経営事例 ~その5・アサヒビール②~ | 『 経営者のための 世界一やさしい負けない経営の授業 』 

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こんにちはヽ(´▽`)/



『リスクを制する者は経営を制す!

 経営リスク管理マスターの千葉圭三です。』




暖かい日が続き、春がそこまで来ていることを

感じさせてくれています。

梅の花や早咲きの桜、鮮やかでとても綺麗で、

自然の美しさにはかないませんね(^_-)-☆




さて、今回は前回に引き続き、

経営事例~その5~の“②”

アサヒビールの経営戦略になります。



前回、45年ぶりにビール業界の首位を奪還した

アサヒビールの奇跡を書きました。


では、長く低迷していたアサヒビールが、

どのようにして飛躍したのか?



1986年3月に樋口氏が社長に就任する。

その前任の村井氏が、主力ビールを味もラベルも

一新した「アサヒ生ビール(通称コクキレビール)」に

切り替える準備をし、その発売直後のタイミングで、

勢いをつけるために強力なトップダウン経営が必要と考え、

樋口氏に引き継ぐことにした。



この時期、村井顧問と樋口社長が行ったのは、

旧商品の全数回収だった。


旧商品の市場在庫を全て買い戻し

代わりに新しい

「コクキレビール」

を店に置いてもらうようにした。


その回収と廃棄にかかった費用は、

当時のアサヒビールの利益約1年半分を

軽く吹っ飛ばすほどであったが、

市場に古い商品が混在しては

新ビールの発売のインパクトが

弱くなると考え、断行した。


そして、工場で製造後20日を超えた

ビールは出荷しない!



店頭で製造後3ヶ月以上経過した

ビールは回収する!



と、いうルールを作った。


もう一つ、新たな試みとして、

「100万人大試飲キャンペーン」

を行い、桜前線とともに日本全国を

イベントカーで横断し、

街頭で試飲してもらった。



この「コクキレビール」がヒットして、

シェアを落とし続けていたアサヒが、

ついに上昇へと転じていった。


「コクキレビール」は好評だったが、

発売から約1年後に第2弾として、

よりキレを強調した

“さらりとした飲み口、アルコール度

ちょっと高めのいわば辛口”の生ビール

「スーパードライ」

が発売された。


「コクキレビール」と共食いするのでは?

と心配する声も多かったため、

販売地域を関東地方のみ!

年間販売数も100万ケース!

と、限定条件で発売を許可されたが、

それをいい意味で裏切られ、

発売してわずか1週間後、

品切れに近い状態になり、

経営会議で全国販売と大増産が議決された。


その決断の速さもあり、

この年、アサヒ全体の販売量も

前年比34.4%増という大幅な伸びを記録した。



翌年には、競合各社が一斉に

“ドライビール”

を市場に投入することになる。


が、これに先立ち、キリンとサッポロの

ドライビールが「スーパードライ」に

酷似する。と両社に警告書を送った。


これが「ドライ戦争」として

メディアに大きく取り上げられたのと、

社内の士気が、アサヒの正当性を

経営トップが先頭に立って主張したことで

大いに高まった。


このことがあり、

逆に「スーパードライ」を強力な商品に

育ててしまい、一人勝ち状態となる。


最終的に年間販売量は前年の5倍以上になり、

売上も前年比73%も伸ばし

シェアでもサッポロを抜いて2位に浮上した!


ここから、積極的に設備投資をしていきながら、

新商品をどんどん出していく。


「Z」、「ほろにが」、「スーパープレミアム」、

と立て続けに出していくが、

キリンの新商品「一番搾り」が好調を維持し、

逆に「スパードライ」の売り上げを

落とす結果となってしまう。


90年以降のアサヒはシェアの伸びが止まり、

停滞してしまう。


この後、1992年9月に社長の座を

樋口氏から瀬戸氏へと交代することになる。



この話は、またこの次に書く事にします!

お楽しみに(^o^)/