返礼義務 | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

姫路城マラソンの日。

寒かったら嫌やなあ、と思っていたがそんなに寒くはない。足の調子もそんなに悪くはないし、無理しなかったらそこそこ足も動くし、ちょっと寝過ごしたけど、行ってくるか、と痛い腰をかばいながら行ってきた。家からどうやって行こう、などと考えていた。方々が通行止めになっている。仕方ないから公衆トイレのある空き地まで自動車で行ってそこから2kmほど歩いた。上空をヘリが舞っていた。

16キロ地点に着いたのが9時55分。そう応援だ。

もう100回近くいろんなマラソン走ってきて沿道の声援に励まされてきたし、知り合いから声援を受けたらたまらなく嬉しかった。そういうもんだ。

今、走っていないからと言って、特に用事があるわけではない今日。コースは地元。歩いてでも行けるところ。そこで応援に行かないっていう理由はない。

拗ねている、と思われるのも誤解の素だ。

今までのお礼に対して返礼の意味を込めて応援に行く。

知り合いのランナーに多く出会ったがいかんせん名前が思い浮かばない人もいる。それでもマラソンの風景っていい。

写真撮影をしようと一緒に走り出したら「コースは走らないように」なんて注意されてもやっぱりウキウキしてしまう。順位なんか気にすることもなく、どのランナーも眩しかった。

うん、若返ったぞ。

 

それに対して卓球の伊藤美誠。パリ五輪でシングルス枠の出場が敵わず、補欠に回ることも拒否。

五輪2大会連続で自ら出場し、その時、早田ひな、平野美宇らが自分が出場できずに補欠に回った時も裏方としてサポートに徹していたのに比べるとなんだか自分勝手のような気がしてならない。いろんな理由があるんだろうけど、世の中は自分本位の人の数が増えると本当にやりにくいよね。

今まで陰で支えてくれた人に今度は自分が恩返しする番だ、と思ってやるのが人の道。それができない人は早晩消えていくんだろうな。

返礼義務違反だと思う。僕の中ではそういうものをないがしろにする人の価値はとことん低い。世の中のシステムは贈与と返礼によって成り立っている。

贈収賄が後を絶たないのも、もらったら返すのが当たり前、という日本人の習わしから考えるとごく普通のことである。

だから、返礼をすると罰せられるとわかっていて不当なものはもらってはいけないのだ。

そんなことを考えながらの今日。