武術において人柄と強さいずれが大事か。

 

というような話をチラと見たりしたのですが、これ、人柄ってところを考え始めると、割と難しい話かも知れませんよ。強くなれば強くなったぶん弱きものへの慈悲が生まれ人柄が形成されるかといえばそんなことはないわけで。

 

学校の武道教育必修化に際しては、その建前に「人格形成」というのがあったわけですが、いろんな分野の多くの武術家が反対していたのは、単に技術を習得すれば人を害する道にしかならない武術において人格者になれる者のほうが少ないのを見てきたからですよ。

 

体育会系出身はマジ使えネー。というのは世の常識ですが、私が見る限り特に武道系においては人格形成どころか人格破綻しているやつのほうが多かったりします。

 

たとえばヤクザにとっては組長は立派な人柄に見えるのかも知れません。

たとえば珍走団なら構成員にとってはヘッドは立派な人柄に見えるのかも知れません。

どっちも普通の社会では知れたものですが、その世界では評価されるには違いない。

 

けっきょく、どういう集団に属するか、評価する側がなにを基準にするかでだいぶ違って来るんじゃないでしょうか。誰が誰を指して「あの人は立派な人柄」と言ったとしても、眉につばをつけて見る必要があるかと思います。

 

(福島県の某田舎においては、ずるい人間を「あの人は頭がいい」と称賛します。)
 

だから武人は居心地のいい楽しい仲間内にとどまることなく、好奇心旺盛にルンルンルン♪と広い世界を巡って、多くの知見に触れ、己の小ささ、世の広さを知るべきかと。

 

武芸の世界でも超一流になれるような人たちというのは、他の分野で生きても超一流になれたであろう知性と素養がある人だと思います。だから多くの人たちに愛されるし、尊敬もされる。そういう人を「あの人は人柄が」というのであれば、わからんでもありません。

 

ちなみに誤解なきよう言っておくと、私は人格者からはほど遠いロクデナシです。剣術屋は棒さえ持たせなきゃ余裕で勝てるなどと言うやつがいれば、俺は炭鉱町の育ちでよ、こっちのほうが得意なんだよっ。と、いきなりぶちのめすようなクズですわ。

 

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なおこういうことを書いたりすると古式は実戦ではどうなんだ。俺と立ち会え、とか言い出すヒマ人がいたりするもんですが、私と立ち会うといつの間にか大人数に囲まれていたり、顔に濃硫酸浴びせられたりしますよ。実戦ってそういうもんでしょ。

https://ameblo.jp/mata-3/entry-12599899873.html

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私はクズで、笹森氏のような立派な先生とは違う。

 

信仰と武道融合「真剣」貫く 「小野派一刀流」第17代宗家・牧師 笹森建美氏

https://www.sankei.com/life/news/170826/lif1708260037-n1.html

 

でも、こんな私でも、ときどき自分を呼び戻すような何かを感じることはあるんですよね。

はるか遠くから呼びかけるそれがなんなのか、いまだによくわかりませんが。

私は、たぶんそのささやきを聞き取れるほどには至っていない気がします。