大会の準備もピークだ。
より善いものを目指し、妥協が嫌いなのは、私の性癖だ(もちろん、現実は妥協もする・・・しかし、とても辛い)。
昨日から海外の選手との問題で5時間以上は時間を費やしている。
海外との選手との問題というのは、フランスの選手ではない。フランスは全く問題ない。しかし、その他の国の選手との間にミスコミュニケーションがあった。
このことについては、今は詳しく語りたくない。そんな時間があるのなら、大会の宣伝をしなければならないからだ。
今回の大会における私の仕事量は、かなりの量になる。若干、能力アップをしているからこなせるが、10数年前に始めて大会を主催したときよりもはるかに多い。
正直言って、まだ60%だ。おそらく、いい加減な性格なら問題ないのだと思うが、私は凝り性だ。今も理想にはほど遠い。
ここ1週間、あれもこれもと、業務が集中している。
気がついてみると、私の目には隈が・・・。
そんなことより、今回中量級に出場する、青木亮(あきら)選手について報告する。
青木選手は、キックと日本で行われているムエタイ、M-1の元チャンピオンだ。
現在はゴールドジムの正社員として、格闘技エクササイズや、トレーニングを教えている。彼のいるゴールドジムには、私も体調管理のために通っている。
最近、彼が試合に参加する関係もあり、良く言葉を交わす。
彼は、既に引退を決めているが、いつも格闘技に恩返しをしたいと言う。
子供の頃、空手をやり、そしてプロのキックボクサーになったそうだ。
総合格闘技のリングにも上がったことがあるそうだ。
見た目、格闘家には見えない。顔は優しく、物腰も柔らかい。いかにも、と言った感じがない。
今日、彼と話す機会があった。彼の友人達が試合の応援に、遠くは岩手や宮城から駆けつけてくれるというのだ。
彼は、震災で落ち込んでいる東北の友人を、自分が立ち上がることで励ましたいと、そう私に語った。
キックのチャンピオンがそんな思いで試合にでてくれるのかと思うと、とても責任を感じると同時に、勇気をもらったような気がした。
青木氏とそんな話をしている傍で、ゴールドジムの会員が大会観戦用のカードをもらっていった。青木氏を応援したいということらしい。
何か、大会が楽しみになってきた。
もちろん、大会に参加する理由は様々で良いと思う。しかし、本大会並びFKプロジェクトの意義は、空手や格闘技の可能性を拡げることだという事を、是非、理解して欲しい。
また、それには、未知への挑戦、否、未知への冒険が必要だということも理解して欲しい。
私は思う。人間並びに人類が進歩してきたのは、いつも未知の領域への挑戦、冒険によるものだったのではないだろうか。
一方で、変化を恐れ、また面倒くさがる人間のこころがある。私にもそういうところがある。
私は時々、幼い頃、数人の友達と一緒に探検ごっこをしたことを思い出す。
そのような遊びは、私の最も好きな遊びだった。
それとFKプロジェクトが一緒だと言うと、誤解を生むに違いない。
しかし、実はそうかもしれないとも思う。
FKプロジェクトは遊びだ。しかし、その遊びとは、皆さんが考えている遊びの概念とは異なる。
私は知的好奇心が強いので、難しい話が好きだ。しかし、難しい話は、通常いやがられるので、少しだけ書いておく。
昔、オランダの学者、ホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」を読んだ。
私は、フリースタイル空手の構想をまとめている最中、その本にとてもインスパイヤーされた。
ホイジンガの考えは、「遊びは文化である」というような何処かのコマーシャルとは全く違うものだ(その言葉はホイジンガの著書からインスパイヤーされたと考える)。はっきり言って、それはホイジンガに対する無理解と冒涜に近い。まあ、ギャグなら許せるが・・・。
私の理解は、人間の営みのあらゆる事物に先んじて、遊びという要素があるというものだ。さらに私は、遊びとは、冒険という概念と強い連関性があるというように考えている(いずれ、スポーツと武道について論文を書きたい)。
話を戻せば、私も含め、先行きの見えない状態は不安だ。しかし、青木氏が東北の友人を励ましたいというのも、「未知の明日、そして未来に立ち向かっていこうよ」というメッセージに違いない(違うかもしれない・・・)。
私は、それが人間が生きる上で最も必要な生命力の源泉だと思う。
「農耕民族は〇〇だ・・・」なんて、誰が言うのか知らないが、ステレオタイプの言説で、決して根源的、普遍的な事ではないと思う。
より根源的、普遍的なことは、未知の領域を恐れると同時に、それを開拓し、克服していく魂のようなものを人間は有するという事だ。
今、そんな勇ましいことを言っている私だが、今回が最初で最後の大会になることも覚悟している。
詳しくは書かない。しかし、考えてみれば、「新しい始まりは、何かの終わりで、何かの終わりは、新しい始まりではないのか」。恐れることはない。いざとなれば、執着を捨て去れば良い。
何はともあれ、私は最善を尽くす。
是非、心ある多くの人の観戦、来場をお願いしたい。また、選手の皆さんには、試合を楽しんでいただきたい。
