というわけで終わってしまったワールドカップ。
思い返して見ると、このサッカーバカの僕が人生で体験したワールドカップの
中で、一番観戦率が低かった。
まともに見た試合はグループリーグの日本戦3試合のみ。
その他は、テレビで録画したりして見ようとは思ったのだが、如何せん時間が
時間で。
ホントにサッカーファンとしては情けない限り。
決勝トーナメントに入ってからは、なんと一試合も見てません。
理由その1。
仕事上でトラブルが多発し、サッカーどころでは無くなった。
理由その2。
テレビの無い環境で過ごしていた。
テレビ無きゃ見れないでしょ。サッカーは。
ま、そんなこんなで日本代表も、どうにかこうにか決勝トーナメントに進んで
結果としては
「SAMURAI JAPANありがとう!」的な空気で包まれてるね。
ちょっと待て。
まずいつからSAMURAI JAPANになった?
WBCの名前だよね。それって。
事実、よく戦ってくれたと思う。特に前回大会のあの屈辱がトラウマになってる
日本人にとっては痛快な試合が続いたと思う。
今回の大会と前回の大会で一番何が違っていたか。
勿論、巷で騒がれている通りチームワークが良かったのは周知の事実。
「あの」俊輔が4試合ずっとガマンしていたのがホント不思議。
きっと能活のおかげだろう。
ちょいちょい聞こえてくるコメントに自虐的な香りを感じたのは僕だけではないはず。
ではここで。
僕はなぜ俊輔がキライなのか。
そもそも彼は僕とタメ。
俊輔がでた高校選手権の決勝も見に行った。
その時は「コイツは必ず日本を代表する選手になる」と偉そうに確信した。
だが同時に彼の独特の「線の細さ」がもの凄く気になってもいた。
「線が細い」とはこの場合、体つきが細いという本来の意味合いと、スター性(カリスマ性)
がない、、と言う事を意味している。
生まれた時代も悪かった。
彼のその前の世代は「キングカズ」「前園」がいて「ラモス」が日本サッカーを作っていった
時代。そして俊輔のひとつ上にそう「中田英寿」という強烈な存在が常に前を、ほんの数セン
チ前を走っていた。
そしてすぐその下には「小野伸二」を代表とする「79年組」(高原、稲本、小笠原、遠藤)
が彼を追い抜かんとしていた。
いわば狭間の世代。
そして彼の性格に周囲もかなり気を使っていたと言う話を良く聞く。
傷つきやすく、繊細でナイーブ。そうプレースタイルと同様、天才肌故の繊細さを全身で発揮
していた。
しかしその才能は周囲の期待を遥かに凌ぐものだった。
2002年。その当時の監督は「トルシエ」。
自らが脚光を浴びていないと気が済まない「KY監督」がトルシエだ。
彼は今まで俊輔の周囲にいた人々が心には思っていたが、決して口にしてはならない一言を
全日本国民の前で公式に発言する。
「彼はいい選手だが、人間的に問題がある」
ち~ん。
思い通りにいかないとすぐふて腐れる、人のせいにする、すぐ文句言う。
見ていて2002年の俊輔は凄く不快だった。
そしてイタリア、スコットランドに移籍。
その後の活躍は誰も文句はつけられなかった。
マンU戦のフリーキックはシビレた。
そして満を持した2006年。ドイツ大会。
勿論10番を背負い、キャリアの中でピークの時に迎えられる大会。
になるはずだった。
結果。体調不良。
この時のインタビュー。
「ヒデさんが、、、、、監督が、、、、、」
自身の体調が悪い=プロとしてコンディション調整を怠った(としか思えない)結果
には触れず。
「連動が、、、、精度が、、、、」
正直この時点で僕は彼が大嫌いになった。
勿論、日本が負けたというのもある。
中田英寿が大好きだったと言うのもある。
でもヒデは倒れるまで走ったし、力を出し尽くした。
では俊輔は、、、
以下の動画を見てもらおう。
現日本代表強化委員長「原 博美」氏の解説だ。
2010年。
俊輔はスペインに移籍する。
当の本人曰く「憧れのスペインリーグ」だそうだ。
結果は散々。
世界の真の意味でのトップリーグではスタメンはおろか、交代ですら出来ない状況。
そこで彼は、「チームのコンセプトが、、、中盤を省略した、、、、、」と自身のプレー
でアピールするのでなく、あくまでチームのせいにする。
スペイン語をほぼ話せないのにほとんど勉強しなかったらしい。
それで日本代表の為に帰国。
J復帰。
なんて残念なヤツなんだ。僕は本気で感じた。
そしてケガ、代表でもポジションを失う。
今回は集大成の大会と意気込んだはずだった。
しかし出場はオランダ戦の途中出場のみ。
しかも内容は散々。
そんで最後の最後で代表引退。
あんまり言うのもかわいそうかなとも思うが、日本を背負って「10番」つけて
エースをやるってのはそういうことなんだ。
かつてキングカズも、ヒデも、ラモスさんも木村和司さんもいろんなもん背負って戦って
きた。
エースの役割ってのは「あいつがいなきゃダメなんだ」って国民全員に思わせるのが
エースってもん。あーでもない、こーでもないって言う前に、プレーで黙らせる。
俊輔にはそれが無かったね。
マリノスでのんびり余生を過ごすがいい。
俊輔は僕とタメ。
だからこそ同世代の男として彼には本当に期待してた。
だからこそ人一倍厳しく見てたのかも知れない。
君はまだ輝ける。
頑張れ!
って偉そー(笑)
次回は岡田監督について辛辣なコメントを書きます。
乞うご期待。
massimo
思い返して見ると、このサッカーバカの僕が人生で体験したワールドカップの
中で、一番観戦率が低かった。
まともに見た試合はグループリーグの日本戦3試合のみ。
その他は、テレビで録画したりして見ようとは思ったのだが、如何せん時間が
時間で。
ホントにサッカーファンとしては情けない限り。
決勝トーナメントに入ってからは、なんと一試合も見てません。
理由その1。
仕事上でトラブルが多発し、サッカーどころでは無くなった。
理由その2。
テレビの無い環境で過ごしていた。
テレビ無きゃ見れないでしょ。サッカーは。
ま、そんなこんなで日本代表も、どうにかこうにか決勝トーナメントに進んで
結果としては
「SAMURAI JAPANありがとう!」的な空気で包まれてるね。
ちょっと待て。
まずいつからSAMURAI JAPANになった?
WBCの名前だよね。それって。
事実、よく戦ってくれたと思う。特に前回大会のあの屈辱がトラウマになってる
日本人にとっては痛快な試合が続いたと思う。
今回の大会と前回の大会で一番何が違っていたか。
勿論、巷で騒がれている通りチームワークが良かったのは周知の事実。
「あの」俊輔が4試合ずっとガマンしていたのがホント不思議。
きっと能活のおかげだろう。
ちょいちょい聞こえてくるコメントに自虐的な香りを感じたのは僕だけではないはず。
ではここで。
僕はなぜ俊輔がキライなのか。
そもそも彼は僕とタメ。
俊輔がでた高校選手権の決勝も見に行った。
その時は「コイツは必ず日本を代表する選手になる」と偉そうに確信した。
だが同時に彼の独特の「線の細さ」がもの凄く気になってもいた。
「線が細い」とはこの場合、体つきが細いという本来の意味合いと、スター性(カリスマ性)
がない、、と言う事を意味している。
生まれた時代も悪かった。
彼のその前の世代は「キングカズ」「前園」がいて「ラモス」が日本サッカーを作っていった
時代。そして俊輔のひとつ上にそう「中田英寿」という強烈な存在が常に前を、ほんの数セン
チ前を走っていた。
そしてすぐその下には「小野伸二」を代表とする「79年組」(高原、稲本、小笠原、遠藤)
が彼を追い抜かんとしていた。
いわば狭間の世代。
そして彼の性格に周囲もかなり気を使っていたと言う話を良く聞く。
傷つきやすく、繊細でナイーブ。そうプレースタイルと同様、天才肌故の繊細さを全身で発揮
していた。
しかしその才能は周囲の期待を遥かに凌ぐものだった。
2002年。その当時の監督は「トルシエ」。
自らが脚光を浴びていないと気が済まない「KY監督」がトルシエだ。
彼は今まで俊輔の周囲にいた人々が心には思っていたが、決して口にしてはならない一言を
全日本国民の前で公式に発言する。
「彼はいい選手だが、人間的に問題がある」
ち~ん。
思い通りにいかないとすぐふて腐れる、人のせいにする、すぐ文句言う。
見ていて2002年の俊輔は凄く不快だった。
そしてイタリア、スコットランドに移籍。
その後の活躍は誰も文句はつけられなかった。
マンU戦のフリーキックはシビレた。
そして満を持した2006年。ドイツ大会。
勿論10番を背負い、キャリアの中でピークの時に迎えられる大会。
になるはずだった。
結果。体調不良。
この時のインタビュー。
「ヒデさんが、、、、、監督が、、、、、」
自身の体調が悪い=プロとしてコンディション調整を怠った(としか思えない)結果
には触れず。
「連動が、、、、精度が、、、、」
正直この時点で僕は彼が大嫌いになった。
勿論、日本が負けたというのもある。
中田英寿が大好きだったと言うのもある。
でもヒデは倒れるまで走ったし、力を出し尽くした。
では俊輔は、、、
以下の動画を見てもらおう。
現日本代表強化委員長「原 博美」氏の解説だ。
2010年。
俊輔はスペインに移籍する。
当の本人曰く「憧れのスペインリーグ」だそうだ。
結果は散々。
世界の真の意味でのトップリーグではスタメンはおろか、交代ですら出来ない状況。
そこで彼は、「チームのコンセプトが、、、中盤を省略した、、、、、」と自身のプレー
でアピールするのでなく、あくまでチームのせいにする。
スペイン語をほぼ話せないのにほとんど勉強しなかったらしい。
それで日本代表の為に帰国。
J復帰。
なんて残念なヤツなんだ。僕は本気で感じた。
そしてケガ、代表でもポジションを失う。
今回は集大成の大会と意気込んだはずだった。
しかし出場はオランダ戦の途中出場のみ。
しかも内容は散々。
そんで最後の最後で代表引退。
あんまり言うのもかわいそうかなとも思うが、日本を背負って「10番」つけて
エースをやるってのはそういうことなんだ。
かつてキングカズも、ヒデも、ラモスさんも木村和司さんもいろんなもん背負って戦って
きた。
エースの役割ってのは「あいつがいなきゃダメなんだ」って国民全員に思わせるのが
エースってもん。あーでもない、こーでもないって言う前に、プレーで黙らせる。
俊輔にはそれが無かったね。
マリノスでのんびり余生を過ごすがいい。
俊輔は僕とタメ。
だからこそ同世代の男として彼には本当に期待してた。
だからこそ人一倍厳しく見てたのかも知れない。
君はまだ輝ける。
頑張れ!
って偉そー(笑)
次回は岡田監督について辛辣なコメントを書きます。
乞うご期待。
massimo
