卒業アルバム | 心はロンリー、気持ちは『・・・』。

 

 

 

 

 

深夜になって、昨晩の続きの気分で

 

中学校の卒業アルバムを久々に見ました。

 

 

僕の写真はあんまり載っていません。

 

(ほぼ集合写真のみ。当時から写るのが嫌い)

 

顔を見ると別人のごとく、不機嫌そうです。

 

20代半ばまでずっとそんな感じで、そのあと

 

「あんた、顔が変わったなあ…」と言われた

 

のが20代後半くらいです。中身も今の僕とは

 

別人でした(はっきり自覚しています)。

 

 

自分の作文を読んだのですが、野球部のことが

 

半分を占めていて、「神様、仏様、バース様に

 

あこがれてやってきた僕は、野球部にくいはない」

 

って書いてありました。

 

 

あれ? 憧れは

 

「ミスター・タイガース 掛布雅之」じゃ

 

なかった? てっきりそう思っていましたが…。

 

 

いずれにせよ両者が左打ちなので、途中で僕も

 

左打ちに変えようかと悩んだことがありました。

 

やってみると左手の力がなさすぎて、インパクトの

 

際に打球を押し込むことができないことに気付いて

 

1日でやめましたが…。

 

 

Gヤンツとヤンキースで活躍した松井秀喜さんは、

 

小学生の時に右打ちで打球を飛ばしすぎていて、

 

お兄さんに「(秀喜少年の)憧れの掛布さんも

 

そうだから左打ちにしろ」と言われて左打ちに

 

変えたそうです。


※ ウイキペディアより。掛布さんとの対談でも

  

  おっしゃっていました。

 

 

 

 

 

話は変わって、

 

昨日書いた同じ名前(の読み)の子が3人いた…

 

という件で、あらためて数えると4人でした。

 

(昭和の名前って同じようなのが多かったです)

 

 

その女の子は、当時僕が大好きだった番組

 

「お笑いマンガ道場」(中京テレビ製作)の司会を

 

していた柏村武昭(かしむらたけあき)さんに

 

すごく似ていて「娘なんじゃないか?」と思うくらい…。

 

(そんなはずないのはわかりきっていますが)

 

その子とは普段ほとんど話したこともないのに

 

勝手に親近感を持っていました。

 

 

2年生の2学期くらいに、男子も家庭科で裁縫を

 

する授業がありました。僕は元々手先が器用なので、

 

巾着袋の手縫いなどは楽勝でした。3学期になって

 

女子が作る番になり、その子が作った巾着袋を見た

 

ときに衝撃が走って…。とてつもなく不出来で

 

ブサイクな袋がそこに…(ごめんね、Tちゃん)。

 

 

この子、こんなに不器用やったんかあ…(;´Д`)

 

 

調理実習の際も全然うまく包丁が使えてなくて。

 

将来お母さんになったとき、大丈夫やろか…。

 

(↑めちゃくちゃ余計なお世話)

 

 

だから、今どんなお母さん(←家事の能力)に

 

なっているか、(ちょっとだけ)見てみたいなあ。

 

 

(どこかで元気に暮らしてるといいな)

 

 

 

 

でもこの話、前にも書いた気がします(;´∀`)

 

 

 

 

もう寝ないといけない時間なので終わります。

 

明日も良い一日になりますように。

 

それではおやすみなさい☆