朝6時半、我々は重い瞼をこじ開け起床した。昨晩はいくらか良く眠れたようだ。

身支度を済ませ、宿を後にする。落ち着きを取り戻した通りに腰掛け、旅行会社のバスが現れるのを待つが指定された時刻になってもバスは現れない。昨晩ある程度眠ることができたといえ、疲れは抜け切っていない。私は一刻も早くバスに乗り込み、睡眠の続きを貪りたかった。



結局バスがやってたのはそれから15分ほど後だった。バスに乗り込み30分程たったころだろうか、ツアーガイドの声に起こされる。目を開けると、眠っている間に乗り込んだ他の客たちが視界に入った。安眠を妨害されたことに少々苛立ちを覚えたが、注意事項を説明するから聞けと言うのだから仕方がない。私は再び薄れゆく意識の片隅で彼の声に耳を傾けてながら再び眠り落ちた。

1時間ほど経過した頃だっただろうか。我々はある寺院へと到着した。我々と同じバスには他に10人ほどの観光客が乗っていた。寺院を探索する間、そのうちの1人のイタリア人、アルベルトと行動を共にした。ツレは英語が得意なほうではなく、私が英語で誰かと会話する際は黙って聞いているだけのことが多かった。会話に混ざりたいことがあっても、それができないもどかしさが募っていたのだろう。彼はアルベルトに名前を聞かれた時、ここぞとばかりに

「こじまっ!!こじまっ!!」

と食らいつくような勢いで名を名乗ったのであった。その威勢の良さにアルベルトは困惑していた。

アルベルトは40代の気さくな男だった。定職に就かず、1、2年ほど働き資金が貯まると長期間の旅に出るのが彼のスタイルらしい。今は東南アジアを旅している最中で、ベトナムに着いてからはハノイからダナンを経てホーチミンにたどり着いたという。ちょうど我々とは逆のルートを旅してきたようだ。

「人生は短いのだから既成概念に囚われず、好きに生きればいい」

彼との会話の中で互いの価値観を語り合う中で彼に共感する部分は多くあった。旅をする中で自分と同じような人生観を持つ人々と出会うことは少なくない。気の合う者たちと刹那の交流を楽しむのが旅の一興というものではないのか。寺院の散策を終えると我々を乗せたバスはメコン川のフェリーターミナルへと向かった。



大型の木のボートに乗り込み、村の観光客向けの物販店へと連れられる。ガイドに連れられ着いた先には大きな透明の瓶がいくつもあり、中の透明な液体の中に細長い何かが鎮座している。近づいて見てみると、その正体は蛇でハブ酒のように精力剤として嗜まれているようだ。ガイドが瓶から蛇を取り出し、掲げてみせると辺りには酷い悪臭が広がった。ガイドはその蛇酒を少量ずつグラスに注ぎ、全員に行き渡ったのを確認するとベトナム式の乾杯の音頭をとり、皆に飲むように促す。

私も恐る恐る飲んでみるが、意外と臭みはなく悪くはなかった。しかし、ツレはというと飲む前から酒の匂いに拒絶反応を示していた。いざそれを飲んでみると彼は顔を醜いほどに歪ませ周囲からの笑いを誘った。普段缶チューハイの匂いも受け付けない彼が蛇酒に挑んだのだから、それは賞賛に値するといって良いだろう。彼の一皮剥けるという強い思いが感じられる出来事であった。

売店を後にした一団は別の船着場に案内され、別の木製の小舟に乗るように促された。これからメコン川を伝統的な船の上に乗り航行するのだ。その船には船首と船尾に漕ぎ手が1人づついて、その間に縦に並ぶ形で座席が2人分あった。私が前の席に乗り込み、ツレが後に続いた。船が進み始めると、船首で漕いでいる30代ほどの女性が振り返り

「2キロ」

と言った。どうやら我々はメコン川の支流を2キロほど進むらしい。川の幅は約5メートルもないくらいで、その間を行きの船と客を降ろした帰りの船がすれ違うかたちで進んで行く。部分的に道幅がかなり狭いところもあったのだが、互いにぶつかることなく進んで行く繊細な操舵技術には関心した。気温は30度を超えていたが、頭上には覆い被さる形で草木が茂っているためさほど暑さは感じなかった。我々はゆっくりと進んでいく船上で川の風景を楽しんだ。




船着場に着くとそこから大型の船に乗り換え、最初の船着場へと戻ってきた。我々はそこからホーチミン・シティへと戻る予定だったが、どうやら我々以外のメンバーは旅程が異なり、これからしばらく行った先で一泊し、明日も観光地を回るらしい。ここからは違うにバスに乗るため、彼らとはお別れだ。出発前に私はトイレに行ったのだが、その間にアルベルトを含む他のものを乗せたバスは次の目的地へと向かってしまったようだ。最後の別れを交わすことができなかったのが心残りである。