃に達しようかというほど暑い一日だった。

 

さて、私に電話をくれた団体とは測量会社で構成する団体で、高校生に最新の測量機器を操作してもらうことによって、測量業務に興味を持ってもらおうというねらいで出前講座を開催したもの。要は将来の人材獲得が目的だ。

因みに、私は測量会社に勤めているわけでもなければ、その団体の職員でもないのだけれど、外野の盛り上げ役として今回も声が掛かった・・・。

 

出前講座を受講するのは設備・エネルギー科の2年生。いろんな専攻科があるものだ・・・。女の子も数人いました。

若い人はドローンの操縦を覚えるのもあっという間だった。羨ましい。その腕前を卒業後も測量会社で発揮してくれたら万々歳といったところだ。

この日は座学も行われた。私にはチンプンカンプンだけれど、生徒さんは飲み込みも早いようです。

無事に出前講座が終わり、生徒の一人に感想を聞いてみた。

生徒「卒業後の進路はまだ決まっていませんが、今回は将来の進路選択の参考になりました」

今の若い人はシッカリしてるなぁ・・・。私が高校生だった頃とは全く違うわ・・・。

けれど、若い人を見ていて少し光明を見たような気がした文月の木曜日照れ

 

今日は叔父さんの葬儀だった。

家族で執り行ったため、参列したのは身内11人だけ。

皆、津軽地方に住んでいるのだけれど、久しぶりに再会する身内もいるため、近況報告も兼ねてこの機会に会えるのは悪いことではない。

それにしても、今日も暑い一日だった。

そして、火葬場の周囲で蝉が盛んに鳴いていることに気が付いた。

どうせなら、天国にも届くほど蝉に鳴いてくれてもいいと思った文月の暑かった17日あじさい

とっくに夏至は過ぎたのに、仕事終わりにまだ明るいのは夏のご褒美だ。

仕事終わりにこんな夕日をみられるのも今年限りだと思うと、少し感傷的になりそうな、そんな夕方だ。

それにしても今日の夕日は、雲の具合も相まって妖しい色だった。

明日は、先日急逝した叔父さんの葬式が待っている。

天国で親しい人達と一緒に夕日を眺めていればいいなぁと思いながら帰宅した文月の夕方新月

『海の日』を含む3連休も今日が最終日。いよいよ明日からはブルーな出勤日だというのに、ゆっくりと過ごせなかった3連休だった。

今日こそはゆっくりしよう、今日だけはどこにも出掛けないと心に決めていたけれど、再び伸び始めた雑草が気になり、朝方に庭の雑草取りをした。

雑草が少なくなったと思ったら、愛車の汚れが気になった。

汚れを気にしなければよいものを、気にしてしまったおかげで愛車の洗車を行うことにした。

そして、あっという間にお昼時を迎えた。

昼食を摂り、「たまには昼寝でもしよっ」と思っていたら、奥さんが「ホームセンターに連れていけ」と言い出した。

ブツブツ言ったところで何も解決しないので、奥さんを伴ってホームセンターに出掛けた。

ホームセンターには、この時期の青森特有の売り場が設けられていた。

浴衣や花笠、鈴、襷など・・・、ねぶたグッズだ。

スーパーやホームセンターにねぶたグッズコーナーが設けられると、「いよい近づいてきたな・・・、ねぶた祭」と青森市民の誰もが感じる瞬間だ。ねぶたグッズを見ただけど、「もうすぐ、ねぶた祭だぞー。心の準備はできているかー」とせかされている気がする・・・。

ホームセンターから帰宅した後も、ソワソワが止まらず、昼寝どころではなくなっていた文月の連休最終日わんわん

 奥さんが「出掛けたい」というので、行き先を決めずに出掛けることになった。

 高速道路を南下し、青森と秋田の県境付近にある『道の駅いかりがせき』(青森県平川市)に行ってみた。リニューアルしたとは聞いていたけれど、以前よりも施設が充実しているような気がした。

 当然、県境まで来たのだから越境して秋田県に足を伸ばすことにした。

 次男が秋田市で暮らしていた頃は毎週のように通ったお陰でナビが不要なくらい秋田市以北の道路には詳しくなったけれど、ここ1、2年は年に1~2回程度しか行っていない。秋田県内の道を走行するのは久しぶりだった。

 トイレ休憩も兼ねて、『道の駅ふたつい』(秋田県男鹿市)に立ち寄った。次男が秋田市で暮らしていた頃に、必ず立ち寄っていた「道の駅」だった。

 館内を巡っていたら、奥さんが「ソフトクリームを買う」と言い出し、勝手に2個買ってきた。

 男鹿の塩を使っているという『塩ソフトクリーム』だった。

 すぐに目の奥がキーンとする私は、あまり冷たいものが得意ではないのだけれど、この塩ソフトクリームは全くそんなこともなく、甘さもほどほどで私の味覚にフィットした。奥さんにしては、珍しいタイムリーヒットだった。

 更に南下して、今度は『道の駅てんのう』(秋田県潟上市)に行ってみた。この「道の駅」も私たちにとっては昔から馴染みの場所だ。ここで小腹を満たすのも久しぶり。何だか懐かしい。

 少しお腹も満たされたので、さらに秋田県内を巡ろうと思ったら、奥さんが「ひょっとして、また『道の駅』?」と聞いてきた。

 明らかに「『道の駅』は、もうお腹いっぱいなんだけど・・・」と言っているようなものだと察したので、私「いや違う。多分、あんたが行きたい場所」

 本当は私が一番行きたかったのは『道の駅おおがた』(秋田県大潟村)だったのだけれど、そのことは言わずにさらに南下して秋田市内まで走行した。

 そして、奥さんが一番行きたいであろう場所に到着した。イ〇ンモール秋田・・・。

 奥さんは満面の笑みを称えていた。

 40年も一緒にいると、相方の大好物は理解しているつもりの文月の日曜日車

急逝した叔父さんの納棺に行ってきた。

生前の頃に比べると、叔父さんは細く、小さい姿に変わり果てていた。

それでも、手のひらだけは生前の頃と同様に大きな手のひらだった。

まさに、働き者の手のひらだと実感した。

そして、我々のてによって叔父さんは棺の中の人になった。

あの働き者だった叔父さんのようにはなれないけれど、遺志だけは忘れないよう、大きな手のひらを思い出そうと思った文月の土曜日あじさい

明日から3連休だー、と密かに喜んでいたら、「◇◇叔父さんが亡くなった」という電話があった。

たぶん、この3連休は納棺、火葬、お通夜、葬式など一連の流れが待っている。

まっ、お世話になった叔父さんだし、連休が潰れてしまおうと、仕事を休むことになろうと、冥福を祈りつつ、きっちりと送ろうと思う。

問題は、サイズが合わなくなった礼服をどうやって着るかということだ。

今から痩せることも体重を落とすこともできないし、なんとかして礼服に身体を押し込めたいと思っている文月の連休前ガーン