〜『抱きしめる』〜 | うまく愛せなくてごめんね。

うまく愛せなくてごめんね。

2020年6月
長女は旅立ちました。
26年間の子育て後悔
嘆きや愚痴
娘の闘病記
思いを吐き出したい。





心の中では

何度も何度もあの娘を

抱きしめようとした


抱きしめたかった

でも出来なかった

しなかった





いつからだろう…

無性に抱きしめていた娘を

抱きしめられなくなったのは








思えば私も物心ついた頃からの

母から抱きしめられた記憶は

無かった







私が流産した時も

精神的におかしくなった時も

子宮ガン手術をした時も


娘の病気がわかった時も

再燃、転移、残りわずか

娘を喪ったあの日

肉体がなくなったあの日


どれも

大人になった私が

抱きしめられることは

無かった






母も私と同じ気持ちだったのか

いまだから思えること







母は不倫相手との間に出来た子供だった


私の祖母は、未婚の母

昔はいまよりそんな母親(祖母)は

冷たく扱われていたでしょう


身寄りも無く貧しくも

祖母が必死で育てるそんな中で

母も私と同じく

母親(祖母)から

抱きしめられたことは

少なかったに違いない





我が子の愛しかたは人それぞれ


自然分娩でないと

愛情が薄いとか


母乳じゃないと

愛情が少ないとか


色々…




でもお腹で育っている時

生まれた時

みんなみんな

愛しくて愛しくて

『何があってもこの子を守る!』

って強く想ったはず

こんな私もそうだった




私の両親は共働きで

朝早く夜遅い帰宅

祖母に育てられた記憶




だからこそ

我が子には

小学生までは帰宅時には必ず家に居て

手作りおやつを出してあげる

優しいママ


我が子には寂しい思いはさせない

そんな未来予想図があった






でも現実には

1才足らずでシンママになり


昼夜内職と働き

実家両親、ほぼ父が

ミルクオムツお風呂に寝かしつけ


私が再婚するまで

娘を育ててくれたようなものだった





生活のため

子育てのため

働いていたはずが


若かったあの頃

現実から逃げたくて


自分勝手

自分中心で

働く口実に

娘を預けて

逃げていたんだと思います






きっと母も寂しかった

私も寂しかった

娘も寂しかったね










『抱きしめる』

なかなか簡単には

出来ませんでした








いつの間にか

未来予想図とは

かけ離れ



恥ずかしい

変な強がりが

邪魔して

素直になれなかった









言葉なんて無くても

抱きしめるだけで

安心したんだろうな










もう遅いけれど

スキンシップ

大切












桜開花発表されました

『春』






辛く苦しい季節

あの娘の居ない日々

知らない日々

今日も増えていく