「前向きになれ」って言われてもねえ | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

特にこういう仕事をしているとねえ、「普通」が分からなくなることがある。

障がい者というカテゴリーの子どもができた瞬間に今までの普通が普通でなくなる。普通から排除される。びっくりするほど、そう人生終わった、と思うほど普通が遠ざかる。まさか自分の身にこんな「不幸」が襲ってくるなんて・・・と人生を悲観し、一度は「一緒に死んだほうがましだ」と考える人も少なくない。そんな人を何人も見てきた。そんな人たちに浴びせられる冷たい視線も幾度も見聞きしてきた。

「前向きに生きろ」と言われても辛い人もいるし、「誰しも生きていく意味や価値がある」と言われても違和感抱く人もいるし、「万人にはこの世に生まれてきた使命がある」と言われて、この人は何を見てどこからそんな言葉が出てくるのかと違和感しかないこともある。

ああ、生きることはほとんどが辛いことです。楽しいことなんかどこを探せば出てくるんだ、というほど微量しかない。

今日、うちの利用者の母親が内科の大きな手術をした。

ここ何日か、休日返上で、家庭では当分生活できなくなったその人の30代半ばになる息子(うちの利用者)の緊急の受け入れ先を探して、何とかこぎつけた。両親ともに多少「遅れ」のある方々だからほとんどの交渉事はぼくがおこなった。緊急に「最重度」の人を受け入れてくれるところを(しかも数週間)探すことは至難の業だ。前にも書いたがその受け入れ先の責任者が言ってくれた「マツモトさんがバックにいるから受けます」って。今でもその言葉を励みに気力を絞り出す。

入院する前にその母親が連絡帳にこんな言葉を書いてくれた。

字を書くのが苦手なその人が一生懸命に書いて届けてくれた僕へのプレゼント。

うれしかった。

 

 

これは一生の宝物。

 

ぼくは啓蒙書もよく読む。人生を輝かせてくれる前向きな言葉も好きだ。当然松岡修造も好きだ、悪くない。ただ、ぼくは自分のペースでボチボチやりたいなあ。

大事なことは自分の価値観を当たり前とか普通だとか思って他人に押し付けないこと。

後向きに生きたい奴はそうさせてやれ。「昔はよかった」と回顧しながらウジウジしていることを「それは変だ。前を向け」などと人生全部分かったようなことを抜かすでない。

公私の区別なくいろんな雑用が一気に襲ってきた2月。

前向きにはなれませんが、ボチボチ行きます。好きなように息をさせてくれ。