相変わらずいろいろすごいな山形は。
山形での禁句に「マット県」というものがある。
そういえば大学でもありましたよね、アカデミック・ハラスメントという名のいじめ。と自殺。
なんというか、ここまで来ると …お国柄? (;^_^A
でも、いじめによる学童の自殺が最初に問題になってTVで取り上げられた事件って、じつは私の故郷、福島県いわき市で起きたこの事件だったんですよね。
このとき、TVのインタビューを受けた校長は、いじめが起きた原因についてとんでもないことを言っています、すなわち、
「いじめられていた側の学童には軽度の知的障害があったのでいじめれても仕方なかったかも知れない」
これをたまたまTVで見ていた当時まだ現役高校教諭だった私の父が、えらい剣幕で怒り出し「これは絶対に駄目だ。こんなやつを校長にしておいちゃ絶対にダメだ!」と言っていたのを思い出します。ふだん人前で怒気を発することのない穏やかな人だったので家族一同びっくりしたものですわ。
たしか、ひろゆきが、イジメはなくなるもんじゃない、だってそれが自然の営みだから。的なことを言っていた気がしますが、たしかにその通りで、そうであればこそ、自らと自然とを線引する意志を持つ人間は、イジメに対してそれは良くないと意志を示すべきでしょうね。
そのときに拠り所になるのは人格の優れた教師やTVやSNSで知ったふうなことを言う識者などではなく、厳格な「法」だけだと思いますよ。人を傷つけるものも、殺してしまうものも、またそうなることを知っていて学童の安全を保護するべき義務を怠った者も、等しく法で裁かねばなりません。
イジメは自然なもので無くなるもんじゃない → だからこそ「法」による縛りが必要。
こういうのが正しい意味での性悪説であり法治主義。
ちゃんちゃらおかしい人生哲学や博愛主義なんぞでどうにかなるほど人間は善良じゃないと思いますわ。
そこに気づかない限り日本的な奥ゆかしいNah-Nah,Mah-Mahの文化がこの国を亡ぼすと思いますね。
【追記】
両親によると、当時の校長は3日後の全校集会で「この生徒は天寿を全うした」などと発言したといい、「17年しか生きていないのに『天寿』って?」と言葉を失った。
ね?(´・ω・`)
これも福島県だけど、このぐらいパースケでも学校長ぐらいになれたりするもんなんですよ。
これを校長たる者は学校と生徒のためにかく在らねばならない。なんて教育を施したりマニュアルを作ったりしてもムダだと思いますね。むしろ責任ある立場にいながらきちんと仕事せずにこういう事態に陥った場合には無慈悲に法の鉄槌が下ることを周知させたほうがよい。
そのほうがたとえ保身のためであっても本気になって働くでしょ。自発的に己を律し鍛え上げてやるべき仕事をこなせる人間なんて本の一握りで、人にケツ蹴られないと何もできないような人間に満ちあふれているのがこの世界だと私は思っています。もちろん法でがんじがらめにしても逆効果でしか無いとは思うけれど、必要なところに縛りがないというのはまずいことだと思いますね。