今回はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のカデンツァについてお話しします。
カデンツァとはソリストが無伴奏で自由に即興的に演奏することをいいます。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はそのカデンツァの箇所はベートーヴェン自身は音符を書いていません。
なのでその後の名ヴァイオリン奏者や作曲家が色々なヴァージョンを作っていますので、代表的なものを紹介したいと思います。
【ヨーゼフ・ヨアヒムによるカデンツァ】
19世紀のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムによるカデンツァは、技巧的にはそれほど高度ではなく、主題を生かした変奏曲としての性格が強い。
現代のヴァイオリニストの技術水準と比べると劣る部分もあり、ハイフェッツやクライスラーのカデンツァの方が興味深いです。
【ヤッシャ・ハイフェッツによるカデンツァ】
ハイフェッツのカデンツァは技巧的で明快です。
しかし、情感や叙情性は欠ける気がします。
ただし、華麗でテクニックに自信のあるヴァイオリニストなら魅力的な演奏になると思います。
【フリッツ・クライスラーによるカデンツァ】
クライスラー自身がヨアヒムのカデンツァに不満を持っていたようで自らつくりました。
【アルフレート・シュニトケによるカデンツァ】
シュニトケのカデンツァは、他の作曲家の主題を織り交ぜた面白い内容で、私の大好きなクレーメルが推している作曲家です。
エキサイティングで魅力的な演奏となっている。
シュニトケのカデンツァは本当に異端なのでもう少し細かく紹介します。
ヴォルガ・ドイツ人自治共和国のエンゲリスに生まれる。
ジャーナリストおよび翻訳家の父親は、1926年にヴァイマル共和国からソビエト連邦に移住してきたフランクフルト出身のユダヤ系ドイツ人で、母親はいわゆるヴォルガ・ドイツ人。
このためシュニトケは、少年時代からドイツ語を使う家庭環境に育つ(ただし母語はヴォルガ・ドイツ方言であった)。
1946年に父親の赴任地ウィーンで最初の音楽教育を受ける。
1948年にモスクワに転居。
1961年にモスクワ音楽院を卒業し、翌1962年から1972年まで講師を務めた。
その後は主に映画音楽の作曲により糊口をしのぐ。
後にカトリックに改宗し、信仰心が作風の変化に影響を与えるが、合唱協奏曲に明らかなように、シュニトケ自身は共産革命を経てもロシアに根付いている、ロシア正教会の力強い神秘主義に親近感を持っていた。
シュニトケは、20世紀のロシアの作曲家で西側から押し寄せてきた、現代音楽や実験音楽の渦に巻き込まれました。
このため初期のシュニトケは、ソ連当局が推奨する伝統的な作曲手法に飽き足らなくなり、新ウィーン楽派やストラヴィンスキーなどの影響のもとに、激しい表現衝動を飛翔させます。
無調、拍節感の放棄、12音技法、特殊奏法の多用、極端なポリフォニー、打楽器的な効果、新しい記譜法が取り入れました。
このためソ連官僚によって攻撃対象に選ばれたりしています。
交響曲第1番はソ連作曲家連盟から糾弾されます。
1980年には一切の出国が禁じられます。
そんなシュニトケが書いたベートーヴェンのカデンツァとしては異例です。
まずティンパニやファゴット、オーケストラのヴァイオリンが参加するなど斬新です。