今回は昨日の続きとなります。良かったらチェックしてみて下さい。

https://ameblo.jp/masatolevel3/entry-12837506590.html

https://ameblo.jp/masatolevel3/entry-12837506828.html

 

ワインとロスチャイルド もう一つ、ロスチャイルドで忘れてはならないのがワイン。パリ・ロスチャイルドが最高格付けの一つだったボルドー地方のラフィットのブドウ園を買収した。一方でそれより前の1853年にナサミエル・ロスチャイルドがラフィットに隣接するぶどう園、ムートンを買収する。しかし、それは1級のワインにはならなかった、それでナサリエルは叔父に切れて、パリとの対立が表面化した。そこから引き継がれて改良やロビー活動を続けて1973年にムートンが第1級に格上げされた。これにより5大シャトーのうち2つがロスチャイルドとなっている。

 

 スエズ運河にもロスチャイルドが関わっている。イギリスからインドまでを42%も短縮できるスエズ運河は10年かけて建設されて、1869年に開通した。この事業で設立したスエズ運河会社は当初、主にフランスやエジプトが出資した。イギリスは、

 

「こんなの無理だから出資しない」

 

と多くの国が断った。実際、建設を始めたら費用が計画の倍ぐらいになることが判明、なのでスエズ運河はロスチャイルドに株式の発行を依頼しようとしたが、

 

「手数料5%もらうよ」

「高すぎる、それだったら自分でやる」

 

と、交渉決裂。実際に発行したら、エジプトの財政難もあり集まらなかった。結局、エジプトが集めることになるが、ヨーロッパの銀行から借りたら年利12~26%と足元を見られた。結果、エジプトは利息を払うために借金をすることに。これで破産寸前になってスエズ運河株を売却することに。この話がイギリスに行き、彼らもスエズ運河を抑えたかった、特に、ライバルのフランスの手には渡したくなかった。既にフランスにも話が行ってたので、イギリスは即決、ロスチャイルドに買収資金400万ポンドを借りて実行した。

 

フランクフルトの閉鎖と第一次世界大戦 ロンドン、パリは活躍していたが、フランクフルト本家は191年に閉鎖した。他のところは時代の変化に対応したが、フランクフルトはできなかった。さらにドイツ帝国が首都をベルリンに置いており金融業の中心もベルリンだった。鉄血宰相と言われたビスマルクが呼びかけたが、引っ越しを拒否したらしい。それでフランクフルト本家は閉鎖した。

 

 ロンドン、パリはうまく事業を拡大させたが、帝国主義と非難され始めた。さらに、こういう批判も、

 

「ロスチャイルドこそが戦争の仕掛け人、彼らが行くところに必ず戦乱が起きる」

 

パリ・ロンドンだけでは強くなったかもしれないが、ロスチャイルド自体は逆に衰退したと言われている。時代が進むにつれて家同士の連帯も下がってきたし、国への影響力も下がった。この状況で第一次世界作戦が起きた。この時に問題になったのが相続税。それで税金対策をしてなかったので、ガッツリかかるという事態に。さらにこの頃、弟なども一気に亡くなったので相続税がかかりまくったせいでロスチャイルドの力が弱まった。1949年にパリロスチャイルドの人が亡くなった時は、一族が出資している株を、相続税の計算の時に株式は亡くなった日の終値で算定するため、株価を暴落させた。税金が重たく、資産を維持できなく、豪華な屋敷などを寄贈するなどして処分した。そうして第一次世界大戦が終了したが、この後一族最大のピンチ、第二次世界大戦が勃発。

 

第2次世界大戦 さっきも言った通り、ユダヤ人は昔から迫害を受け、時代や場所によって酷かった時がある。ロスチャイルドはその苦しんでいるユダヤ人を積極的に支援した。一方で、20世紀に入ると民族主義が高まり、経済の実権を握っていたユダヤ人への憎悪が増大していった。特に半ユダヤの風潮が強かったドイツで敵視する勢力が現れた、それが国家社会主義ドイツ労働者等で指導者が、アドルフ・ヒトラー。彼らは、

 

「アーリア人種こそが世界を支配するに値する人種である」

「ユダヤ人は最下等な人間に近い亜種。諸悪の根源はユダヤ人だ」

 

こういう過激な動きが進み、ユダヤ人の権利を剥奪するニュルンベルク法が成立して、さらに過激になっていった。ロスチャイルドは、ドイツ本家はなくなっていたが、ドイツがオーストリアを併合したのでウィーン・ロスチャイルドが標的となった。

 

 ヒトラーの軍隊が入り当主は拘束して留置所に入れられた。保釈の条件として、

 

「オーストリア・ロスチャイルド家の土地・資産全てをよこせ」

 

ここはさすがのロスチャイルド、炭鉱や製鉄所の所有権をロンドン・ロスチャイルド所有の保険会社に切り替えた。拘束されたロスチャイルドは釈放され、アメリカに亡命するが、その時大量の出国税を課した。結果、ウィーン・ロスチャイルドは閉鎖、亡命した人は農場を自宅にし、戦後に返還された資産は国に寄付したそうだ。ナチスはロスチャイルドが歴史的にも有名な国際的ユダヤ金融資本の頂点、こういったイメージを映画などで増大させて植え付け、反ユダヤ感情を煽る。

 

 ドイツはフランスに侵攻してパリを陥落。ロスチャイルドの中にはフランス軍に入るものもいれば、奥さんが強制収容所に入れられて、そのまま亡くなったこともあった。芸術品などもドイツ軍に押収された。

 

現在のロスチャイルド 結局、戦後ロスチャイルドで残ったのはパリとロンドンだけで、銀行業や産業への投資を中心に活動をしている。ロンドン・ロスチャイルドは株式会社などにして変化に対応、カナダへの投資などを進めた。ただ、ロンドン・ロスチャイルドは内部で対立が深まり1980年に分裂している。

 

 パリ・ロスチャイルドは、ドイツ軍にとことん荒らされてからのスタートだった。こちらも金融業や資源を中心に事業を拡大させた。しかし、1981年、社会党のミッテランがフランス大統領となり、基幹専用の国有化する動きになった。ロスチャイルド銀行の主要な事業部門をそのまま国有化した。それで当主はこのやり方に呆れたのか、社会党への恨みを述べた自叙伝を出版してアメリカに移住した。その後国有化された企業は資源関連の不況など赤字になり国民が負担することに。

 

 現在は、国有化の際に貰った保証金で新たな事業に投資、他にも様々な事前活動や文化芸術への支援、美術館への寄付、自然保護などの活動に積極的に行っている。ロスチャイルドは昔から財産や活動の多くが公にされておらず、それで様々な噂や憶測トラブルが表面化された時に話題となっている。

 

最後に ロスチャイルド家は「悪の秘密結社」のようななイメージをもっている方も多いでしょうが、国を陰から支配する程の影響力はもなく、波乱万丈な元名門一族という印象。当初、貴族との結びつき、ヨーロッパに敷いたネットワークが大きなアドバンテージだったがそれも時代とともになくなった。こうした時代の変化にも関わらず、今日まである程度の規模を保ててたのはさすがと言うべきでしょう。やはり、ビジネスは時代の変化に合わせることが重要、皆さんも時代の変化に敏感になるようにしていきましょう。

 

 

にほんブログ村 株ブログへ にほんブログ村 株ブログ サラリーマン投資家へ