私が新しい組手法(TS方式組手法)を創った理由 ~新しいシステムを生み出す | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める

 

私が新しい組手法(TS方式組手法)を創った理由

 

 

【第15回月例試合】

 先日、第15回月例試合を実施した。今回は試合の経験の少ない黄帯の参加者が多かった。私の道場では従来の組手法を改め、新しい組手法を実施している。その初めはコロナパンデミック下における感染防止の効果があると思ったからである。当初、頭部に防具をつけ顔面を打ち合う組手法は、防具使用のめんどくささや顔面攻撃への戸惑いにより、躊躇する者もいたと思う。また中には恐怖感を感じる者もいたはずである。さらに述べれば、従来の組手法に対する愛着を捨てたくない者もいたかもしれないと思っている。色々と考えたが、私はコロナパンデミック下で、従来の組手修練は実施する気にはならなかった。あまりにも間合いが近いからである。そこで、私は従来の組手修練では得られない足使い(足捌き)や反応力を得ること、またボクサーのような顔面攻撃を巧みに避ける技を身につけることを目標に掲げ、新しい組手法を実施した。また、空手本来の護身のためには顔面への突きを避ける技術が必要だと賢明に説いた。幸い、師範代の秋吉と一部の黒帯はすぐに私の考えを理解してくれた。そして積極的に稽古を始めてくれた。しかし、これまでの稽古体系では、新しい組手法の上達は難しかった。ゆえに私は、従来の修練体系に独自の修練法を工夫し加えた。その効果が段々と出てきた。だが、中には思うように上達しない者もいるようだ。だが、挫けないで欲しい。おそらく試合経験が10回以上を超えた頃から、攻防の意識ができるようになると思う。もちろん正確な統計結果ではないが、慣れが必要だと思う。

 

【組手に上達したい人に対するアドバイス】

 さらに組手に上達したい人に対するアドバイスをしたい。まずは組手型の動画教本を見ること。1時間ぐらいである。少しづつ分けてみても良い。次に基本組手技の動画教本、そして運足法の動画教本を見て理解してほしい。独習で完全な理解は難しいかもしれないが、見るだけでイメージがインプットされるはずである。そのインプットが重要だ。また、組手稽古の仕方もいきなり「技あり」を取り合うような組手をしなくても良い。たとえば、私の道場独自の言い方である約束組手、すなわち受け側と取り側に分かれて野球のキャッチボールのように応じの稽古をするのも良いだろう。また、自由組手も突きのスピードを落として行うのも良いかもしれない。

 その時は相手に攻撃が当たらなくても良い。先ずは、相手の攻撃(仕掛け)に対し、驚いたり、恐怖を覚えたりしないよう「防御技×攻撃技(応じ技)」で反応する回路を作ることを目標としてほしい。また、その回路は完全な回路でなくても良い。以上のような組手稽古と組手型の稽古を繰り返すことによって回路構築の下地ができる。その上で試合を行い、その中で自己の反応と攻防の理法が合致した時、完全に回路ができたと言っても良い。

 

 我田引水だが、TS方式組手法は面白い。なぜなら、自分の反応能力と攻防技能の向上が実感できるからだ。また様々な現象を安全に体験、そして分析できる。同時に様々な武技に共通する、技を活かす理法が見えてくる。私の場合、時間と体力が無くなっていくという現実との対峙が厳しい。

 一方、若い人には時間と体力がある。ただ、全ての人に言えることは、良いと思えばすぐにやることである。誰にも先のことはわからない。今、最善を尽くすことが重要だと思う。

 

 もちろん、TS方式組手法以外にも良い方法があるかもしれない。だが、相手の出方を予測する眼を養い、また位置取りと足使い(足捌き)を良くする稽古法としては最上の方法だとお思っている。その一番の理由は、反復練習に適しているということだ。相手の動きと一体的に攻撃技を繰り出す技能の体得は、途方もないぐらいのデータベースの構築、反復稽古というプロセスが必要だ。

 

【なぜ新しい組手法(TS方式組手法)を創ったか】

 

 次に補足として「なぜTS方式組手法を創ったか」ということについて述べておきたい。TS方式組手法の構造を理解すれば、どのような意識と努力をすれば、組手に上達するかが見えてくると思うからである。

 私が新しい組手法を考案したのは、空手技を使うことに関し、他の技芸(芸術やスポーツなど)にも劣らないレベルに到達したいと言う理想を具現化したかったからである。

 そのためには、既存の競技の中心は何かと考えた。その結果、非常に空虚な理想と理念しか見えなかった。ゆえに、今一度原点に立ち戻り、中心的価値観を見直す必要があると考えた。

 兎にも角にも、私は、新しい組手法を創るに際し、組手修練により何を目指し、かつ何を目的とするかを明確にすることから始めた。言い換えれば、中心的価値観を明確にしなければと考えたのである。その結果、私と他の空手家とは全く別のものを見ているかもしれないと思っている。

 

【試合の中心的価値観とは何か】

 さて、これから私が考えた試合競技や組手修練の中心的価値観について述べてみたい。TS方式組手法における中心的価値観は、相手の攻撃を自己の技(防御技)によって無力化し、かつ自己の攻撃技を有効化する技術と技能の開拓である。開拓とは可能性への挑戦と言い換えても良いだろう。そして、その価値観に合致する技が「技あり」である。

 そのTS方式組手法は、野球に例えれば、ストライクを取られずにボールを的確に打つ。また、相手に打たれずにストライクを取るようなゲームである。またサッカーに例えれば、相手にボールを奪われずにパスを通し、最終的にゴールキーパーの防御をかいくぐり、ゴールにボールを入れるゲームのようなものだ。異なる点は、ボールゲームより恐怖心があることだ(硬式野球の内野守備や打撃も怖いと思うが)。それは武術だから当然だ。そこが武道の独自性だが、それ以外は、野球にしろサッカーにしろ、一流の選手達の技術・技能は卓越している。その部分からは学ぶ点が多い。

 現在、空手には多くの流派ごとに様々な組手法があるが、TS方式組手法と試合原理は、ボールゲームに近い。だが、ボールゲームといえば、その空手は武術であり、空手はそんな遊びではない、と空手家はいうかもしれない。しかし、その空手競技者に精緻な技術や理法を活用する技能を体得している者が多くないように思う。そのような技術や技能はシステム(修練体系)によって育まれるものだ。そして、そのシステムの中心には、明確な価値観があると思っている。

 

【武術において重要なこと】

 少し脱線するが、武術において重要なことは、技の殺傷力の向上と養成に努めることである。同時に他者の殺傷力に対峙することである。その部分・領域へのアプローチが武道修練とボールゲームを隔てる要素であり、武道の重要な要素である。ゆえに、徒手格闘技の空手は、武器の仕様を基本とする他の武術とは異なり、自己の身体を武器化するために部位鍛錬を行う。また、それで足りなければ、他の道具を用い、自己の戦闘力を増強する。また、そのような肉体の殺傷を前提とするがゆえに、生死を掘り下げ、自己存在の究極を追求する。

 私の考える極真空手、そして拓心武道もそのような考え方を有し、そのための修練を行う。この部分も拓心武道では重要とするとことを断っておきたい。だが、その部分について述べるのは別の機会にしたい。

 

【自他の間に共通の価値観を設定しなければ】

 話を戻して、野球やテニスなどのトップ競技者が有する速い球(ボール)や道具を扱う技術や技能について思いを馳せて欲しい。

 そのような技術や技能を空手家は保有しているのだろうか。技術や技能は、道具を含めた他者と自己が交流することで生まれる。しかし、その交流(コミュニケーション)に方向性を与えなければならない。その方向性を与える事柄が、私のいうところの共有されるべき中心的価値観である。

 話が難しくなったので、話を早送りするが、剣術であれ、他の格闘技であれ、自他の間に共有されるべく中心的価値観を設定しなければ、その技術・技能は養成されない、と私は考えている。そしてスポーツ競技のように、明確な価値観の共有という基盤がある物事には、そこに関わる人たちに高い技術・技能が養成される、と考えている。しかしながら、空手の組手競技の場合、価値観が共有されていないのである。また、共有されていたとしても、それは明確な価値観ではなく、先述したように抽象的で曖昧である。そのことに多くの人が気づかないようだ。よって永遠に技術・技能の向上には限界があるだろう。

 

【新しいシステムを生み出す】

 再び脱線するが、社会の価値観とシステムに瑕疵があれば、それを作り直し、新しいシステムを生み出すことが必要だと思っている。また、定期的に価値観と現実を検証し、システムを更新する必要があると思っている。なぜなら、我々はシステムの奴隷ではないと思うからだ。そして、社会にはより善い方法を生み出す活力が必要だと思うからだ。ここまで語ると、私の考えていることが理解できなくなるに違いない。それは私の喋りすぎと言う悪癖、かつ伝え方の未熟ゆえだろう。ゆえに、どうしたらみんなの心に私の武道哲学が伝わるかを考え続けている。

 

【中心に明確な理念と中心的価値観の共有がなければ】

 

 話を戻して、最後に述べておきたい。TS方式の組手法を含む拓心武道(修練体系)はまだまだ成長する。言い換えれば、まだ未完成だということである。しかし同時に成長の可能性を有しているということでもある。最も重要なことは、システムの中心に明確な理念と中心的値観の共有がなければ成長しないということだ。私にはそのことが明確に理解できる。だからこそ、理念に共有してもらえるよう努力し続けなければならないと思っている。とても困難なことだが…。

 先日行われた、第15回 月例試合の合間に、私は参加者に対し期待を込めてあることを伝えた。それはTS方式空手武道競技のルールブックの第1条に挙げてある、競技理念・目的である(以下を参照)。

 突然のことに子供達は目を白黒させていた。また、黒帯は聞き流していたかもしれない。だが、改めて読み返してみて、修正を直感した。もっと良い伝え方があると。ゆえにすぐに競技理念・目的の文言を少し修正した。余計な文言を削り、新たな文言を追加した。その競技目的・理念が空手愛好者の心に届かなければ、この先、TS方式、そして拓心武道は結実しないだろう。だからこそ、これからも理念を高め続け、実践・精進を続けたい。

 

 

【TS方式空手武道競技規定 第1条 目的・理念】

 

 本規程によって実施される拓心武道試合競技を実施する目的は、武技(武術)を用いた競技試合により自他の心身を最も善く活かす理法(道)を追求することにある。その競技方法は、突きや蹴りなどの技の有効と無効を規程に照らし判定しポイントに置換し勝敗を決することである。また技の判定基準は攻防の理法に合致しているか、また正確性を有しているかを第一義とする。その独自の判定基準と方法により老若男女が安全性を確保しながら武技を用いる競技試合が行え、かつ理法を理解できるようになる。なお本競技は能力の高低によって勝者と敗者を決するためにあるのではない。その目指すところは、競技者が共に自他を活かす武の理法を学び合い、その先に無益なダメージの与え合いを避ける方法を創出することにある。その意志を「武道人精神(BudoManShip)」と呼び、我々はその精神を涵養し、自己を最も善く活かす武道人の育成を以って社会の平和共存への貢献を行う。