サイコパスなおじさん | 浮浪人間への道 = Road to Groningen!

3月に入った。

 

冬タイヤをまだ履いている。

理由は山に出かけるため、日常生活のためではない。

ところが、先週2度も朝の出勤時に雪が降った。

雪道での運転で恩恵を受けた。

 

3月8日朝、自宅では5センチ程度積もった。

ところが、幹線道路ならばは交通量があるせいで積もらない程度。

この程度の雪では逆に普段の道路が混む結果となった。

埼玉に多い「冬でもノーマルタイヤ」の車でも走れる状況だからだ。

 

少し早く出たが、激しい渋滞に巻き込まれて遅刻しそうになった。

 

片側2車線の国道を走っていた。

激しい渋滞を抜けてようやく流れるようになっていた。

前は詰まっていたが、一時的に時速60キロは出せていた。

前車とは普段よりも車間狭めの間隔を維持して走行していた。

 

すると、自分の後ろを走っていた車が隣の左車線に出た。

あろうことか、左から前方に出てスピードを出して自分の前に強引に入り込んだ。

 

なぜこういう理解出来ないことをするのだろう。

苦労して追い越して、一台だけ前に出ることになんの意味があるのか?

しばらく先はまた渋滞なのだが。

 

遅刻しそうなので急ぐのはわかるが、それは皆同じだ。

 

そこからは怒り心頭。

クラクションとハイビームで抗議の応酬をした。

反省するどころか逃げおおせようというふうに見えたため、長きにわたって抗議を続けた。

執拗だと自分でも思ったが、あまりにも許し難い行為がゆえの抗議であった。

 

自分の目の前には車が割り込む余地はない。

そして、やむなく割り込むならばハザードをつけるなど挨拶が絶対に欠かせないはず。

割り込んで、前のめりになってブレーキを踏むという悪態も加わった。

割り込み車に典型的なのだが、入り込んから前車との間隔調整のためにブレーキをかける。

 

それは後車にとって「嫌がらせ」でしかない。

 

こんな車に対して厳重に抗議することにしている。

 

抗議は罵声に変わった。

最近、似たような状況が増えたために大声で怒鳴れるようになった。

声が張れるようになった。

 

窓を開けて怒鳴る。

ちなみに、今は丸刈りになっている。

坊主を隠すサンバイザーを取れば、海坊主のような形相になる。

これで怒鳴り散らせば、相手が失態を後悔するのに足りるだろう。

 

朝から信号待ちで怒鳴った時もあった。

その時は周囲の店舗から何事かと人が出てくることもあった。

 

今回、その先が渋滞でその車も動けない状況になった。

車線を変えて逃げようとするから、他の車にハザードで入れてもらって対象車の後ろにピッタリつけた。

そこからさらに、警笛とハイビームと罵声で抗議をした。

 

自分の車はサクシード、営業車。

「社畜のおとなしめの運転だから、仕掛けても怒ることはないだろう」と思っている節がある。

舐められる傾向にある。

よくこのような無謀な割り込みをされる。

 

なぜそう思うのか。

父の乗用車や自分のではない他の車を乗っているとほぼ割り込まれない。

だから、そう確信をしている。

 

営業車でも、現場系の営業車である「ハイエース」や「建設系トラック」などにはこういうことをしないはず。

人間が持っている勝手なイメージがそうさせているのだろう。

 

ところが、その営業車の運転手が猛烈に怒っている状況。

「小型バン営業車が激怒している」状況を見てた周囲の車の人達は思っていることだろう。

「岐阜ナンバーの黒い小型車」はいったいどんな悪行で怒らせたのだろう、と。

 

とばっちりを食いたくないと思っている周囲の車は渋滞なのに近寄らないようになっている。

ふと気づけば、この状況は「公開処刑」となっていた。

 

怒りの矛先の車は「岐阜」「黒色」「小型」「欧州車」だった。

岐阜では通用するかもしれないが、埼玉の自分には通用しないことを知れ。

 

その車は執拗な抗議の末にたまりかねたのか、小道に逃げていった。

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この出来事、職場に着いてから同僚に話した。

理解をしてくれる人、そこまでやらなくてもいいのでは?という人、賛否が割れた。

普段の自分とはあまりにも違うこともあり「サイコパス」という称号まで頂いた。

 

確かに、自分は車社会では厳しい対応をとる傾向にある。

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昨日も怒鳴ったことがあった。

相手は佐川急便の軽バン。

場所は家の最寄りの十字路。

この十字路を曲がって家に帰宅する。

 

最寄りの十字路、曲がる先に停車している配達車がいることが多々ある。

だが、そこに車が居ると曲がりきれない。

そこに配達車がいるのは自宅に隣接する集合住宅のエントランス前だから。

 

そこに停車されると狭い十字路だから曲がれないのだ。

このようなことにならないよう「交差点の5m以内は駐停車してはいけない」と道路交通法にある。

「狭い十字路」は「交差点」の1つに含まれる。

 

これまで何度もクロネコヤマト、日本郵便、その他の配達車に同様の抗議をした。

同じ抗議をし続けているせいで、怒りがすでにピークを超えている。

だから、いきなり沸点を超えての激怒で相手に接することになる。

言われた相手がドン引きしながら謝るのがよくわかる。

 

この件に関しては近々「#9110」で警察に相談するつもりでいる。

標識、あるいは道路に駐停車禁止のラインを刻んでもらいたい。

 

当初は集合住宅の管理人に抗議しようかと思ったが、やめた。

管理人にはこの問題への共感がないため、ちゃんとした解決を期待できない。

管理人は住んでいない、通いのそれであり、もちろん「常駐」ではない。

 

「仕事として周知努力をした」で終わるはずである。

せいぜい「配達業車へのお知らせ」程度にしか周知されないだろうから。

 

ちなみに、この7階建ての建築物のせいで我が家は冬の日照が午後無くなる。

家族揃って、隣接するマンションへの嫌悪はデフォルト状態でピークに近い状態にある。

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小さい頃、近所にはよく怒るおじさんがいたものだ。

なんで、そんなに怒るのかわからなかった。

 

それが今、自分がその立場を継承しつつある。

かつておじさんのことがわからなった自分だが、あの時のおじさんの意図を汲めるようになった。

 

怒るおじさんには、おそらく「正義」と「規範」があるのだ。

「正義に照らして、こうでなければならない」

「ルールを守るべき」

 

直接、対人関係ではそういうことにならないことが多くある。

対象相手が「どのような人か」によって「ブチギレ」「注意」「注意すらしない」と対応を変えるのが人間だからだ。

直接向かい合ってでは、相手次第で対応を臨機応変してしまうから。

そして本性を「オブラート」に包むこともできてしまうから。

 

ところが、相手が車に乗った人間だと、それが無くなる。

車に乗っている状況では相手が見えないから素の自分が出るのだ。

 

「車に乗ると人格が変わる」のではない。

 

おじさんはなぜ怒り・怒鳴るのかをわかってほしい。

それは理不尽を許せない・不正を許せない・状況を正したいという正義感があるのだ、いうことを。

黙って見過ごせないのだ。

同時に「沸点が低くなっている」とも言える。

 

さらに、普段上司から怒鳴り散らされているとそれが鬱積する。

それが連鎖して、他人に発散することにもつながる。

 

年配の人にはわかってもらえると思うのだが。

 

わかってもらえなくても構わないが。