フリースタイル空手日誌 2012-9-24 | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める

フリースタイル空手日誌

右肩を少し痛めたようだ。昨日、私の道場の昇級審査会の後、フリースタイル空手の技術の撮影をした。

夜は、国士舘大学,レスリング部監督の朝倉先生と食事をする約束をしていた。朝倉先生は、私の良き協力者である。私は、急いで、撮影を済ませようと無理をした。

一度に、いくつものことをこなそうとするのは、私の悪い性癖である。
何十年も反省をしているのに、なぜ学習しないのだろう(馬鹿だから?)。

私は、フリースタイル空手の技術映像を、どうしても撮りたかった。
なぜなら、フリースタイル空手競技に参加する選手達全員が、様々な格闘技の技術を基本に取り入れ、新しい技を工夫する。そのプロセスにこそ、フリースタイル空手プロジェクトの真の意味があると考えているからだ。


それを、キーワード的に語れば、「試合を楽しむ」「普遍性を掴む」ということになる。そして、楽しさについてだけ述べれば、思いっきり相手を蹴っ飛ばすことによるストレス発散に留まってはいけない。そのような要素も必要かもしれないが、それは、武道ではない。また、スポーツでもない。

試合を通じ、自己と向き合い、他者を理解する。そこにあたらしい発見と創造がなされる。私は、そのような体験が楽しさを生むのだと考えている。「普遍性を掴む」ということについては、いずれ話したい。

さて、10月のフリースタイル空手の大会は、様々な空手の流派が交流する。
その交流が実りあるものになるには、多様な技術の存在を理解していることが必要だと思う。さらに、それが使えるようであれば、なお良い。

私が、昨日、撮った映像は、“掴み”を使った技と足を取る技(タックル)などである。フリースタイル空手では、スタンディングポジションに限り、突き技、蹴り技、投げ技の使用、すべてが認められている(手による顔面への攻撃以外は)。

大会に参加する選手は、空手をバックボーンとする者が多いが、その中には、キックボクシンの選手や総合格闘技の選手もいる。
断っておくが、フリースタイル空手競技の目的は、どの格闘技が強いかというような好奇心ではない。

フリースタイル空手競技は、戦いをスタンディングポジションの局面を限定する。ゆえに、倒されたら、限りなく負けに近くなるという、厳しい条件を課す。

そのことにより、柔道が封印した、当て身(突き技)が使用可能な状況における、投げ技の訓練が成立する。それによって、投げ技が更に実戦性を帯びて来るのだ。同時に空手が封印した組技を小可能にした状況における打撃技の訓練としても成立する。つまり、フリースタイル空手は古くて新しい武道修練の方法なのだ(原点回帰でもある)。先日、出会った、パンクラス社長の酒井氏流にいえば、“ハイブリッド”ということである。増田章流にいえば、”fusion(フュージョン)“だ。

さらに言えば、柔道では見られなくなった柔術(古流)の技が、フリースタイル空手では有効になるだろうと考えている。同時に現代空手が捨てていった、様々な古流の技が蘇生する。

10月の大会には、自衛隊の徒手格闘の教官が出場する。名前は土屋雅彦。土屋氏は、フリースタイル空手を競技としてというより、より実戦的な徒手格闘の訓練法として、最適だと語る。

私は、5年前程前に、フリースタイル空手という技術書を上梓した。
その時は、競技法は、まだ完成していなかったが、土屋氏のいう、徒手格闘の訓練としての武道創出については、充分に考えているつもりだ。

土屋氏のフリースタイル空手の関する考えを、簡単にまとめた文を後で紹介したい。更に、徒手格闘についての私の見解、そして、選手としての土屋氏のすばらしさもまとめてみたい。







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