天命追求型という生き方 | kantoku's ブログ

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バスケと子供たちを愛する人たちへ

今日はちょっと長くなります。


先日、「博多の歴女」として有名な白駒妃登美さんの講演会に参加させて頂きました。


日本人には日本人のDNAならではの素晴らしい生き様がある。

それを歴史上の人物のいろんなエピソードから学ぶという素敵な講義で、紀事本末体というか、出来事の裏にある人物の心の葛藤をドラマチックに表現するその内容は本当に素晴らしく、感動と涙で終わりと共に参加者は大拍手でした。


僕も以前、歴史を題材に「人間学」を勉強したことがありますが、そこで学んだ価値観が、今の僕の「指導理念」の根底にあるのです。


それにしても歴史は面白いですよね。

皆さんもぜひ白駒妃登美さんの著書「人生に悩んだら日本史に聞こう」を読まれてみてはどうですか。


「日本人でよかった!(^O^)/」と思いますよ!



前置きはこの位にして、実はその講義の中で、豊臣秀吉のエピソードが出てきたのです。


豊臣秀吉がなぜお百姓さんから天下人まで登りつめたのかというお話です。

僕は前に「川藤語録その2」の中で、「まったく論外な目標を試練と感じることなんてできない」と書きましたが、この秀吉の出世はまさにその論外な目標じゃないかと。(@_@)


白駒さんはこう話されました。

「秀吉は最初から天下人を目標にはしていたわけではありません。

ただ目の前のやるべきことに全力を尽くし続けたら、次々に扉が開き、いつの間にか天下人に辿り着いてしまったんです」と。


それは秀吉が「目標達成型」ではなく「天命追求型」だったからなんだと。


その話を聞きながら、僕は過去に感じた自分自身のある悩みと照らし合わせていました。


教え子が卒業して、上で目標を見失い、輝きを失っていると感じたことはありませんか?

全国を目指し、あんなに日々熱く闘った子たちが、今は冷めきってしまっていると感じたことが。


勘違いされると困るので言いますが、現状のことを言っているのでも、バスケに限って言っているのでもありません。


小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学でもあるでしょう。

環境が変わり、それに左右されて目標を見失うということが現実に起きていませんか?とお訊ねているのです。


僕にはそう感じた経験が何度かあります。


白駒さんのお話を聞きながら、今までの自分の指導は間違いなく「目標達成型」だったなぁと感じたのです。


もちろん言葉では、「全国制覇が目的ではない!」と言い続けています。

しかし、目標(全国制覇)達成のために今何をするのか、必死になってそれを追い続けて来たような気がします。


だから、目標が見えにくくなった瞬間に現状に冷めてしまう子がいたんじゃないかと・・・


目標とは「ゴール」ではなく、「通過点」でしかありません。


出会ったバスケットを日々全力で頑張り、上手くなって好きになって、必死にやっていたら、いつの間にか「全国大会」のコートに立っていた。


人生の成功もきっと同じプロセスなのだと思います。



「生きる」ことは、今の環境(天命)を精一杯生き抜く(追求する)こと。


改めて、指導について考えさせられた日でした。