若さの罠 | 来年から英語教師になる僕の気ままな仮免人生ブログ

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5年前好きだった人に「先生になれば?」と言われたことがキッカケで教師を目指し、この程フラれた人に「金持ちになれ」と言われたことがキッカケで死ぬ気で勉強し、本当に公立学校の教員採用試験に現役合格してしまった哀れな教師の卵の記録。


皆さん、お疲れ様です。

立冬ですね。 今日から冬ですよ。


一緒に居られるおまじないだと思って買った長袖姿はもう見れないけど冬が始まりますよ。


半袖も買っとけばよかったかな・・・






さて、こんな経験ができるのも若いうちだと思います。

正直、来年からは毎日が忙しくて他ごとに頭を回す余裕がなくなってしまうでしょうね。



若いっていいですよね・・・。

出来るならずっと若くいたい、って思う方も多いと思います。 (むしろ全員?)



では、みなさんはこの 「若さ」 をどう捉えますか?


情熱がある?

希望に満ちている?

チャレンジ精神がある?

多少のことでは疲れない?


良い事づくしですね。

これは誰でも若いままでいたい、っていうのも納得です。



ですが、僕は若さが必ずしも教育の現場に良い影響をばかりを与えるとは思っていません。

もちろん、先ほどピックアップした情熱チャレンジ精神は教育をより良くするのに大変重要なものに違いはありません。


しかし、教師があまりに若いとこんな危険性があります。



それは、生徒たちが教師に親近感を持ってしまう、ということです。


親近感を持っちゃいけないの? と思うかもしれませんが、違った言い方をすると


生徒たちが教師を友達と思ってしまう危険性がある、


ということです。




人間誰しも、年や見た目が近いと親近感が湧きます。

10月29日の記事にも書きましたが、友達感覚で近づいてきた生徒たちに対して、 「自分は信頼されている」 と勘違いする新任教師も少なくないように思えます。



実は、僕は働いている学習塾や、前回の教育実習では年齢を一切生徒たちに伝えていません。


それは、 「僕っていくつに見える?」 と問いかけてコミュニケーションを図ることにも使ったりしますが、最大の目的は生徒たちに親近感を湧かせないためです。



たとえ年が近くても、見た目が若くても、 「先生は先生、生徒は生徒」 なのです。




僕も出来るなら若いままでいたいのはホンネです。

ですが、教師として考えると、はやく年をとりたいとも思っています。




この記事を5年後に見た自分からお叱りがきそうですね。

そのころにはまた別の結論が出ているのでしょうか。