自燃へと導く人 | kantoku's ブログ

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バスケと子供たちを愛する人たちへ

教え子に貸したっきり返って来ない稲盛和夫さんの著書「生き方」の中に、僕がよく使わせてもらう言葉があるのです。


それは、「自燃性の人間・可燃性の人間・不燃性の人間」という言葉です。


「自燃」という言葉は辞書には出て来ませんので、おそらく稲盛さんが作られた造語なのだと思いますが、簡単に説明するとこういうことです。


自燃性の人間・・・自分から率先して物事に取り組み、エネルギーを周囲に

           分け与える人


可燃性の人間・・・既に燃え上っている人(自燃)の影響を受ければ燃え上れる人


不燃性の人間・・・周囲からエネルギーを与えられても燃え上らず、むしろ周りの人から熱意や情熱を奪う人


僕は、これも一昨日書いた「天命追求型という生き方」と関連して言えることだと思うのです。

自燃性の人間でないから、環境に左右されてしまうんだと。


自ら進むべき方向性を決めて、ひとつひとつ目標を定めて、それに向かって邁進する人間。

誰から言われたのでも、頼まれたのでもなく、自分の意志で、その信念に従って動く人間。

子供たちを、そういう「生き方」のできる人間に育てなければならない。


僕が長年監督をしてきて思うことは、「最初から不燃性の人間なんていない」ということなのです。


手前味噌ですが、監督としての僕は、絶対に自燃性の人間です。

チーム内の誰よりも熱く妥協しない人間、それは誰もが認めることだと思います。

もしかしたら日本一熱いミニバス監督かもしれません。σ(^_^;)


その僕と出会って、共にNo.1を目指して日々頑張っている子供たちに、不燃性の空気を持った子など1人もいません。

いや、今まで会ったこともありません。


もし、稲盛さんが仰るように「不燃性」という人間がいるんだとしたら、大人に成長する過程でそうなってしまったんだと思うんです。


夢や目標を持ち、それに向かって仲間と力を合わせて、泣いたり笑ったり、負けて落ち込むことや、勝って大喜びすること、挫折や達成感、そんな生きてるって感覚を味あわないまま大人になっってしまった人なんだろうなって。


指導者の仕事って(ボランティアですが)、それを子供たちに体験させて、辛く苦しいことは、頑張って乗り越えたとき、必ず大きな喜びに繋がっているということを伝えることなんだと改めて思います。


今年の春、新チームスタートの日に、子供たち全員で話し合って、「今年も全国を目指すと決めたので、よろしくお願いします」といった子たちが今、自分たちの意志でその夢に挑戦しています。


自燃性が芽生え始めたこの子たちを、立派な大人に「導く人」。


そんなcoachで僕はありたいのです。