意味もなく邪悪なものは身近に存在する | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること。

あらゆる物事と自分との間にしかるべき距離を置くこと。

最近そんなことばかり思っている。

近寄るんじゃない、と他人を突き放そうとする。自分の中にこんな強烈な排他性があるとは思わなかった。

もうねえ、自分以外は敵。

なぜ奴らはこんな振る舞いをするんだ、と考える方が無意味なことで世の中には一切意味もない「純粋な悪」が漂っている。

「正しい」も「悪い」もそこにはないんだ。

そういうものに近寄らない、と言っても先方から近づいてくるからヒラリと身をかわすんだ。もうそれしかない。

ぼくは家族のあり様を考えていた。親戚とか友人とか仕事仲間とかについても考えていた。たどり着いた答えは「よくわからない」という事。

すべてが『』付の関係だ。

人を好きになるのも、嫌いになるのもそこにわかりやすい論理や基準など存在しないように、ただなんとなくいろんなものや人との間に距離を置かないと気が狂いそうになる。そう思っただけなんだ。

明確な理由はない。

邪悪なものは決して最初から邪悪な振る舞いをしないで近寄ってくる。そんなものわからないから、とりあえず距離を保つに限る。