理髪店から出てきた頃にはすっかり日が暮れていた。しばらく歩き回った後、我々はブイビエン通りに戻ってきた。今夜の夕食は宿の真下にある店でとることにしていた。昼間、ホテルを出る際に見かけたの空芯菜の炒め物に惹かれたためである。私は東南アジアにくると必ず空芯菜の炒め物を食べるようにしている。これをつまみにビールを飲むのがたまらないのだ。ベトナム特有の背の低いプラスチック製のテーブルと椅子に案内され、お目当ての品を注文する。すると、横の席に1人でいた50代前半くらいの男性に声をかけられる。日本人のようだ。時折、関西弁が交じる彼は、浅野さん、という名前の気さくな人だった。現在、仕事でシンガポールにいるがビザの関係で一度国外に出る必要があるためホーチミン・シティを訪れているそうだ。 

我々が自己紹介やここにきた経緯等を話ている間に料理が運ばれてきた。鳥や牛の串焼き、豚の骨付き唐揚げ、そしてもちろん空芯菜の炒め物だ。乾杯をし、夕食に食らいつく。午前中から楽しみにしていた空芯菜の炒め物はこれまた絶品であった。程よい辛さの量の唐辛子とニンニクが効いたソースが、絶妙な歯応えの空芯菜によく絡みこの上ない美味さを実現させていた。その味の余韻を東南アジア特有の軽めのビールで流し込むのがたまらない。



我々は食事をしながら会話に華を咲かせた。話が進んでいく中で浅野さんがシンガポールの日本食料理屋で料理長を務める人であることを知った。元々、建築関係の会社に勤めていたが持病のため退職せざるを得なかったという。その後しばらくして、知り合いの紹介でシンガポールの飲食店で働き、現在に至るというのだ。

建築業を経て料理長になるなんて面白いキャリアもあるものだ。こういった話を聞くたびに、人生の選択肢なんていくらでもあるということを再認識される。出会った人の経験に耳を傾ける度に、自分の世界が広がる。異文化圏からの人との会話からはなお一層、新しいものが得られるだろう。人との交流の中で、自らの知見を広げる。これが旅の醍醐味の一つであることを思い出した。

結局、我々3人は2時間以上共に時間を過ごした。酒に強い浅野さんの傍にはビールの空き瓶が8本も転がっていた。浅野さんに明日の予定を聞かれ、私はメコン川周辺をめぐるツアーに参加すると答えた。昼間市内を歩いている時にツアーデスクで予約したものだ。浅野さんはというと、午前中に近くの戦争記念館へ行き、午後は早い時間からまた飲み歩くそうだ。我々は浅野さんと記念撮影をし、感謝の気持ちを伝えて彼の後姿を見送った。


時刻はまだ22時を回ったところ。我々はもう一杯飲みに行くことにした。通りを一通り歩いてみたのだが、ピンとくる店がなかったため、宿のすぐ正面にあるバーで飲むことにした。バーといっても俗にいう〝連れ出しバー〟と呼ばれるもので好みの子がいたら席につけ、交渉次第でお持ち帰りができるというものだ。席に案内され、中年の女将に女をつけるかと聞かれた。私は、店先で顔立ちの整った娘を見かけていたため、彼女をつけてもらうことにした。どうやらツレもその娘を狙っていたらしいが、先に私の指名が入ったため仕方なく別の娘をつけた。

どうやらツレはこういう店に来るのが初めてらしく、落ち着かない様子だ。我々は一杯だけ飲んで去るつもりだった(ツレは酒に弱いため、飲酒はしないのだが)。しかし娘たちの飲むペースが早く、それに釣られて私もペースを上げてしまう。すでに戸田さんと飲んでいたこともあり、かなり酔いが回ってきた。それを頃合いと見たのか私の隣の娘は、私の手を握り出し、しまいにはその手をそっと彼女の胸元においたのだった。これにはだいぶ参った。彼女は私の耳元で300万ドン(約18,000円)と呟いた。その額で自分を買えということなのだろう。彼女は魅力的な女性ではあったが、そんなに豪遊していたら金がいくらあっても足りないと自分に言い聞かせるよう努めた。私が葛藤する間も彼女の誘惑は続いた。私はボーイを呼び、会計を済ませてもらうよう頼んだ。それが私にとって唯一の逃げ道だったのだ。私にその気がないと悟った娘は先ほどと打って変わって、素っ気ない態度で席を離れて再び店先の持ち場に戻って行った。 

会計を済ませると私とツレはすぐに宿に戻った。寝る支度をしながらふと窓から通りを見下ろす。そこには次の客を待つあの娘たちの姿があった。