火星が出ている〜新型コロナウイルス感染拡大による危機に際して | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める

「火星が出ている」新型コロナウイルス感染拡大による危機に際して〜美学を思う…。

ブックカバーチャレンジ第2回

【高村光太郎詩集】

 私は小学生の頃から詩が好きだった。小学3年生の時、国語の先生の方針に導かれて毎日詩を書いたこともある。中学生の頃だったろうか。私は高村光太郎の詩に惹かれた。その頃、感傷的な性格を持て余していた。そんな厄介な性格の私の心に、国語の教科書に出ていた高村光太郎の詩が突き刺さった。また私は、図書館や本屋が好きだったので、時々詩のコーナーを物色し、自分の心を癒してくれる詩を探していた。私は多くの詩人に憧憬の念を抱いた。そんな中、私は高村光太郎の詩集を手に取った。その中で特に好きだった詩の一つが以下の「火星が出ている」である。

 

 思い起こせば、幼少の頃の私はと言えば、いつも思いが空回りし、挫折感に苛まれていた。そんな中、詩人達の言霊は、疲弊する私へのビタミン剤となった。そして、優しい心を忘れさせないようにしてくれた。

 

 現在、社会が新型コロナウイルス感染症拡大の有事に直面している。そして我々の心中に徐々にではあるが変化が出てきているようだ。それと何の関係があるのかと思われるだろうが、私には今、高村の心が少し見えたような気がする。

 

 「火星が出ている」とは、理念、理想に対峙する意識(自我の核心)のメタファーではないだろうか。それは、人類が時代時代で掲げてきた理念を含む。言い換えれば、人類が追い求めてきた理想に対するメタファーといっても良いかもしれない。残念ながら世界中で理念や理想の違い、またそれらの衝突により数多の争いが起きた。また様々な問題が生じている。

 

 「予約された結果を思ふのは卑しい」「正しい原因に生きる事」「それのみが浄い」つまり、『「何のために」ではなく、心の奥底から感じたことに対し正直に誠実に対峙し、それを行うこと。それが人間にとって、最も良い生き方である』と高村は思っているのだと思う。

 

 私は20数年前に、鎌倉の東慶寺の奥にある松ヶ岡文庫に鈴木大拙先生の高弟の故古田紹欽先生(当時、松ヶ岡文庫長だった)を訪ねたことがある。その時、松ヶ岡文庫を開設した鈴木大拙先生の書斎を見せていただき、そして「常行一直心」と書き添えた「臨済録」をいただいた。

 

 それからの私の生き方はどうだった。精一杯やったつもりだが、全くもって納得できない。また自分の見識と勇気の無さが悔しい。

 

 今回の新型コロナによる有事の中、今こそ原点に戻りたい、と思っている。原点に戻り過ぎれば、空手を捨てることになるかもしれない。そこはよくよく考えたい。

 手がかりは「人間が天然の一片であり得る事を」「人間が無に等しい故に大である事を」という言葉だ。そして「無に等しい事のたのもしさよ」だ。

 最後に「見知らぬものだらけな不気味な美がひしひしとおれに迫る」とは、本当の美とは、「見知らぬものだらけで不気味な感覚」、すなわち、異質なものと真剣に対峙することにより感じ取れるものだということではないだろうか(本当は異質ではないかもしれないが)。意味が伝わらないかもしれないが、言い換えると、『安易に「美しい」などと消費できるものは本当の美ではない』ということだ。おそらく「火星が出ている」と言う詩を書いた高村は、安易に消費されるような美しさではない、本当の美を見つめながら生きていく決心をしているのだと思う。そのように私には感じる。

 

 

 

 

 

 

 

火星が出てゐる 高村光太郎 

 

火星が出てゐる。 
 

要するにどうすればいいか、といふ問いは、
折角たどった思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか。
否、否、無限大に否。
待つがいい、さうして第一の力を以て、
そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因に生きる事、
それのみが浄い。
お前の心を更にゆすぶり返す為には、
もう一度頭を高くあげて、
この寝静まった暗い駒込台の真上に光る
あの大きな、まっかな星を見るがいい。


火星が出てゐる。


木枯が皀角子の実をからから鳴らす。
犬がさかって狂奔する。
落葉をふんで
藪をでれば
崖。


火星が出てゐる。 

おれは知らない、
人間が何をせねばならないかを。
おれは知らない、
人間が何を得ようとすべきかを。
おれは思ふ、
人間が天然の一片であり得る事を。
おれは感ずる、
人間が無に等しい故に大である事を。
ああ、おれは身ぶるひする、
無に等しい事のたのもしさよ。
無をさえ滅した
必然の瀰漫(びまん)よ。


火星が出てゐる。 

天がうしろに廻転する。
無数の遠い世界が登って来る。
おれはもう昔の詩人のやうに、
天使のまたたきをその中に見ない。
おれはただ聞く、
深いエエテルの波のやうなものを。
さうしてただ、
世界が止め度なく美しい。
見知らぬものだらけな不気味な美が
ひしひしとおれに迫る。


火星が出てゐる。