複雑な日 | 鬱病を乗り越える -毒親からの解放-

鬱病を乗り越える -毒親からの解放-

鬱病が快方に向かい、前向きに生きるために気付いたことなどを書いています。
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ちょっとどころじゃなく遅くなりましたが、明けましておめでとうございますニコニコ
今年も宜しくお願い致しますキラキラ

今日は成人の日ですね。

私はこの日は複雑な気持ちになって精神的に不安定になりがちです。

20歳頃は人生のドン底だったのは以前書きましたが、私が成人式を迎える時は母親がマルチに有り金を全部注ぎ込んでいたので、成人式の写真も着付けはおろか、着ていくスーツすらないといった感じでした。
勿論成人式には参加していません。

だから、醜い自分の胸の内をさらけだすと、綺麗に着飾った新成人をテレビで見ると、複雑な気持ちになります。

でも、今はすっかりオバサンになったから、今さら振り袖も着れないし、着飾ってもしょうがないので新成人の子達に対して恨めしい気持ちはありません。(正直に白状すると、21〜2歳くらいまではありました)

ただ、母親に対して「この人は私を犠牲にしてまで他人に媚びたかったんだなぁ」と呆れるだけです。

私の一番綺麗だった『はず』の時、私は自殺しようとしていたし、生きる価値の無い世の中のゴミとしか思えませんでした。

母親は私の異変に気付いていても無視して、マルチのお仲間にチヤホヤしてもらうのに一生懸命でした。

ずる賢いのは、私が遠慮するのを見越して父親の前で「成人式どうする?」と聞いて私が「いらない」と言質を取ったことです。

親戚のおじさんに、成人のお祝いのお金をいただいたお礼の電話をした時、こんな自分にお金をくれるなんて申し訳なさすぎて「ありがとう」の一言が言えなかったことを未だに後悔しています。
「生きていてごめんなさい」が口から出そうでそれを止めるのに精一杯で何も言えなかったんです。
おじさんは呆れて電話をガチャ切りしてました。


当時のことを色々書き出して見ましたが、やっぱりおかしいですよね。

全く正常ではないです。

だけど、当時は私『だけ』が悪くて私が死ねば全てが精算されて綺麗になると思っていました。

まぁ、病んでいたのは私だけなので、確かに死ねばそれで終了なのは間違いないのですけど…


でも、私の存在は何?って話ですよね。


全ての人は幸福に生きる権利があると、学校の授業で習いましたが、その言葉が本当だと信じるなら、私の人生は母親の踏み台になって踏みにじられて終わってはいけない。

話してわかる人ではないから絶縁した。

逆に言うと、母親は親子の縁を切られても当然のことを私にし続けたってこと。


今日は、テレビで綺麗な着物を着て「20歳まで育ててくれてありがとう」って屈託なく答えてる子達には、私みたいな人間の苦しみはわかんないんだろうなぁって卑屈になります…

なかなか醜い胸の内ですね…

普段は大分過去の呪縛から逃れて、気持ちはフラットになりつつあるんですけど、今日は暗い気持ちになってしまいました。

それだけ成人の日って大きな節目なんですよね、きっと。

人生の節目とかお祝いとか素直に喜べる、自分のこととして受け入れられる人間になりたいです。

新年一回目の投稿が暗くてごめんなさい。