アメリカと中国に騙されて、「日本は悪い国だった」と信じている人々の中で、その最たる人々こそ、韓国・北朝鮮の人々と言えるでしょう。
話を帝国主義の時代まで少し時代を遡りますが、欧米諸国がアジアやアフリカを次々に植民地にしていく当時において、韓国・北朝鮮は台湾と同様に、まだ国民国家として完成されていませんでした。
つまり当時の朝鮮半島は、中国から独立を果たせず冊封体制の中にいて、そして日本で言うならば、明治維新前のような身分社会であったわけです。
そして日本が日清戦争で中国に勝利することによって、朝鮮半島は中国の冊封体制(さくほうたいせい)から独立を果たしました。
すると今度は、ロシアが朝鮮半島に狙いを定めて、領土拡大の野心を燃やしてきたのです。
やがてロシアは朝鮮半島を南下して、日本の方へと勢力を伸ばしてきました。
「このままでは日本がロシアに侵略されてしまう」という危機感と恐怖感が、日本全土を覆う一方で、日本は中国には勝てても、強大なロシアにまで勝てるとは、到底考えていなかったので、実は外交によってどうにかロシアとの戦争を避けようとしました。
しかしバルチック艦隊を始めとする、強大な軍事力を誇るロシアは、日本をただのアジアの弱小国としか見なしていなかったために、まるでカツアゲでもするかのように、日本に無理難題を突きつけて、圧力を強めてきたのです。
こうして「負けるかもしれないが、しかしロシアに侵略されるくらいならば、自分の国を護るためにやるしかない」という想いで、日本は仕方なしにロシアとの戦争に踏み切りました。
日露戦争の始まりです。
ロシア側は「まさか黄色いサルが、大国ロシアに戦争を仕掛けてくるはずがない」と考えていたために、朝鮮半島で日本とロシアの戦争が開始された時、ロシア側は信じられずに自分たちの耳を疑ったと言われています。
そしてロシア国内がマルクス革命の最中であったこともあって、日本が日露戦争にどうにか勝利することで、朝鮮半島に対する日本の支配権が強まっていきました。
しかしロシアの脅威が完全に消えたわけではありません。
むしろロシアで革命が起こり、マルクス主義国家のソビエト社会主義共和国連邦が誕生したことによって、日本に対する脅威はさらに増したと言えます。
そうしたこともあって日本は、朝鮮半島に対して、「どうにか独立国家として近代国家になり、きちんと防衛体制を整えて欲しい。ソビエトの脅威に備えて、そして白人たちの侵略にも備えて、日本と共に戦って欲しい」と願っていました。
しかし当時の朝鮮半島は、なかなか独立国家の道を歩まず、近代国家への道も歩み始めようとはしなかったのです。
なぜなら当時の朝鮮半島には、「これまで通り清王朝(中国)と仲良くして、中華帝国の冊封体制の中に居続けよう」という「小中華思想」を持っている「親清派」と、「アジアの中で唯一近代国家の道を歩んでいる日本と協力していこう」と考えて、日本の大東亜共栄圏に寄り添う「親日派」が対立していたからです。
そうした中で、伊藤博文という方は、韓国を併合して日本の一部にしてしまうことには反対していました。
しかし当時の韓国の人々は、日本のどの政治家がどういった考え方を持っているかまでは知りません。
そのために安重根(アンジュングン)という方は、「祖国を外国の侵略から護りたい」という一心だけで、伊藤博文を暗殺してしまうのです。
伊藤博文は明治維新の功労者であるばかりか、日本の初代総理大臣であり、ある意味において、「建国の父」でありますから、併合反対派の伊藤博文が暗殺されたことで、残念ながら、むしろ日韓併合は急速に早まってしまいます。
しかし当時の韓国で一番大きな政治組織・「一進会」も、日本と韓国の合併に賛同していたのであり、日本と韓国の軍事力による併合は強制ではなく、互いの同意の上で行われたのです。
話を帝国主義の時代まで少し時代を遡りますが、欧米諸国がアジアやアフリカを次々に植民地にしていく当時において、韓国・北朝鮮は台湾と同様に、まだ国民国家として完成されていませんでした。
つまり当時の朝鮮半島は、中国から独立を果たせず冊封体制の中にいて、そして日本で言うならば、明治維新前のような身分社会であったわけです。
そして日本が日清戦争で中国に勝利することによって、朝鮮半島は中国の冊封体制(さくほうたいせい)から独立を果たしました。
すると今度は、ロシアが朝鮮半島に狙いを定めて、領土拡大の野心を燃やしてきたのです。
やがてロシアは朝鮮半島を南下して、日本の方へと勢力を伸ばしてきました。
「このままでは日本がロシアに侵略されてしまう」という危機感と恐怖感が、日本全土を覆う一方で、日本は中国には勝てても、強大なロシアにまで勝てるとは、到底考えていなかったので、実は外交によってどうにかロシアとの戦争を避けようとしました。
しかしバルチック艦隊を始めとする、強大な軍事力を誇るロシアは、日本をただのアジアの弱小国としか見なしていなかったために、まるでカツアゲでもするかのように、日本に無理難題を突きつけて、圧力を強めてきたのです。
こうして「負けるかもしれないが、しかしロシアに侵略されるくらいならば、自分の国を護るためにやるしかない」という想いで、日本は仕方なしにロシアとの戦争に踏み切りました。
日露戦争の始まりです。
ロシア側は「まさか黄色いサルが、大国ロシアに戦争を仕掛けてくるはずがない」と考えていたために、朝鮮半島で日本とロシアの戦争が開始された時、ロシア側は信じられずに自分たちの耳を疑ったと言われています。
そしてロシア国内がマルクス革命の最中であったこともあって、日本が日露戦争にどうにか勝利することで、朝鮮半島に対する日本の支配権が強まっていきました。
しかしロシアの脅威が完全に消えたわけではありません。
むしろロシアで革命が起こり、マルクス主義国家のソビエト社会主義共和国連邦が誕生したことによって、日本に対する脅威はさらに増したと言えます。
そうしたこともあって日本は、朝鮮半島に対して、「どうにか独立国家として近代国家になり、きちんと防衛体制を整えて欲しい。ソビエトの脅威に備えて、そして白人たちの侵略にも備えて、日本と共に戦って欲しい」と願っていました。
しかし当時の朝鮮半島は、なかなか独立国家の道を歩まず、近代国家への道も歩み始めようとはしなかったのです。
なぜなら当時の朝鮮半島には、「これまで通り清王朝(中国)と仲良くして、中華帝国の冊封体制の中に居続けよう」という「小中華思想」を持っている「親清派」と、「アジアの中で唯一近代国家の道を歩んでいる日本と協力していこう」と考えて、日本の大東亜共栄圏に寄り添う「親日派」が対立していたからです。
そうした中で、伊藤博文という方は、韓国を併合して日本の一部にしてしまうことには反対していました。
しかし当時の韓国の人々は、日本のどの政治家がどういった考え方を持っているかまでは知りません。
そのために安重根(アンジュングン)という方は、「祖国を外国の侵略から護りたい」という一心だけで、伊藤博文を暗殺してしまうのです。
伊藤博文は明治維新の功労者であるばかりか、日本の初代総理大臣であり、ある意味において、「建国の父」でありますから、併合反対派の伊藤博文が暗殺されたことで、残念ながら、むしろ日韓併合は急速に早まってしまいます。
しかし当時の韓国で一番大きな政治組織・「一進会」も、日本と韓国の合併に賛同していたのであり、日本と韓国の軍事力による併合は強制ではなく、互いの同意の上で行われたのです。