真の空手武道とは〜その2 | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める

真の空手武道とは~その2

私の本心を語る。

私の体得した武道は、自他(人間)の安心立命のためにある。

すなわち、自己(自分)の心を平安ならしめ、自己を活かすこと。
それは、他者の心を平安ならしめ、他者を活かすことでもある。

その境地に武人が至った時、はじめて、日本武道の魂を掴んだと言えるだろう。

私は、日本武道の究極とは、自己(自分)を活かし、かつ他者を活かす道であると確信している。

さらに、その境地を目指し、そこに到達した時、初めて「武徳」が現出すると考えている。

現在、空手は武道だと、多くの極真空手家は喧伝するが、その心は脆弱かつ貧困の感が否めない。おそらく、道を掴めていないに違いない。

私は、武道を極めるということは、自分の殻に閉じこもることではなく、自己を開いて行くことだと考えている。なぜなら、武道とは、人間探求に他ならないと考えるからだ。

つまり、自己(本体)を開き、自分(意識)を拓いて行くために、武道がある。

不遜な物言いだが、これからの日本は、世界との交流を深め、日本人を拓いて行くべきだと私は思っている。

具体的には、日本人が有する偏見を減少させること。その上で、他国と日本との共通項及び普遍性を追求することである。日本人ならできる。また、日本人が世界に貢献できることが多くあると思う。なぜなら、日本ほど外国の文化を取り入れてきた国はないと思うからだ。

勿論、他国の人と、ただ交流すれば良いということではない。

補足を加えると、私が先述した自己とは、自我の本体である心を指す。そして、自分とは、その自己と自己が住みついた身体によって形成された自我を指す。

私は、世界中の人の心に内在すると思われる、良心を武道により活性化させたい。
私の武道論には、異論を唱える人も多いだろう。しかし、古の武人と語り合えば、必ず私の考えと共鳴すると思う。