7・27 自分にとって今日は特別な日です。
父の命日です。
今から43年前、僕は小学校の1年生 夏休みでした。
海の事故で父親を亡くした日です。
それから40年後の 7・27
この日、京都でのMIROSSのLiveに初参加
伝承者との出会いの日となりました。
グループで参加した僕たちは、懇親会にも参加して伝承者のご夫妻と直接お話しする機会にも恵まれて、感動の一日でした。
その直後から、何かの封印が解かれたかのようにびっくり体験が次々起こったり、日々の暮らしから活動内容、人間関係など目まぐるしく変化していきました。
なので、僕にとって今日という日は○○記念日になっているんですよ。
「人生の暗号を解く」 3
こんにちは、papaです。
まず、このブログで何を発信しようかと考えたときに人生をテーマにしようと思ったんですね。
で、「暗号を解く」ですから、今までなかなか解けなかったことやスルーしてきたことなど、囚われていたことや決めつけ、見えなかったもの・・・etc
そういったものを「自分自身を知る」ことによって明らかにしていこうというわけです。
そこから見えてくる世界、新しい感覚。
新しい生き方の種になるものを見つけてみようということなんですね。
今日は「他人の目」について気づくこと、です。
突然ですが、人の目って気になりませんか?
気になるという人と、特に気にしていませんという人とに分かれますかね・・・。
僕の場合は後者の方だと思ってずっと生きてきました。
気になる人は、何故気になると思います?
そして、「気にならないよ」という人は何故そういう風に表現するんでしょう。
でも、面白いんですが、どう思われているか敏感な人ほど人には鈍感だったり、気にしてないよという人ほど人に気遣ったりしませんか?
僕は ”人にどう思われているか” そんなこと気にせずに自分らしく生きようと思ったんですね・・・
でも「私は気にしていません!気にならないよ」・・・ってことはすでに気にしてるってことですよね。
なんかややこしいぞ、どうなってるんでしょうね・・・。
ここでは気にする気にしないってことがどうのではなくて、もっとその奥にある「他人の目」がなんなのかを見てみたいと思います。
他者の目からどう見られているか・・・
さかのぼれば、そのルーツはオギャーと生まれたときに父と母がいたということですね。
自分の存在価値というようなものを親から感じとっていったと思われます。
親が見ている「わたし」を通して、その眼差しからはじめて「わたし」を意識することが出来るのです。
ですから人間は心理学的にも常に相手からどう見られているか、この「他者の目」によって自分のイメージをつくっているというものです。
ですから人にどう見られているのかっていう他者の目、これは「わたし」を意識する上で当たり前のことなんですね。
しかしこうやって出発した人間がその後人生でどんなことになっていくのか、それは常に自分がどう見られているのかということが先行して自分を見失ってしまうように思います。
外側に敏感になり過ぎて自分が何か分からないくらいに、まるで意識喪失のように生きているんじゃないかな。
そこで、本当の自分とは何だろうと探しはじめる。
自分らしく生きていこうとやってた僕にもこのことが起き始めました。
自分であるのに自分を探そうとするんですから変なものです。
他者から見た目で自分を意識する・・・・他人が判断したことが自分の価値みたいに思っていませんか?
他者の眼差しとは自分を見ている目のことですね。
ここで鏡が出てきます。
鏡を見る時、それは自己から見た自分と、他者から見た自分をそこに重ね合わせていると思いませんか?
実はそこには他者の眼差しを代行している自己の眼差しがあるということではないでしょうか? どう見えたのでしょう… 自分が愛されているかどうか、これ一大事ですね。
つまり自分が自分をどう見ているのかですが、この、他者って誰なんでしょう?
人間はこの他者の存在から逃れることはできません。
つまるところ、本当に愛する他者の存在が必要なんだということに行きつくわけです。
そのことによって、人間は初めて自分を愛することが出来るのではないでしょうか。
本当に愛する他者の存在、たった一人いるだけで人は愛ある存在として生きていくことが出来るのです。
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