赤いソックス♪ | nekoさんのブログ

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時には音楽療法士。時にはコーラスの先生。
ときにはシャンソン教室の生徒。時には自分史・エッセイ教室の生徒。
でもいつもは普通のおばさん。
日々の生活を書き綴っています。

一昨日、お寺のお庫裡さまが、

「先日の音楽法要のお手伝い、ありがとうございました」

と、赤い靴下を持ってきてくださった。

いつも何のご奉仕も出来ないから、音楽法要は手伝わせていただいてありがたいと思っているくらいなのに、毎年「赤い靴下」を持ってきてくださる。

私は年がいもなく、いつも赤い靴下をはいている。

もちろん改まった場所ではそんなことはしないが。

 

私が赤い靴下をはくようになったのは、もう三十年くらい前からである。

その日、私は実家に帰った折にふと思い立って昔、通っていた大学の跡地を見て歩いた。

私たちが卒業してしばらくして、大学は刈谷市に移転し、今その跡地は世界の頭脳を集めた生物研究所になっている。

大学跡地を見て帰り、名鉄電車を待つ駅ビルに「手相見」がいた。見料¥3000だったような覚えがある。

何となく見てもらいたくなり、手を差し出した。すると、

「貴女は、なんだか海外に関係しているような・・・・・・思い当たりませんか?」

「はい、実は今、夫は海外勤務で私も時々出かけます」

この一言で、私は彼女をすっかり信じてしまった。さらに私を驚かせたのは、

「私の生命線はここで切れているのですが、長生きは出来ないでしょうか?」

と尋ねると、彼女はじっと私の手のひらを見ていたが、

「貴女は今までに、何かずっと続けたいと思っていたことを断念したことがあるんじゃないですか?」

「はい、一生続けたいと思っていた音楽を断念した時期があります」

「その時のことですよ、この生命線の切れているのは。大丈夫、長生きできますよ!」

結婚するときには、一生続けても良いと言う音楽だったが、義父の会社倒産で背負った借金を返済するために、私は音楽を諦め義父母のやっている商売を手伝うこととなったのだ。

辛くて辛くて・・・・・・ピアノに鍵を掛けて十数年もピアノを弾かないで過ごした。

おかげで借金返済も済み、義父母も天界に送り今は再び音楽に携わるようになったが。

その手相見は最後に、

「あなたを守る色は『赤』です。いつも赤い物を身につけるといいですよ。お葬式に行くときにだって、見えないところに赤い物を付けて行きなさい」

それからの私は、新しく下着を買うと、片隅に赤い糸でお花を刺繍することにしている。

いつも身につける物だから。

そして、靴下も赤色の物を履くようになったのだ。

きっと一生、死ぬまで赤い靴下をはき続けるだろうと思う。

 

緑の美しい季節。先日、梅林公園に行ったら、むせかえるほどの緑。

大きく深呼吸すると、心まで緑の染まってしまいそうだった。