誰かの言葉に腹が立ったり、耳を塞ぎたくなるようなことを言われたとき。
それは、その人を通じて神様がメッセージを伝えてくださっているのかもしれません。
なぜなら、人は自分の中にないものであれば、傷つくことや反応することはないからです。
だからこそ、その言葉を謙虚に受け止め、自分の内側と対面する時間を持つことが大切なのです。
人は傲慢になっているときほど、人を責めたり、相手のせいにしたりします。
何故ならその方がずっと楽だからです。
でも人のせいにしているうちは、同じことを繰り返し、出口の見えないトンネルを堂々巡りすることになってしまいます。
すべての出来事、登場人物は、自分自身の心が作り出している映像です。
そして起こる出来事には必ず意味があります。
例えば、自分をないがしろにされたり、馬鹿にされるというような出来事が続くとき、その問題の根底に自分自身が自分を一番否定しているということがよくあります。
またいろいろな部分で自分にも他人にも厳しい人には、自分とは真逆のだらしがないというような相手を与えられることがあります。
このどちらにも共通しているのが、未熟な相手を通して未熟な自分を受け入れるということです。
私たちは皆、未熟な存在です。
でも、それを自分で直視することはなかなかできません。
だからこそ、私たちはいろいろな出来事を通して自分の内側と対面するチャンスを与えられるのです。
それは、自分自身を受け入れるためのプロセス。
その中で他者を許し、受け入れ、愛することが、自分を許し、受け入れ、愛することに繋がるのです。
この法則がたましいで理解できたとき、あなたの見ている景色は今とは全く違う素晴らしいものになっているはずです。
たましいの旅は永遠に続きます。
でもこの現世での旅は、後にも先にもない、たった一度きりの人生です。
だからこそ、ここで出会うすべての人たちは、かけがえのない学びの同志なのです。
この『生きる』という素晴らしき旅。
どうぞ、心から楽しんでください。
そしてここに生きている意味を、ご自分のプロセスを通してぜひ見つけ出してください。