『スピリチュアル』という言葉が、雑誌やテレビで取り上げられることが多くなった昨今。
最近では、広く浸透したことで多くの方に興味を持っていただけるようになりました。
しかしその実情は、まだまだ誤解されている部分が多いように思います。
占いや宗教的なもの、またオカルト的なものも『スピリチュアル』という言葉が使われ、『スピリチュアルを語る人=怪しい人』と思われていることも多々あります。
また現世利益を求めてパワースポットを訪れたり、写メールを撮って待ち受け画面にしたりと、人によって『スピリチュアル』の捉え方も様々なようです。
それ故、本来のスピリチュアリズムがなかなかご理解いただけず、間違った捉え方に歯がゆさを感じることも少なくありません。
私のことをよく知っている方ならご存知と思いますが、私は普段からあまり『~が見える』など、霊的なことはほとんど語りません。
もちろん、必要なときにはお話しますが、意外と現実的なお話をすることの方が多いのです。
スピリチュアルカウンセラーというと、決まって
『オーラは見えるんですか?』
『前世はわかるんですか?』と
質問されます。
しかし残念ながら、みなさんが求めるような不思議な話には、あまり興味がありません(笑)。
それよりも、人間が忘れかけている本来の生き方を伝えていくことの方がずっと大切だと思っています。
オーラや前世について話すことがあるとすれば、それはその人の人生に関わる必要なことだけです。
前世、どこの誰であったかよりも、どのような人生を送り、今世どのような目的を持って生まれてきたかを理解することのほうがずっと大切なことだからです。
私がスピリチュアルな人生に目覚めたきっかけは、オーラの色を知ったからでも、前世どこの誰だったかを知ったからでもありません。
苦しみの中にあるとき、スピリチュアリズム8つの法則と出会い、人生に起こるあらゆることの意味を紐解くことができたからです。
だからこそ、この8つの法則を伝えていくことが最も大切なことであり、それが自分にとっての学びの道でもあります。
日々生きる中で呼吸をするように、常にこの8つの法則を自分の中に息づかせることができれば、何も怖いことはありません。
本来の幸せとは、“何も怖れることがないこと”。
幸せの道しるべを照らしていくことができたら、私も幸せです。
今回の地震において、地震が起きた後に『実は予知夢を見ていた』『実は予言していた』など語る人が次から次へと出てきましたが、正直、何を今さら?と思います。
予言や予知夢を見ていたなら、なぜ起こる前にそれを生かさないのでしょう。
予言や予知夢は、その人の自己満足のためにあるものではありません。
当たる、当たらないことが大切なのではなく、そうならないために生き方を改めなければ、何の意味も持たないでしょう。
今回、私が受けたスピリチュアル講座では、やはり震災のお話が多く、先生からも厳しいお話がいくつもありました。
ひとえに善意といっても、それが“自己満足の善意”なのか、“本当に他者を思いやっての善意”なのかを見極める視点が必要なこと。
また、復興!復興!と言うが、私たちは元の生活に戻ることが本当に大切なことなのか?
地震によって気づかされた傲慢で感謝のない生き方を改め、不自由な中にこそある温もりを大切に生きていかなければならないことなど、はっとさせられるようなお話もいくつもいただきました。
スピリチュアリズムを学ぶことによって、私の人生は大きく変わりました。
私にできる恩返しがあるとするならば、様々な活動を通して、自分が学んできたスピリチュアリズムを伝えていくことだと思っています。