私と主人は16歳の時に知り合い、8年の恋愛期間を経て結婚、9年後に子供が生まれて以後23年、数えてみればもう40年も主人と共に過ごしてきました(年がばれるかな?) 仕事も自由業で、いつも一緒、思えば片時も離れた事がありません。 主婦の仕事って、結構めんどうですよね、私とて主婦の端くれ100年の恋でも、時には主人がうっとおしいと思う事はもちろん大有り! 今回、息子がプロボーラーの試験の為、日本へ行っているのですが、1次試験にパスしたので、親バカの主人はいそいそと2次試験の応援に日本へ行ってしまいました。本当は私も一緒に行きたかったのですが、自由業とは言え、自由にはならない身のつらさ、このイギリスにひとり取り残されてしまったのです。

まあ、世間様は亭主は達者で留守がいいなんて良く言うじゃないですか、ひとりでのんびり2週間の休日、お腹がすいたら適当にパンをかじり、カップラーメンを食べ、2~3日掃除をサボったってだれが文句言うわけじゃないし、手に入れた日本のビデオを見て、お茶を入れて読みたかった本を優雅に読んで、、、、、、

あ~ん、さみし~い!! ひとりぼっちってこんなにつまらないものだったんだ! 今日は土曜日、朝から何にもやる事がなくて、出かけるのもおっくうだし、ひとりで食事に出るのもつまらないし、ビデオもみんな見ちゃったし、明日は日曜日どうしよう。あと1週間ひとりぼっち、退屈で~す。日本で、主人と息子毎日楽しくすごしてる様子、くやしいじゃないですか、子育ての最中は大変だ大変だと言いながら結構楽しかったんだってつくづく思ってしまいました。子育て真っ最中のみなさんが今は本当にうらやましい限りです。

ところで、2次試験の初日の成績は47名中14位。もちろんアベレージ202で合格基準です。2次試験は全部で4日間、28日と29日は大阪であるんです。主人とふたり大阪でたこ焼き食べるんだろうな~!くやしい! http://www.jpba.or.jp/ プロボーリング協会のサイトです。 応援してやってくださいね、

また明日。

 イギリスにはあまりファミリーレストランがありません。でも最近は大人だけ相手にしていたのでは商売にならないらしく、パブが模様替えをしてファミリーレストラン風になって来ています。そうは言っても今までは14歳以下の子供は出入り禁止だった名残りか、まだ静かな、大人の雰囲気を保っているような気がします。 昨日、久しぶりにピザハットに行きました。なんとそこは日本のファミリーレストランの様(ごめんなさい最近は違うのかな?) テーブルの周りを子供たちが駈けずりまわり、母親たちはおしゃべりに夢中で、周りの迷惑なんて、まったくおかまいなし、久しぶりに親のしつけの悪さに腹が立ってきました。私の子供嫌いのルーツです。イギリスはこんな国ではなかったはずですが、時代とともにいろいろ変わってくるのですね、

責任感ゼロ。イギリス人(イギリス人に限ったことではないようですが、)はまったく責任感のない国民です。この国に14年住み着いて嫌というほど感じています。「私のせいじゃない」が口癖の国民性

我が子にはそんな大人になってほしくないものです。

責任感を育てるには、まず、人のせいにしないこと。 ころんだら「こんなところに誰がおもちゃ置いたの!」

ではなく、「よく見て歩こうね、」 机に頭をぶつけたら「悪い机さんですね、め!」ではなく「痛かったね、気をつけようね、」騒いだら「静かにしなさい! おばちゃんがにらんでるよ」ではなく「あなたが騒ぐから、うるさいなって、みんな迷惑しているんだよ、今は静かにしようね、」 事の起こりは全部自分から発している事を教えてあげましょう、日本で子供をどんな子にしたいかと聞くと半数以上が人に迷惑をかけない子と答えるらしいですね。でも迷惑って人によって感じ方が違うって思うんです。 子供嫌いの人は子供の相手をさせられるのは迷惑といい、子供好きな人は楽しいと言う。責任感のある子は人に迷惑をかける事はありません

もっとも、自慢のわが息子はイギリスで育てた為か「僕のせいじゃない」とよくのたまわる、困ったものです。

また明日。


ご無沙汰していました。

ずーっと更新していなかったのに、今日、私のプログに読者が付きましたのコメントがありました。久々にブログを開いたら、まだ読者さんがたくさん待っていてくださったんですね、ありがとう、本当にありがとうございました。 去年の夏からいろいろあって本当に苦境に立たされた年でした。でも、家族の支えで、持ちこたえました。私は子供嫌いだったのに、今、息子はとても力強く、本当に心の支えになってくれました。生んで良かった、育ててよかったって、つくづく思いました。


息子は今、夢に向かってまっしぐら、ボーリングのプロ試験のために単身日本へ行きました。

第1次試験、みごとに合格でーす。!

自分のやりたい事を見つけて、夢に向かっていく息子が私にはまぶしいです。若いっていいナ


プロ試験の結果です。興味があったら見てやってください。

http://www.jpba.or.jp/

受験番号85番で、成績は20位につけています。

名前は吉田樹弐亜(よしだじゅにあ)です。


3月の22日から第2次試験が始まります。頑張ってほしいな、フレーフレーじゅにあ!!




つい先日のこと、我が家にありんこ部隊出現、テーブルの上に砂糖でも落ちていたのでしょうか、2~3匹発見、あらあら!冬のために備えて働きアリさんも大変、なんて思いながら手ですくって庭に出しました。ところが大変、ありんこが部隊を編成してやってきたのです。始めのうちは主人も息子も、テーブルを何度も拭いたり、キッチンをこまめに拭いたりと努力をしたのですが、一向に治まりません。ありんこを一匹一匹を追って行くと行儀良く列をなして一本道を登ってくるではありませんか、とうとう入り口を発見しました。

ありんこと言えば、 息子が3~4才の頃でしたか? いつもは誰とでも仲良く遊んでいるのですが、ひとりの子とは遊ぼうとしないのです。何故だろうと思い聞いてみると「アリさんをみんな踏んじゃうから」「どうしてやめようって言わないの?」「ダメって言ってもやめないから、アリさん可哀想」 なるほど、こんな小さな子でも自分で友達を選ぶ事できるんだなあと妙に感心してしまいました。息子の選択は正しい?「類は類を呼ぶ」、親の出る幕ではないかなと、その時、私は何も言わずにいました。自分の目を信じて友人を選んでいくって大切な事ですよね、虫の話になると色々な思い出が沢山あるのですが、また何かの機会にお話しますね、思い出すだけで身の毛もよだつゴキブリ館の話なんかは皆さんは聞きたくもない話のひとつだと思いますので、永久ボツかな? ところで、我が家のありんこ部隊の話に戻ります。ありんこもなかなか可愛いものですがそうも言っていられません、みんなでガーデンセンターへ殺虫剤を探しに行きました。あるはあるは、でも、みんな殺してしまうのばかりなのです。何軒か回ったところに虫を寄せ付けないと言う薬を見つけて、購入しました。これでダメなら仕方がないので、殺してしまうしかないかと思っていたのですが、見事な効き目でした。蟻の入り口のあたりにスプレーしただけで蟻はみんなきびすを返して戻って行きました。

めでたしめでたし、の巻き。 また明日 

最近、ちょこちょことオムツの話を聞くので、今日はオムツの話を書いてみようかななんて思います。

布おむつが良いか紙おむつが良いかなんて色々な意見があるようですが、私は絶対、紙おむつ派です。

息子が生まれた当時、20年一昔の頃は紙おむつも出はじめで、外国製のパンパースしかありませんでした。とても高くて、毎日なんてとても使えません。少しづつ日本製のものも出始めましたが、脇からおしっこがもれたりで満足なものではありませんでした。だからほとんど布オムツ。 貸しオムツなんて商売もあったんですよ、 ムレるので、おしりは赤くなる、あせもは出来る。 頻繁に変えてあげなければ、汚れていても平気な子になると母に言われて、親のかたきみたいにおむつ換えをしていました。夜鳴きも多く、夜中に2回も3回も起こされてオムツ換えに追われていたのです。(これでは育児ノイローゼにならない方がおかしい)

で、考えたんです。 なんで泣くんだろう、なんでだろう、結論「そーだ、気持ちが悪いから泣くんだ」

簡単な事でした。気持ち悪いですよね、もしパンツがビショビショだったら私だって嫌ですもの、翌日、早速紙おむつを買い込んで、夜中だけ紙おむつに変えました(高いからね)そうしたらどうでしょう、夜鳴きはピタリとやんで、朝までぐっすり! 私もぐっすり寝る事が出来ました。 義母は大反対、オムツが取れるのが遅くなるだの、肌に悪いだの、いかに悪いかを並べたてて、新しい布オムツを買ってきたりして、何とか紙おむつを使うのを阻止しようとしたのですが、私は紙おむつ派へと変わって行きました。赤ちゃんが気持ち良く過ごせ、私も余計な事に惑わされないで息子と向き合える。おむつごときに神経を使う必要があるのでしょうか?もっと大切な事があると思いました。紙おむつだとオムツの取れるのが遅いなんて嘘。時期がくればすぐに取れます。 息子は2歳くらいの頃、おしっこが出るとやってきて「おかあさんチッチが出た、オムツ取り替えて」と自分で言うようになって、トレーニングパンツに替えました。 その日から一切オムツは付けずにオネショ対策に突入です。 布オムツか紙おむつ、良い点、悪い点は両方ともあると思います。でも、自分の意見ではなく赤ちゃんの気持ちになってどちらにするか、決めてあげてほしいなと思います。だって赤ちゃんは自分の意見は言えないんですもの、 でも、ホンネを言えば、紙おむつ楽だもんね!!(グータラママの典型?) また明日

私のコンピューター音痴もひどいもので、いつも息子に教えてもらうのですが、いなくなるともう判らなくなってしまいます。このプログを始めてから写真も入れたいなー!とか、アフリエイトなんかもしてお小遣い稼ぎもしたいなー、なんて思いながらもう全然ダメで、悲しくなってしまいます。

息子はと言えば、どこで覚えたのかハードもソフトもプロ並で、自分でコンピューターを作ってしまうほどなのですが、あまりの私のコンピューター音痴にとうとう切れて、喧嘩をしてしまいました。

どちらかといえば私の負けで息子の言っている事は正しいのですが、主人まで加わって私の非をなじるので、私も意地になり、夕食も作らずフテ寝。反省反省!

なにやらふたりでゴソゴソとキッチンで夕食を作っておりました。(私の分も作ってくれましたが)

私はソファーでフテ寝のまま、いつの間にか本当に眠ってしまいました。(母は疲れているのです。)

ふっと気がつくと、息子がそっと毛布を掛けてくれているところでした。そして電気を消し寝室へと出ていきました。大人になったな~なんて、しんみり、

なんかすご~く反省してしまいました。

でも意地っ張りの私は謝れなかったのです。

また明日


 


昔、息子が3歳位の時、寝静まったのを良いことに、主人とふたりで散歩に行きました。

団地から下界へ出るのに赤になったままの歩行者信号が立ちはだかっています。昼もあまり交通量は多くなく、まして夜の11時となれば、車の陰すらありません。反対側に60歳くらいのおじさん(おじいさん?)が押しボタンを押して青になるのを待っていました。当然私達は信号無視、車も来ないのに待っていられません。 ところが、道路を渡るやいなや、そのおじさんに怒鳴られたのです「信号も守れないのか!!」ですって「信号がなきゃ道路も渡れないのか!」とは主人、お~怖い(男の人って怖いね)

でも、待てよ、信号機ってなんであるのかな? 信号を守るため? いやいや道路を安全に渡るためでしょう。車も来ないのに信号機が青になるのを待つ必要があるのかな? 「手をあげて横断歩道をわたろうよ」

確かにそうかも知れません、でも手をあげれば良いってものじゃない、信号が青なら絶対安全とは限らない、私は息子に道路を渡るときは車が来ないのを良く確かめて渡る、信号が青でも車が止まってから渡る、を徹底して教えました、信号を守れとは教えませんでした。イギリスでは信号を守る人(歩行者)は皆無です。おまわりさんでさえ信号無視です。信号は車がいっぱいで渡れない時、利用する考えのようです。みんなとても注意深く、道路の飛び出しなんてまったくありませんから、歩行者と車の接触事故なんてほとんどありません、運転も楽ですよ。 去年、日本に帰国したときたったの1週間運転しただけなのに、子供は飛び出す、おばあさんは飛び出す。原チャリは飛び出すで、何度も怖い思いさせられました。かわいいお子さんに信号機を守ることばかりうるさく言っていませんか?なぜ、信号を守るのかきちんと教えてあげてくださいね、また明日

 


ジュニアが産まれて一週間後、すぐ主人の実家にお世話になりました。

結婚9年目の出産だったので、いまさら実家に世話になる気にもならず、かといって、ひとりでは心細いし、そんなこんなで、お姑さんにお世話になったのです。 お姑さんは、ねずみ年そのままで、それはそれは良く気のつく人で、(はっきり言ってうっとおしいのがホンネ)何から何まできっちりしないと気のすまない人でした。暑がりの私はいつも夜中布団をはいでしまうのですが、3日目の晩なにやら足音がしてスーッと襖の戸が開くではありませんか、きっとまたお義母さんだと思ってたぬき寝入りをしていると毛布を私にかけて出て行きました。翌朝、お義母にお礼を言うと「そんなことしていないよ」え~!え~!だって誰もそんなおせっかいはいないはず、お義父さんも知らない、もちろん主人も知らない、「夢かな?」

病院で出産なんて今は当たり前ですが、私達が生まれた頃はみんなお産婆さんに手伝ってもらって、自宅で産んだんだそうです。ちょうど主人が生まれる時のこと、お義母さんの母親、つまり、主人のおばあちゃんが、出産を手伝うために福島から上京する支度をしている最中、脳溢血で亡くなりました。お義母さんは出産のため葬式にも出られず、箪笥の上に写真を飾り、手を合わせていたようです。私が寝泊りしていた部屋は主人が産まれた部屋だそうです。「孫の顔を見られなかったからおばあちゃんがひ孫の顔、見に来たのかな」これが私の結論。私も主人も33歳、そしておばあちゃんの33回忌、ジュニアの産まれた時の体重が3.3キロだったんです。偶然なのか、何かあるのか不思議ですが、でも、怖いお化けじゃなかった。毛布をかけてくれたやさしいおばあちゃん幽霊で、うれしかった話でした。

子供を産むのはひとりでたくさん! でも、もう2~3人くらい育ててもいいかな?

だって、本当に楽しかったのです。育児がこんなに楽しい事だったなんて知りませんでした。

私、若い頃、子供が大嫌いでした。うるさいし、言う事聞かないし、そばに来るだけで電車の車両を変わるくらい嫌いでした。当然結婚しても産む気はさらさらなかったのですが、30才の声を聞いた頃ある人に言われました。「いくら生意気なこと言ったって、子供を育ててみなければ、一人前とは言えない、子供を育てるという事は自分自身を育てる事だ」そう、ショックでした。自分でビジネスを起こし、順調な毎日でした。何もかも思い通りになっていたその頃の私は少し天狗になっていたのかも知れません。結婚9年目にして、年貢の納め時とばかり子供を産んだのです。でも、今は本当に産んで良かったと思っています。(ひとりでたくさんだけどね、)毎日毎日が楽しくて、子供の成長とともに自分も成長できたかな?もう産みたくない(産みたくても年だから無理?)けど、もし体力があればもう一度育ててみてもいいな、子供は本当に素直でかわいい生き物です。私もいっぱい教えられたし、とってもステキな時間をたくさんわけてもらいました。こんなに幸せな時間をいっぱい過ごせた事、子供に感謝したいくらい。これからだって子供の成長ぶりをずーとみていられるなんて最高の贅沢です。そろそろ子離れしなければネ、また明日

うちの息子もとうとう大学を卒業。

四角い帽子とガウンを羽織ってとても立派でした。(貸衣装ですが、)家族写真をとって、たくさんスナップも撮りました。 講堂での先生や来賓の方々のスピーチは日本のそれと大した変わりはありませんが、大学がウエールズなので、普段は使用していないウエールズ語と英語の混ざったスピーチでただでさえ解からないのにしっかり船を漕いでしまいました。式はとても厳粛で、常にハープとパイプオルガンの演奏で盛り上げていました。これから息子は自分で決めた自分の夢に真っ直ぐ向かっていくことでしょう、もう大人です。私の手から巣立って行きます。 親の庇護から離れてこれから苦しいことも沢山あることでしょう、乗り越えて行かなければならない事も沢山あるはず、でも私は心配しません。 私は自信を持って送り出せます。彼は人間として本当にすばらしい人に成長してくれました。 本当に大切に思える人が現れないなら結婚なんかしなくてもいい、自分の生き方に自信を持って生きてほしい、私は一生彼の応援団、でもひとつだけ約束。絶対に親より先に死なないこと。

そう、私も卒業です。子育て卒業、そんな思いで少し涙が出ました。

また明日