少し前から実家の兄嫁(私にとっての義姉)が調子の悪いことは聞いていた。
その彼女がついに亡くなった。
23日はお葬式。私は10年ぶりくらいで豊橋に帰った。
始発の「名鉄岐阜」から終点の「名鉄豊橋」まで1時間半の電車旅。
実家に帰るときにはいつもわくわくするのに、お葬式で帰るのは気が沈む。
途中「東岡崎」を通過するとき、以前私の通っていた大学のあった丘を見上げる。
大学は刈谷の移転してもうないが、四年間通った日々が思い出され、懐かしい気持ちになる。
1限目のドイツ語の授業に遅れそうで、崖を登ってドイツ語教室に駆け込んだことがよくあった。
今でもそのことを思い出すと「あんなことよく出来たよね」と、友だちと笑い合う。
新任音楽教師として赴任した「国府高等学校」のある「国府」の駅を通過するとき、懐かしく車窓を見る。
以前はよく見えたのに、今は建物が沢山建ってしまい、校舎はほんの少し見えただけだった。
見えなくても心の中には、3階にあった音楽教室がはっきり見えてきた。
若さ溢れる生徒たちと一緒に、私も青春を謳歌していた!
葬儀場に着き、10年ぶりに兄に会う。
すったり痩せて老けてしまっていた。
道ですれ違っても分からないのではないかと言うくらいの変わりようにびっくりしてしまった。
私たちには分らない心労があったのだろうか?
76歳という女性にしては少し早く逝去してしまった義姉。
兄はこれから全くの一人暮らしになってしまう。
幸い長女が豊橋市内に住んでいるから、何とか助けてもらえるだろうが……心配だ。
人生って描いていたようにうまくいくとは限らない、残酷なものだ。
実家は「曹洞宗」なので、お葬式は「チン・ドン・ジャラン」と賑やかだった。
私の嫁ぎ先は「浄土真宗」なので、久しぶりに曹洞宗のお経を聞き、懐かしい気持ちになった。
義姉よ、おなたの夫のことを見守ってくださいね!
帰りは弟に豊橋駅まで送ってもらった。
ふと思い立って、駅前の地下道に行ってみた。
10年以上前かな、豊橋市の依頼を受けて絵描きをしている甥が描いた壁画があるのだ。
あの頃と同じようにまだ色鮮やかでびっくりした。
地下で日が当たらないから、こんなにきれいなのかな?
わが家はどういうわけか、今年は5月・6月・7月と続けて身内のお葬式。
3つの不幸がすんだから、もうこれからはこんな悲しいことのないように!