御詠歌 極楽の宝の池を思えただ黄金の泉澄みたたえたる

本尊  釈迦如来

真言  のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

宗派  高野真言宗

開基  行基


お寺の歴史・全体像

聖武天皇勅願により天平年間(729~749)に建立。当時は金光明寺と言われていたが、のちに弘法大師巡錫中に水不足で悩む地元の住民の声を聞き、大師が井戸を掘りました。すると霊水が湧き出たため、その素晴らしさに感動した大師は堂宇を建てて金泉寺と改称しました。その後亀山天皇が金泉寺を崇拝し、京都の蓮華王院にならった三十三間堂を設立、さらに千手堂を安置して、山号を亀光山と称したそうです。天皇は勅願の道場として経蔵を造り、日本各地から学僧を集めて講演を行い、寺は大いに栄えました。その頃の規模を知る資料として、東門、南門等が記された古図面が寺に伝わっています。また皇室との関係はそれ以降も深く、南北朝時代に南朝の長慶天皇が晩年をこの寺で過ごし崩御されたという伝説も残っています。

平成8年に完成したばかりの朱塗りの仁王門をくぐると、左手に鐘桜、右手に八角形をした色鮮やかな朱塗りの観音堂が見えてきます。本堂左側にある護摩堂の格天井は美しい花鳥が掛かれていて見所の一つです。山を背景に正面に本堂、右手には歴史を感じさせる古い瓦の大師堂、その奥には黄金地蔵尊堂が建っています。


お寺について

本堂

寺の正面に位置する本堂は、なだらかな瓦屋根の落ち着いた印象です。天平の兵火で大師堂以外の諸堂が焼失したので、現在の本堂はその後復興されてからのものです。本尊は三尺の釈迦如来で、脇仏の薬師如来の三尊ともに行基の作と伝えられています。


黄金の井戸

観音堂の右隣の小さな祠にあるのが、黄金の井戸と地蔵尊です。寺名の由来ともなった井戸は現在でもこんこんと湧き出ていて、この井戸をのぞき込み、影がはっきり映れば長寿、ぼやけていると短命という言い伝えがあります。参拝者は井戸の傍らに座っている地蔵さんは、北向き地蔵と呼ばれ、首から上の病気に霊験があるといいます。自分の悪い場所と同じ所をなでながら、願をかけるといいそうです。


弁慶の力石

源氏と平家が真正面から戦った寿永4年(1185)の冬、平家を打ち落とそうと屋島へ向っていった源義経一行が、戦勝祈願をすべくこの寺に立ち寄りました。その時に弁慶が持ち上げた石が「弁慶の力石」。大事な一戦を控えた義経が、弁慶の人並み外れた力量を自軍の兵の前に示し、士気を鼓舞したという、言い伝えの巨石で、普通の人ではとうてい手も回らない大岩。現在は境内の西隣の庭園の角に置かれています。

御詠歌 極楽の弥陀の浄土へ行きたくば南無阿弥陀仏口ぐせにせよ

本尊  阿弥陀如来

真言  おん あみりた ていぜい からうん

宗派  高野真言宗

開基  行基


お寺の歴史・全体像

三方を山で囲まれた閑静な雰囲気の中に位置し、もともとこの地方は古くから開かれた土地で、寺の裏山からは旧石器時代の遺物が多数出土されています。一番札所と同様に行基が寺を開基し、弘法大師がこの地で21日間修業、その結願の日に現れた阿弥陀如来の姿を彫刻し本尊とし、八十八ヶ所の第二番札所に定めたようです。戦国時代に各地で兵火が起き、極楽寺も土佐の長宗我部氏の攻撃を受けて焼失。再建には時間がかかったが、信者の努力もあり、万治2年(1659)には現存する本堂も再建されました。

鮮やかで、一段と目を引く門をくぐると境内が広がる。願掛け地蔵や、石と樹木を上手く配置した庭園。本堂と大師堂は庭園先の小高い丘の上にあり、その下には観音堂、薬師堂、鐘桜、大師お手植えの「長命杉」、仏様の足型を型どった「仏足石」などがあります。数多くの宝物の中でも、宇宙における多くの「仏」、「菩薩」を配置した絵図「両界マンダラ」は、宇宙における真理を最高の調和で表現したものです。南北朝時代のものと推定され、県指定重要文化財に指定されています。

お寺について

本堂

44段の階段を登った所にある本堂。堂内に安置されている本尊の阿弥陀如来は坐像で、国の重要文化財に指定されています。昔、この仏像から差す光が遠く海まで達し、それに魚が驚き逃げてしまったので不漁続きとなり漁師たちは困り果ててしまいました。そこで漁師たちは阿弥陀様にお願いして、本堂の前に小山を築いて光りを遮ったという伝説があり、ここから山号が由来されています。本尊は、慈愛に満ちた素晴らしい顔と評判だが、秘仏のために公開されていません。


安産大師

この寺の大師堂は安産大師とも呼ばれていて、子宝に恵まれない人には子宝を授けてくれ、妊娠した女性には安産させてくれるというご利益があるようです。それにはこんな逸話があります。明治の頃、大阪の女性が大師の夢のお告げによって四国遍路を始めたが、ここにくると急に産気づいてしまいました。しかし大師の再度のお告げによって、最後まで巡礼を続け帰宅し、無事男の子を出産。その後お礼詣りをしたことから、安産祈願の人が絶えないようです。

御詠歌 霊山の釈迦のみ前にめぐりきてよろずの罪も消えうせにけり

本尊  釈迦如来

真言  のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

宗派  高野真言宗

開基  行基菩薩


お寺の歴史・全体像

四国巡礼の第一歩を踏み出す天平年間(729~749)、聖武天皇の信頼も厚かった行基が、天皇の勅願により開基。その後弘仁6年(815)、弘法大師は人間のもつ八十八の煩悩をなくそうと、この地を21日間修法している時に、数多くの菩薩が一老師を囲んで熱心に法を開いている光景を目の当たりにしました。釈迦如来がインドの霊鷲山(りょうじゅざん)で説法されていた様子にあまりにも似ていたことから、インド(天竺)の霊山を日本に移すという意味からこの名が付き、仏教五穀の法則に従って、四国を右回りに巡る遍路道を創って1200年余りになります。現在では、発願の寺・一番さんなどに親しまれています。境内に入ると、左手に多宝塔、左手に鯉が泳いでいる泉水池、その斜め奥に大師堂があります。参道の正面、階段を登ったところには、一見して古刹といった堂々とした本堂が建ち、中には本尊の釈迦如来が安置されています。この釈迦如来は左手に玉をもっている坐象で、弘法大師の作といわれています。広い境内はいつも多くの参拝で賑わっていて、休憩ができるように所々にベンチが設置されています。


納経所は本堂横と大師堂裏にあり、どちらでも札所巡りに必要な遍路用具を全て揃えることができます。また、寺では3月21日から10日間、和歌山から「接待講(せったいこう)」の人達が大漁旗をたて船に乗ってやってきて、お遍路さんに果物やお菓子などを配り接待するという習わしが今でも続いています。お遍路さんを接待するという風習は、四国霊場独特のものと言われています。この期間、寺は一段と賑やかになります。その他、正月三箇日は正月護摩祈祷、2月節分は星祭り、厄除け祈祷、4月第一日曜は釈迦誕生会、青葉まつり、花祭り、6月15日は大師誕生会、青葉まつり、毎月1日は護摩祈祷、毎月21日は御影供が行われます。


お寺について

多宝塔

天正年間(1573~1592)長宗我部元親の攻撃で堂塔は炎上。再建されるが、明治24年(1891)に、本堂と多宝塔以外を残し再び焼失。大部分は近年の建築であるが、応永年間(1394~1428)に建立され、すでに600年近い歴史を持つ多宝塔は古格を持つ建物です。


縁結び観音

仁王門を入ってすぐの所にある縁結び観音は、男女の縁でなく、健康との縁、幸せとの縁、仕事との縁など、様々な縁との結び付きに御利益があるとされています。お賽銭を入れて願い事をするのもいいが、水でお清めしながら真摯に祈れば功徳が得られるといわれています。