`;:゙`;:゙;`ゞ(≧ε≦ )ブッ ← 笑ぅてはいかん。
毎度こういうの好きだねえあの教団は。私から見ると信者を小パカにしているようにしか思えないけれど、本気で感動する人もいるんだろうな。
しかしまぁ私の宿敵でもある自称秘密結社八咫烏やってる拝み屋連中なんか見てると、世界の悪と戦ってあげてます、みたいなふざけたことばかり言ってるし、重い使命とか、悪と戦うとか、そういう話が好きな人というのはいるのかも知れないな。
それにしてもこういう連中って、どんだけ科学を嫌うんだろう。彼らは必ず科学者に「目に見えないものは存在しない」と言わせたがるけれど、科学者の追っているものはたいがい目に見えたりしないものですよね。たとえば誰でもその存在を常識として知っている分子にしても目に見えるわけでもなければ手で触れられるものでもない。コップに指突っ込んで、いま指先に水の分子を感じましたなんて人がいたら明らかに頭オカシイ話であって、ダメだこの人と誰もが思うんじゃないでしょうか。イヤ水はじっさいに触れられるじゃないかという人がいるかも知れませんが、それは水であって水分子に触れているわけではないですよね。そもそも水分子なら最初から自分の指先にある。そういう、人間が五感で認識できないものを科学は扱っているんですよ。そういうものに比べれば、鬼が見えましただの神と会いましただのというのは、見えない世界どころか意識の表層、人の五感の内にしかない、いわば見え見えの俗な世界の話でしか無いと断言できると思いますね。
以下過去記事から。
ところが呪う側はほんのわずかでも心の中にそういうものを信じて恐れているから相手に呪いをかけようとするわけで、そのいやらしい手を逆にひねって、相手の怖れを利用してやれば、簡単につぶすことは出来るんですよね。
呪詛をかけた側にこちらがシレっと呪詛返しをできるふうにほのめかしておくだけで、呪詛を放った(つもりの)相手は自身の憎しみのぶんだけ自身をじわじわ削ってくれます。こちらが日々楽しく美味いもの食って暮らしている間に、彼らにとっては箸が転んでも怯える毎日。
私は血の滲むような修行を積んで神通力を得たと豪語する聖(ひじり)の記した霊験あらたかなオフダでウンコふきふきして下水に流せるタイプの人間ですので、呪いなんて効きませんね。
呪いたきゃ勝手に呪っていればいいと思っています。
眉間に皺寄せてウンコ気張りしながら呪う姿を想像して笑ってあげますよ。
ぶゎっはっは (≧▽≦) 大洗海岸っ
そしてメシうまー♪