宿に着くと我々は荷物を下ろし、しばらく休みをとった。宿はブイビエン通りという通りに面していて、部屋の窓からは通りの様子がよく見えた。ブイビエン通りはバックパッカーに人気の歓楽街であり、夜遊びにもってこいの場所だ。だが時刻は16時をまわったところ。まだ日も出ているため通りに活気は見られず、今のところただの道路である。



休憩がてら部屋の設備を見て回る。シャワールームの排水溝の流れが若干悪いくらいで水回りは特に問題なく、エアコンも滞在に支障がない程度には機能した。これで2人の3泊分の宿泊費が80万ドン(日本円で約5000円しない程度)なのだから文句は言えない。これが現地の相場から見て高いのか、安いのかはわからない。しかし、我々の日本人の感覚からしたらかなり安いことには変わりない。この、日本と比べたらだいぶ安い、という感覚に痛い目を見せられることになるのだが。

 しばらくして我々は夜の街へ向かうべく宿を後にした。我々が最初に向かったのはレタントン通り呼ばれる地域だ。ここは飲み屋が多く存在する日本人街であると同時に、風俗街としても有名である。我々はとりあえず歩いて回ることにした。どうやらベトナムでは車よりもバイクの数の方が多いらしい。というのも車は税金が多くかかるため、比較的維持費がそんなにかからないバイクが人気なんだそうだ。見ていて面白いのが、2人乗りはおろか、3人乗りで走るバイクを見かけるのが多いことだ。中には、小さな子供を2人を大人2人が前後で挟むようにして走行していく者たちもいた。車のものとは違ったバイク特有の排気ガスの臭いが立ち込める通りを歩いていると、だんだんと日が沈んでゆき、通りのネオンも灯り始めた。

大通りから一本入ったところを進むとそこには夜の街が動き始めていた。日本人街ということもあり、日本の居酒屋やスナック風の飲食店が連なっている。窓から中を覗くと早い時間帯からそれなりに賑わっているようだった。価格帯はというと観光客や現地駐在の日本人向けであるためかやや高めの設定のようだ。



少し進んだところを曲がるとそこにはベトナムの民族衣装、アオザイに身を包む娼婦たちの姿があった。どうやら風俗店が密集する場所にやってきたらしい。形としてはマッサージ屋としての形態をとっているようだが、その実態はというと、好みの娼婦を選んで金を払うと店の部屋か近くの連れ込み部屋へ向かい用を済ますかたちのようだ。通りにはそんな店が左右に立ち並び、ネオンに照らされた路上はアオザイに身を包んだ若い女で溢れかえっていた。中にはわざわば日本語で“真剣なマッサージ”と書いてある看板もあったが、逆にそれが怪しさを引き立てていたのがなんとも滑稽であった。歩いているとひっきりなしに、マッサージ、と声をかけられる。それだけなら問題はないのだが、なかには腕を強引に引き店の中に連れ込もうとする娘もいる。そんな客引きたちをかわしながら歩みを進めていたのだが数分もしないうちに賑やかな場所を外れて薄暗い路地裏へと出てしまった。どうやら風俗街もそれほど大きいわけではなく、小さくまとまっているようだ。

われわれは踵を返し先ほどの場所に戻り、一番大きいマッサージ屋(客引きの娘たちはそう謳っている)へ入ることにした。何人かの娼婦が腰掛ける廊下を抜け、中へ通されるとソファにかけるよう促される。しばらくすると中年太りの女が現れ、50万ドン(約2,500円ほど)を要求してきた。どうやらこの店では最初に入店料を支払うらしい。2人とも支払いが済むと女が店中に響き渡る声で何やら合図をする。すると店の内外から純白のアオザイを纏った娼婦たちが湧くように現れ、我々のソファを囲むように並んだ。総勢40名程だろうか。さっきまで殺風景だった待機場の風景が、目が痛いほどに白く光っていた。わたしはその光景にに圧倒されるあまり、訳もなく笑ってしまっていた。