1月5日朝。
八幡浜港に隣接する道の駅で目覚めた。
天気は良かったが、風が強い朝だった。
昨夜のうちにフェリーで四国入りした。
大分県臼杵市から愛媛県八幡浜市へ。
前回は四国から九州へ向かった際に、佐田岬半島先端まで行き、大分佐賀関へフェリーで渡った。
今日の目的地は高知県香南市「のいち動物公園」。
ここにも会いたいブチハイエナたちがいる。
一人作戦会議、疲労蓄積のせいで八幡浜からの出発が遅くなった。
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ルートを探した。
四国では九州とは異なり、有料道路を一切利用しないことにした。
八幡浜→大洲→内子→久万高原へそこから国道33号に合流し、後はひたすら走るルートに決めた。
大洲市街に入るとガスっていた、晴れる日の朝ならでは。
典型的な盆地なのだろう。
大洲では無料区間の高速道路も走った。
内子・久万高原あたりの国道379・380号は一部に離合するのに苦労しそうな1車線の道が断続的に現れた。
初めての道でも慣れてくると眠くなる状況にあって、このような酷道では一気に覚醒する。
かつて味わった熊本の酷道は強烈だったが、今回のは短区間で軽い緊張感だけで済んだ。
延々と33号線を走り高知市街に入った。
高知市内でも高速道路無料区間を走り、香南市へ。
後は知っている道が動物園まで続く。
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正午を過ぎてしまったが、ハイエナ舎に到着した。
閉園時間の16時半まで滞在し、園を出た。
ハイエナは別記事にする。
国道32号線に復帰して北上する。
太平洋から、明日は瀬戸内海に面したしろとり動物園のある香川へ向かう。
日が暮れ道中でいつも休憩するのが「道の駅大歩危」。
同駅に到着した頃には暗くなっていた。
しばし食事休憩、湯を沸かし、オートミール主体の食事を済ます。
ちょっとだけ横になった。
大歩危で休憩したのは交通量が減るのを待つためでもあった。
21時手前に再び車を走らせた。
翌日のしろとり動物園の近くにある道の駅を目的地とした。
ここらの道は32号線から319、192号線(または県道12号線)と中央構造線上をゆく。
そして、318号線で北上したところにある「道の駅どなり」へ。
道が空いていたことと、前をゆく地元の車が爆走していたため追走した。
おかげで随分早く?目的地の寝床に到着した。
着いてみれば小さい道の駅。
車は他に二台だけ。
仮眠をとるだけだからトイレさえあれば構わない。
自分には申し分のない道の駅だった。
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1月6日:しろとり動物園→とくしま動物園→和歌山入り
この日に四国に3か所あるブチハイエナ動物園の残り2か所を巡った。
午前はしろとり動物園、午後からはとくしま動物園へ。
閉園まで居てから徳島港へ。
初めての「南海フェリー」で、初めての「和歌山」へ。
ブチハイエナのこと、動物園滞在のことは別記事とする。
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南海フェリーは自由席。
いろんな座席があって人は気に入った席に座る。
自分はビジネス席という図書館のブース席のような席に陣取った。
とにかくアドベンチャーワールドを誇る和歌山らしく、至る所にパンダ推し。
食事は持ち込むか、自販機のカップ麺とかを買うシステム。
給湯器があるがカップ麺用らしい。
とはいえ、ここでもオートミール食のために利用した。
食後、一部区間ではネットワーク回線が通じたためタブレットを利用した。
21時半には和歌山港へ到着した。
初めての場所に夜到着するのは緊張するものだ。
とはいえ、ナビがあるせいで迷うことなく移動できている。
とにかく和歌山はガソリンが安い。
出光系列店を探し、1リッター153円で給油を終えた。
いつもさいたまで入れている価格、文句なしの安さ。
給油後に「きらくゆ」というスーパー銭湯へ。
土曜の夜だからか、若者が多かった。
さっと湯を出てから翌朝の目的地「天王寺動物園」へのルートを探す。
とはいえ、疲れた。
移動は翌朝にするとして、道沿いにある道の駅を探す。
大阪府最南西にある岬町にある「道の駅みさき」で仮眠することにした。
程なくして到着。
風が強い夜だった。
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1月7日、天王寺動物園→帰宅
早朝から移動した。
国道26号線で大阪中心部へ。
天王寺動物園にゆく際に利用するのが天王寺にあるコーナン駐車場。
ここに駐車して徒歩で園へ向かう。
9時半の開園まで余裕を持って到着した。
同園には13時まで滞在して、名残惜しくも去った。
動物園のことは別記事にする。
そこからの帰路は長かった。
最寄りのランプから高速道路に入る。
慣れない道で名神へでた。
名神から新名神、伊勢湾岸道、新東名とやってきた道を折り返す。
御殿場から先の神奈川の山間部にかけて大渋滞に巻き込まれた。
辛いロスタイムとなった。
圏央道には入らず、東名終点から首都高渋谷線を経由して池袋から5号大宮線を伝って帰路を急いだ。
這う這うの体で帰宅したのは22時半過ぎだったと思う。
無事に帰れてホッとした。
翌日は成人の日であるが、仕事始め。
今回も過密のスケジュールとなった西日本旅だった。
毎度思うが、自分はおろか周囲の懸案の人たち(両親他)が元気でなければ安心してこのような旅はできない。
この先、気軽にできなくなるだろうという気がしている。