不祥事を起こした会社が『世間をお騒がせして申し訳ない』という記者会見をすることがある。この『世間を~』というセリフ、英語やドイツ語に翻訳できないのをご存知でしょうか?
明治維新に伴い、海外からもたらされた言語が日本語化され、ボキャブラリーが飛躍的に増えました。その中で生まれた言葉として「個人(Individual)」「社会(Social)」という言葉が生まれました。英語には「世間」という言葉が存在しないそうです。
日本人は、個人よりも世間を尊重してきました。世間に依存していたとい表現が適切でしょう。
たとえば、会社の中で飲み会をするときは、「まずはビール」というのが常識ではなかったでしょうか?ところが最近の大学生は「私はモスコミュール」「僕はウーロンハイ」「私はチョコレートパフェ」などみんな勝手に注文をするそうです。「頼みたいものを頼む」というのが彼らの常識だそうです。
- 「世間」とは何か (講談社現代新書)/阿部 謹也
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■ 私たちが人間関係を選べても、相手がどのような世間に属しているか(出身校・出身地・会社・地位)を問題にして、気心の知れない人とは付き合わない。
■ 日本人は、競争社会で個性がせめぎ合う関係の中で生きるより、与えられた位置を保ち心安らかに生きたいと思いながらも、周囲を気にする。
■ 日本人は、自分以外の権威としての世間に依存して生きている。皆と共に行動する時は皆と合わせようとするし、意見を聞かれた時は他人の意見を聞きながら自分の意見をそれに合わせたりする。
西欧社会では個人の意思・尊厳を認めます。しかし日本社会においては、「世間」が基準であり、個人の尊厳は原則認めていません。これまでずっと、僕たちはそう生きてきました。
ところが、そんな日本社会を揺るがす出来事が発生しています。
①インターネットの登場により、世界中の「個」が直接つながることが出来るようになり、個人単位で、意志・思想・情報の発信が可能となった。
②グローバリゼーションの到来により、日本企業内の働き方も急速に見直され、それまで「世間」を構築していた基本前提である「年功」という発想が無くなりつつある
③「ゆとり教育」の名の下、個性を尊重し、自分の意志を持つことが大切、と教育された若者が、企業内に入ってきた。
この本は、これからの日本の未来を考える上での必読書だと思います。僕たちが無意識で「当たり前」としてきた前提条件の崩壊により、今後10年間で、日本社会は大きな変貌を遂げると思います。
もちろん、それに伴い、企業内の働き方も職場の文化も変わるでしょう。僕たち現役の世代が、環境変化に合わせない限り、取り残されてしまうのではないでしょうか?
おススメします!
