家出のすすめ | 鬱病を乗り越える -毒親からの解放-

鬱病を乗り越える -毒親からの解放-

鬱病が快方に向かい、前向きに生きるために気付いたことなどを書いています。
鬱病、薬のこと、毒親、生い立ち、不登校など。
ブログを読んだご意見などありましたら、お気軽にいただけると嬉しいです。

18年前に寺山修司の『家出のすすめ』を購入しました。
その本の最初の方に引用されていた、石川逸子さんの『彼ら笑う』という詩にゾッとして読むのを止めてしまいました。

以下引用です

「この子は手足が長すぎる」
子を食う母 
朝に晩にバリバリと子の手足を食う母
血みどろの口と
慈愛の瞳 
「わたしはお前のためを思っている
いつもお前のためを思っている」

子は逃げる
短くなった手と足で子は逃げる
母の沼  どぶどろの臭い放つ沼から逃れようと
もがく

「誰か来て  息子が逃げる
どうかあの子をつかまえて」
髪ふり乱し  わめく母
したたる涙
子は取り巻かれる
おとなしい隣人たちが子を囲み
次第にその輪をちぢめてゆく

「食べられたのはぼくです
流れたのはぼくの血だけなのです」
「悪いのはおまえだ」「お前だ」
「ぼくの手足はぼくのものだ
僕は僕の手足を守らねばならない」
「それでも悪いのはお前だ」「お前だ」

子はひとりぼっち  味方は無い
大勢の手が彼をつかみ
またつなぐ  彼を  その母の足元近く
灰色のきつい鎖に

「ぼくはあなたを憎む」
「わたしはお前を思っている」
「ああいっそぼくはあなたを殺したい」
「わたしはお前を思っている」
うっとりと母はささやく
微笑みながら近付き
子は変わってゆく
朝に晩に手足を食われて子は変わってゆく
もう子は逃げようとはしない
彼は静かに朝焼けをみつめじっと一日の終わりを待つ
「わたしの息子  お前はやっといい子になった」
「彼は死んだのです  母さん」
「まあ  お前ったらふざけて」
上機嫌に笑う母
俯向く子

「ごらん  実にいい風景だ」
「ええ  心あたたまる・・・・・」
遠く語りあう隣人
誰も彼も笑っていた
死んだ  あるいは死にかかった  子の魂はそっちのけに
笑っていた  実に楽しげに笑っていた


当時私は18歳、高校卒業を目前にしていました。
周りは進学をするのに、私は将来が定まらないまま…
私の母親は私を進学させる気は無く、家政婦にする予定だったと思います。(ハッキリと口にはしていませんが)

私は母親のエゴで家に飼い殺しにされる恐怖を感じていたので、この詩を自分の身の上に起こっているリアルとしか思えず、読んで震え、本を本棚にしまいこみました。

あれから18年、私はその通り『家出』しました。

10年以上鬱症状に悩まされ、最近また本を読めるようになったので、もう一度この本を手に取り読みました。

さすがに今と昔は状況も精神状態も違うので、最後まで読むことができました。

寺山修司が、この本で訴えていることは、「若者よ、古い日本の家制度から離れて精神的に自立せよ!」ということでした。

この本が出た頃は、戦後の日本で社会が次々に変わって行き、新しい価値観が生まれている時代だったので、古い価値観に反旗を翻すこの本は、当時の若者を大いに扇動したことは想像に難くありません。

でも、今は21世紀になって17年、家父長制度も絶滅寸前になり、家族の形も生き方も多用になって、陰鬱な農村も少なくなり(逆に農村に回帰してる状況)、多分今の若者が読んでも「中二病」と一笑に伏しちゃうのかなぁと思いました。

ただ、子供を、精神の自立を殺す存在は未だにいます。

家という箱ではなく 、古い社会制度でもなく、毒親という存在です。

私は毒親からは逃げるしかないと思っています。

この点で言えば、私は寺山修司同様に『家出』を勧めます。

逃げたって良い。
人は生まれたからには生きるしかないんだから。


親の愛情を隠れ蓑に、親に子供がむざむざと精神的に殺されるなんて、そんなバカな話は許されないと思っています。

それでも私は中二病と言われてしまうのでしょうか?