100年前の今日(1923(大正12)年9月1日午前11時58分)相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生しました。

 

死者・行方不明者数など7府県で10万5385人。旧東京市や横浜市では大規模火災が相次ぎ、火災による死者が全体の9割を占めたのです。全焼・全壊住宅は約29万棟、経済被害は国家予算の4倍に達したそうです・・・

 

今朝のラジオで、9月1日がなぜ防災の日なのか・・・と問うと60%の人が知らなかったそうです。その大半は若者だったそうです。言うまでもなく、9月1日に発生した関東大震災の大被害に因んで、この日を防災の日としました。この大震災の被害を後世に伝えていく事が重要だと感じています。

 

私は幼い頃、祖父にこの関東大震災の話を聞いた事を鮮明に覚えています・・・

 

祖父は明治生まれで、当時、まだ少年だったはず。突然の地震に驚き、家屋を飛び出したそうです。家屋がどんどん倒れていくのを目の当たりにしたそうです。そこで、祖父は思いがけない行動をとっています。

当時希少価値があった自転車を、どういう訳か、庭のグミの木に縄でくくりつけて、妹の手を引きながら逃げたそうです。

 

自転車をくくりつけた理由も確か聞いたのですが・・忘れてしまいました・・・・

 

発生時は昼時で、火を使用していた家が多く、あたりは瞬く間に火の海になっていったそうです。

 

また、〇〇人が火を付け回っている。市内の店を強奪しているなどとデマが飛び交い。それを阻止すべく、竹槍を持った大きな男たちが町内を巡回していたような話も聞きました。

 

その大震災から今日で100年。人類は未だ地震を予知する事はできません・・・

 

いつ来るかわからない大地震に対応できるよう、私たちは備える事しかできないのです。しかし、その備えがあるか否かで、自分の命、大切な人、大切なものを守る事ができます。

 

私は救急救命士を養成する学校の一責任者として、地域に対し、防災講習や救命講習などを約20年普及してきました。

そこでは、まずは自らの安全を確保する事が第一で、それができて初めて人を救助する事が始まります。忘れないで下さい。

 

また、当学園の宇野理事長も市民の命を守る事を最優先で考えておられ、各施設の避難所開放や、食料の備蓄など、積極的に行い災害に備えています。私自身も、大厩地域の方々の被災を想定し、応急手当用品やレスキューシートやレスキューブランケット、充電器など地域用として準備しています。

 

皆さん、今、何が一番大切なのか・・・それは「備え」です。

備えをしている方こそが命を守れるのです。もう一度、点検を・・・

 

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100年前の今日  当時の神奈川県厚木市元町