日が暮れ始めた夕方5時頃、ティンは我々を迎えにやってきた。彼に改めて先程の件を謝罪するが彼は笑顔で気にするなと言う。こう言ったことはよくあるのだろうか。私はあの運転手の鮮やかな一連の動きを思い出し、思わず笑ってしまった。


ホイアンは我々の宿から40分ほど南に降ったところにある。ティンが運転する車に乗っていて思うのだが、彼はとにかく運転が荒い。ベトナムでは誰もがやたらクラクションを鳴らすのだが、ティンは人一倍クラクションを鳴らす。そこまではいいのだが、彼は道路の中央線を跨ぎ、車の間を縫って進んでゆくのだ。そのせいで我々は何度も肝を冷やしたことか。面白いのがこれでいて、ティンは決して乱暴者ではないと言うことだ。見た目も若々しく好青年といったく感じの彼はいつも優し表情を浮かべ、丁寧に接してくれていた。しかし運転に関しては、運転が雑なベトナム人の中でも際立っている。クラクションをリズミカルに鳴らしながら中央線の上を高速で走行する彼の表情はいつも穏やかだった。



辺りが暗くなったころ我々はホイアンに到着した。帰りもティンが送ってくれるらしい。彼が10時にまたここにくるよう、我々に伝える。

古都ホイアンは世界遺産にも登録されている街だ。街は提灯で溢れ、温かみのある光を放っていた。街を流れる川には観光客を乗せた小舟と灯篭がゆらゆらと漂って幻想的な印象を受けるのと同時に、どこか懐かしさも感じた。街は人で溢れ帰っていたものの、ホーチミン・シティとは違うどこか落ち着いた雰囲気を放っていた。我々はしばらく街を散策したり小舟は乗ったりして美しい景色を堪能した。



夕食は通りに立ち並んだ屋台で取ることにした。数ある店の中で、穀物の生地を焼いたもので具を挟んだタコスのような物を注文した。その屋台の店主は我々と同じ20代で、派手さはないが純朴な美しさをもった女性だった。ツレも彼女の美しさに惹かれている様子だ。注文の品が出来上がり、我々一度その場を後にした。

しばらくし、またその店を通りかかると女性はもう一個どうかと屈託のない笑顔で勧めてくる。するとツレは誘われるようにそちらへ向かい、さっきと同じ物を注文した。出来上がった物をツレに渡すと、彼女は気を利かせ、周囲の屋台からイスを集めてきて我々にゆっくりしていくよう伝えた。

我々はそこに腰掛け彼女に自分たちのことや、今までの道程について話した。彼女の名前はトゥイーだという。トゥイーは流暢に英語を話した。特に誰に習うわけでもなく、観光客の相手をするうちに上達して行ったという。彼女は毎日、夕方から夜11頃までこうして屋台で働き日銭を稼いでいるそうだ。しかし、たいした稼ぎになることはないらしく、時々不満を口にしていた。そんな話をしていると、遠くから男たちが何台もの屋台のカートを引いてこちらに急いだ様子で走ってくるではないか。一体なんの騒ぎかとトゥイーに尋ねると、どうやら屋台を出せるのは警察から許可された区画のみで、それ以外の場所に店を出していたものが警察から逃げるように走ってきたのだと言う。屋台を引く男たちは、悪戯をして逃げる時の子供のような表情を浮かべており、なんだか微笑ましかった。その後もトゥイーは客の対応の合間を縫って我々の相手をしてくれた。

去り際、我々は3人で記念撮影をした。私は彼女から写真を送るよう頼まれ、連絡先を交換する。別れの挨拶を交わし、ツレが後に続く。すると彼は私に相談することなく、自らの意思で彼女に自分とも連絡先を交換するよう伝えているではないか。あれほど奥手なツレが誰に頼ることもなく自らの意思もって、女性に挑んでいる。私はその光景を目にし、胸に熱いものが込み上げるのを感じた。しかしあろうことか、トゥイーは私に既に連絡は渡してあるから私からもらうようさらっと伝え、ツレに別れを告げた。そこに一切の悪意や嫌味がなかったのがかえって残酷であった。ツレはやるせなさそうな表情でこちらに向き直る。すると、引かぬ緊張で足がもつれてしまったのか、彼の片足はすぐ横の水たまりに突っ込んで行き、辺りに水しぶきを散らせた。