特に2月に入ってからは身体は動きますが、メンタルの調子が悪いです。
頭に浮かぶのは、このまま何にも無いまま人生終わっちゃうのかなぁという、緩やかな絶望感です。
社会に出て一人前に働きたい(曖昧な表現ですが、責任をしっかり持って働きたいってことです)のですが、とにかく時間が無い。
社会経験があまりないアラフォー主婦が就ける仕事は限られてるし、いつ働きに出れるのかも目処が立たない。
それでも時間は決められた通りに過ぎていく、という焦りがあります。
資格を取りたいですが、メンタルのバランスが取れないので記憶力に波があり、あまり難しい資格にはチャレンジできそうにはありません。
そう思い悩んでいても時間は過ぎるし、身体の痛みに耐えても時間は過ぎるし、過敏性腸症候群が再発気味(薬に頼るまでではない)でお腹の調子が悪くてぐったりしていても時間が過ぎる…
助けて!って心から叫んでも、何とかしなきゃいけないのは自分自身…
でも、やりたいことはあるのに、出来ることはあまりにも限られてる…
そうすると、ふっと頭に『死』がよぎります。
今の先生に出会って、適切な薬を処方して貰えて、嵐のような自殺願望は無くなりました。
7年ぶりくらいに来た、死の予感です。
でも、死んで人生リセットになることなんてない。
死んだらゲームオーバーで、やり直しなんて出来ない。
仮に生まれ変わりがあっても、次の人生、それは今の私じゃない。
だから、死に逃げる意味なんて無い。
頭ではわかっています。
でも、私の人生が無意味な物に終わる恐怖、絶望感は拭えません。
中島らもさんが著書で自殺した同級生に向けて書いた一文があります。
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』より
ただ、こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやったけど、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。
これを読んだのは、宙ぶらりんだった頃の18歳でした。
私はその時と変わらず、今でも自分の価値を低く考えがちです。
この文を引用しようと、18年ぶりに『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』を読みましたが、やっぱりこの文に元気づけられた気持ちになりました。
記憶がこの10年ずっと曖昧で、生きていて良かったって夜の記憶はありませんが、今、生きてるってことは、そんな小さい喜びがどこかにあったからなんだろうなとおもいます。
生きていればなんとかなる。
その気持ちを持つようにするしかないんだと思います。