翌朝、目を覚まし、用を足しにトイレに行ったのだが、トイレットペーパーがないことに気がついた。受付に戻って受付の姿を探すが見当たらない。いつまで待っていても仕方がないので部屋に戻り、代わりになりそうなものを探す。あいにく、ティッシュを持っていなかったため、制汗シートで尻を拭う羽目となった。おかげで私の尻は清涼感に包まれ、爽やかな1日の始まりを迎えることができた。しかし、こんな宿とももうお別れだ。私はサハラ砂漠へ向かうため、荷物をまとめ宿を後にした。


サハラ砂漠へはマラケシュから一日半かけてバスで向かう。朝日が眩しいなか、集合場所で10分ほど待っていると、年季の入ったバンがやってきた。もう少し立派な車で旅をするのかと思っていたのだが、これが今回の旅のお供らしい。車内には、現地人ドライバー、イタリア人男女4人、オーストリア人女性2人、カナダ人1人、コロンビア人カップル、フランス人一家5人、そして私が乗っていた。これが往復計3日の旅路を共にするメンバーだ。私はまだ見ぬ絶景に胸を躍らせていた。


1時間ほどするとバンはアトラス山脈を走る道路の途中で停車した。そこは茶褐色の山を切り開いた道路で、数台の荷台が道端に止まっていた。それを覗いてみると、アンモナイトや三葉虫の化石や鉱石が並べられていた。店の男に値段を聞いてみると、どれもわずか数百円、高くても千円ほどだと言う。一瞬、何か土産に買っていこうかとも思ったのだが、どうせこんな物を買ったところで、飾るわけでもなく部屋の片隅にしまっておくうちに存在さえ忘れてしまうだろう。せっかく地中から掘り起こされ日の光を浴びることができたのに、部屋の中で再び化石として眠ることになるのも気の毒だ。そう思い、露店を後にした。


露店から少し離れたところからは壮大に佇むアトラス山脈を見渡すことができた。青く澄んだ空の色とは対照的な、赤い山々がどこまでも連なっていた。アトラス山脈の名はギリシャ神話に由来する。オリンポスの神々との戦いに敗れたアトラスは罰として天空を背負い、支え続けると言う苦行を命じられた。長きに渡る苦痛に耐えきれなくなったアトラスはメドューサの首を打ち取ったペルセウスに懇願し、自らを石に変えてもらうことで自らを苦しみから解き放ったと言う。そしてアトラスは山に姿を変え、今もこうして静かに天空を支え続けているのだ。そんなアトラスの背中はどこまでも続いていた。




その日のほとんどは狭いバンの中で揺られ過ごしていた。道中のトイレ休憩後、バンへ戻り、2人がけの席の窓側に私が座ると、イタリア人のエンリコが私の隣に腰掛けた。ただでさえ狭い座席なのに、身長は優に180センチを超え、体重も100キロ近くありそうの彼が隣に座っているので窮屈で仕方がない。その上バンはまともに舗装もされていない悪路を高速で走り抜けているのだ。それにドライバーのアサカの適当な運転も相まって、車体が揺られる度に巨大な彼の体に押し潰されそうになる。無事に今日の目的地にたどり着けるのか、先が危ぶまれた。


かといって道中退屈な思いをしたかといえばそんなことは一切なかった。窓から見える新鮮な景色を楽しむのはもちろん、皆で各々の生い立ちについて語ったり、それぞれの国の音楽を流したりもした。昼食のため立ち寄った食堂ではモロッコの伝統料理、タジンを味わったり、別の場所ではベルベルウィスキーと呼ばれる、砂糖がふんだんに入ったハーブ茶を嗜んだ。


そうやって過ごした何時間にもおよぶ道中は決して退屈なものではなく、気がつけば今晩の宿にたどり着いいていた。食堂に案内されるとそこには別のバンの客も大勢いて、適当な空いている席に座らされた。そこでも伝統料理のタジンが出てきた。ただ驚いたのが、その大きさだ。そもそもタジンとは平べったい底部分ととんがり帽子のような形の蓋の鍋で肉や野菜をスパイスとともに煮込んだ料理を言う。昼間見たタジンはせいぜい直径30cmほどのおそらくごく一般的な大きさのものであったのだが、私の目の前にあるのは小さい子供があぐらをかいて座れるほどの大きさのものであった。この大きさならこの円卓にかけている8人の腹を満たすのに十分だろう。いざタジンを自分の皿に取り分けてみると、肉や野菜と共に小さく裁断された骨まで入っているのに気がついた。わたし自身あまり馴染みがなかったのだが、ここでは骨髄まで丁寧に平らげるようだ。日本ではあまり口にすることのない骨髄も、資源に乏しい地域で遊牧を続けるベルベル人にとっては貴重な食料なのだ。骨を手に取り、スプーンの柄で髄を突き、恐る恐る口にしてみる。味は可もなく、不可もなくと言う感じで問題はなかったのだが、私が恐る恐るそれを口に運ぶ姿がうけたらしく、同席していたもの達の間で笑いが起こった。



彼らと食事を済ませた後は部屋に戻り、すぐに寝る支度をした。特に何かをしたわけではないが、朝からずっと狭い車内でガタガタと揺られていたのだ。知らないうちに疲労が蓄積したのだろう。私はすぐに眠りに落ちた。