「2012年 年末年始に考える」
昨年の12月8日以来、ブログの更新である。
私は、昨年11月のフリースタイルカラテの大会後、休む間もなく、フリースタイルカラテのセミナーのためイタリアを訪問した。
帰国後は、フリースタイルカラテ・プロジェクトの修正をしていた。修正内容は、ルールや審判方法の改善点の確認や来年のプロジェクトの実施に関する準備である。また、その合間に自分の道場のシステム改善の準備をしていた。
そのような中、私の身体の変化が顕著になってきてしまった。その変化とは、私の両足にかゆみが出てきたことだった。
その「かゆみ」の原因は、足の静脈の弁の機能不全による、血液の滞留、すなわち血行不良によるものだった。かかりつけの医院に紹介してもらった大学病院の血管外科での診断結果である。
私は、大学病院の先生との相談し、下肢静脈の手術を決めた。
その内容を簡単に記述すれば、動脈によって送られた血液を心臓に戻すという静脈本来の機能が低下、或は停止し、静脈瘤ができている血管を手術によって、抜き取るというものだ。
手術を決断したのは、この先、状態が悪くなることはあっても、良くなることはないということ。そして、簡単な手術なので心配はいらないということだったからだ。
しかし、一瞬、頭をフル回転させなければならなかった。それは、手術可能な日時は、年始の4日が最短で、その日以外の場合、しばらく調整をしなければならないということだったからだ。
年末年始は、フリースタイルプロジェクトの事後処理や自分の道場のシステム改善など、仕事が山積していた。
しかし、手術を先送りすれば、更に仕事に支障をきたす恐れがあると私は判断したのだ。
急遽、予定を組み入れたことで、年末は各種検査などや入院のための準備が必要になり、大変だった。私は、年始の3日から入院し、翌日の4日に手術を受けた。
入院は5日間と短期であった。今回で4回目の入院体験である。百人組手後の急性腎不全の時の1ヶ月の長期入院から比べれば、短期入院でストレスはほとんど無いに等しい。
しかし、短期間ではあったが、4回目の入院からは、様々なことが学べた。
正月の病棟には、私と72歳のSさんという男性がいるだけであった。
その男性は、動脈の手術を18時間かけて行なったという。
原因は糖尿病によるものだという。70針の足の縫合痕を見せてくれた。糖尿病は50台前半の頃から、さらに58歳の時に心筋梗塞もあったという。
しかし、見た目は元気がありそうで,とても大病をされている方には見えなかった。また、とても気さくな方で、色々と話しかけてきてくれた。大病にも関わらず、暗い表情は見せない。
最近、私は年寄りの話を聞くのが好きになっている。昔の話や、様々な経験談が興味深いからだ。
その方の話から、ストレスとタバコが血管を悪くするということ。暴飲暴食が良くないことなどを確信した。
もう少し詳しく書けば、Sさんは、若い頃、陸上の選手で、50歳までは走ることは得意で筋肉質だったらしい。また、下戸で酒は飲まないらしい。そして、若いとき肥満だったという訳ではないそうだ。ただ、酒席のみならず普段からコカコーラを愛飲し、タバコが好きだったらしい。
つまり、ストレス、喫煙、糖分の過剰摂取が良くないということだと語っていた。私は、そこに遺伝という要素が加わることもあると思う。
おそらく、ある程度の年齢になれば、誰もが健康に関して考えることだろう。私は考えない方だったかもしれない。徹夜などの無理を最近までしていた。
私は、Sさんの話を聞きながら、人間はどんなに強靭だと考えていても、加齢と共に衰えていく。そして、病気になれば、その克服は並大抵ではないと思った。私は、明るく大病の話をされるSさんの気力に感服しつつ、同じ境遇になったら耐えられないかもしれないと病院のベット上で考えていた。
私の病気とその手術は、Sさんに比べれば、軽いものだ。しかし、私も16カ所を切開し、血管を抜いたり、縫合したりしたようだ。
私は1月4日に手術をした。術後、麻酔により、下半身が動かなかった。脚が動かないというのは大変だった。私の体重からすると、脚の重さはかなりある。下半身が動かず、寝返りが打てないということは、とてもつらかった。術後の夜は、寝返りを打つために看護師さんに大変お世話になった。
腎不全の時もそうだったが、大学病院の看護師さんは大変な仕事である。特に夜勤は大変である。入院するたびに看護師さんになる人は立派だなと思う。
看護師さんのみならず、時に18時間以上もの手術をこなす医者というのも凄い仕事だと思った。私の執刀医は、Sさんの18時間にも及ぶ手術の執刀医であった。
その物腰や雰囲気からは、一人前の医師になるための長期にわたる勉学を経てきこと、そして多くの経験等から来ると思われる、見せかけではない真の自信を感じた。
術後、75歳のKさんが入室してきた。それで私の病室は3名になった。Kさんは、上半身の動脈瘤の手術だそうだ。Kさんも心筋梗塞があり、ペースメーカーが入っている。
Kさんは、若い頃証券マンで、かなり無理をされたらしい。Kさんも若い頃は、柔道とボートの選手だったそうだ。Kさんは現役時代、ヘビースモーカーで、一日に3箱から3箱半程、吸っていたらしい。
Kさんも重病にも関わらず、明るく、若々しい感じがした。おそらく、子育ても立派に終え、奥様も元気だからであろう。
子育てを立派に終えというのには理由がある。Kさんの息子は、慶応大学を卒業し、早稲田の理工学部で博士号を取得した秀才のようだ。現在は、某大手製薬会社の研究所で新薬を開発しているそうだ。また、最近インフルエンザの新薬を開発されたらしい。
私は、後学のためにと、息子さんについて、色々お聞きした。自慢の息子さんのようだ。私は、家族の自慢(笑い)を聞くことが好きだ。
中には、自慢話は嫌いだという方もいるかもしれないが、私は微笑ましく思う。何より、心が温かくなるのだ。
無論、過度の脚色がある場合など、例外もあるかもしれない。しかし、Kさんのご子息は、本当に優秀なのだと思った。
私は、Sさん、Kさんのお話を聞きながら、少々焦りを感じてきた。せっかちは、私の悪弊だと自覚しているが、自分の頑張りが足りないというように思えた。同時に、自分の分際をまだ知り得ていないという反省が頭をよぎる。
そして、「人間は必ず死ぬ」「大事に生きても7~80年」「無理して生きても7~80年」「後、何年生きるか解らないが、必死に戦うしかない」などと考えていた。
少し弱気になっていたかもしれないが、身体を大事にしながらも挑戦し続けるべきだと、私は考え直した。確かに身体も衰え、知力の不足を感じてはいる。しかし、もう少し頑張るしかないと思う。
そのようにベットの上で考えていたら、段々気が重くなってきた。また、術後の感じも、すぐに練習できるというものではないようだ。
同じ姿勢、イスに座り続けるのも良くないようだ。ゆえにデスクワークも気をつけなければならない。
再発すれば、何のために手術したのか解らなくなる。それでも、少しずつ身体を動かしていかなければ仕事ができない。「えい」と気合いを入れ、「可能な限りやるぞ」と自らを鼓舞する。
新年早々、真面目過ぎる話だが、私は、再度自分に焼きを入れ、叩く作業をするつもりだ。ただ、折れてしまうかもしれない自分も覚悟しなければならないと考えている。
これまで言い表せない程、我が脚を酷使してきた。片一方の半月板は、既になく、もう一方の半月板は35年以上も前から損傷したままで具合が悪い。
我が脚は、よくぞ酷使に堪えたものだと思う。あらためてお礼を言いたい。
同時に、もう一度我が身体に御願いしている。「私は是が非でも人間と社会により貢献することのできる"空手道"を創りたい」「もうしばらく付き合ってもらえないか」「あなたが最大の協力者であったことをあらためて自覚した」と。
今度は、大切に扱わなければと、そんなことを考えた年末年始であった。