今回は昨日の続きとなります。良かったらチェックしてみて下さい。

https://ameblo.jp/masatolevel3/entry-12837506590.html

 

ロスチャイルドの強さの秘密 ロスチャイルドは交通の要所、商業都市、政治の中心地の銀行家や商人、記者などと繋がって情報を集めた。専任のスタッフを設けて郵便馬車、時には専属の馬車で走らせていち早く情報を伝達させた。さらに5人の息子たちをフランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに配置して情報収集をさせて進化させた。この時代にロンドンからナポリまで伝達が168時間と他より3割早かったらしい。これらの情報をロスチャイルド家で行うが盗み見されないように、イディッシュ語というユダヤ人が使ってた言葉を暗号としてやり取りしてた。

 

 この盤石な体制と思われていた1812年、マイアー・アムシェルが亡くなった。マイヤーは死ぬ前に昔の王様の言葉を引用して、

 

「昔スキタイという王様が死ぬ間際、子供たちを集めて矢の束を差し出し、子供たちはその矢の束を折ることができなかった」

「すると王様は矢の束を解いて1本ずつ容易に折った、結束すれば強いが離れると繁栄は終わる」

 

という話をした。ロスチャイルドの紋章は結束を象徴する5本の矢、さらにラテン語で強調・完全・勤勉という言葉が入ってる。マイヤーは「結束を大事にして守らなければ事業に参加させない」と遺言を残している。さらに事業に参加できるのは息子だけとして、娘とその夫や子供たちは参加してはいけないとした。この5人兄弟でロスチャイルド商会は続いた。

 

 1818年にドイツのアーヘンで行われた国際会議でロスチャイルドを排除しようという動きが出た。ロスチャイルドはブチ切れ、フランス公債を少しづつ買い集めた。このフランス公債を一気に売って暴落させた。この会議でフランスの賠償金を決めとしたんが、そのフランスの公債が下がれば資金調達が難しくなる。その後、ロスチャイルドを排除を辞めたら公債市場は落ち着いた。この後、ハプスブルク家の仕事やナポリの仕事が増え、ナポリ王国の公債がどこの通貨にも換金できるようにした。お金を握ることで国に影響力を与えることもできるようになった。金融業で成功した一方で産業にも進出した。

 

産業への進出とナポレオン3世 オーストリア帝国のウィーンにいた次男のサロモンは帝国の許可を得て株式会社を設立。この株式の大部分を自ら出資して「鉄道」を敷いた、これでザロモンは鉄道王の異名を持つようになった。しかし、鉄道で表舞台に出てきてユダヤ人差別が強かったオーストリアということもあり批判がかなりあった。

 

 順風満々だったロスチャイルドにフランス皇帝ナポレオン3世が対抗しようとした。パリ・ロスチャイルドはフランス国債を任せてもらったり、北部鉄道を設立していた。ナポレオン3世は、イギリスやオーストリアなど叔父ナポレオンの敵側についていたこと、その後もブルボン王朝などに近づいたこともあり、ロスチャイルドが大嫌いだった。ナポレオン3世は公債などをロスチャイルドに頼まず小口に分割して国民に購入を呼びかけたり、銀行を作って株式を国民が所有した。この銀行は人民のための銀行として設立され、株も高騰して最大4倍近く高騰。この銀行はどんどんと勢力を伸ばし、打倒ロスチャイルドを目指して公債の発行などの事業を奪っていった。さらにオーストリアの鉄道事業も奪おうとしていた。

 

 この頃、オーストリア帝国のウィーンで革命が起き、仲の良かった宰相が亡命してしまった。ハンガリーのロスチャイルドの別邸が襲撃されて、フランクフルトの本家に疎開した。しかし、フランクフルトも革命の動きがあって民衆に狙われていた。しかし、ロンドン・ロスチャイルドが助けて踏ん張った。

 

 ロスチャイルドはライバル銀行に対しては同じような銀行をウィーンに作って対抗、オーストリア政府とはつながりがあったのでライバル銀行はオーストリアから撤退せざるを得なかった。他の国でもロスチャイルドの強固なネットワークの前にライバル銀行は負けて、フランス国内に帰るしかなかった。

 

 このライバル銀行にナポレオン3世が、

 

「メキシコ遠征に行くため公債発行して」

 

 これにライバル銀行は融資せざるを得なかったが、このメキシコ遠征が失敗して損失を被った。さらに、オーストリア帝国とプロイセン王国の戦争でオーストリア帝国の公債を引き受けた。オーストリア帝国の敗北で公債は紙屑に。ということで、ロスチャイルドの大勝利となったが。

 

 ナポリ・ロスチャイルドは仲が良かったナポリ王国がイタリア統一で消滅、没落していった。この頃くらいから国という枠組みが変化して今までのやり方は通用しなくなった。貴族が権力を手にする時代じゃなくなり、安定して国に取り入るのは難しくなった。それでもロスチャイルドはうまく立ち回り事業を拡大、パリ・ロスチャイルドは石油に注目した。

 

 お金がなかったロシア政府の公債発行を引き受ける代わりにバクー油田の中でも最大のバニト油田を貰った。ここで出会ったのがダイナマイトで有名なアルフレッド・ノーベル。彼はお金がなかったので一緒に組んで企業連合にした。しかし、ロスチャイルドはこのバクー油田を売却。当時、ロックフェラー率いるスタンダード石油がヨーロッパにも来ていた。それで、ロイヤル・ダッチ・シェル石油に販売して再編することで進出を阻止、代金として株式をもらい自らは大株主になった。これが1914年のことで、この3年後にロシア革命でソ連が誕生、国内にある外国資産が接収されてバクー油田も国有化された。つまり、ギリギリのところで手放したおかげで0円を株に変えられた。

 

 ロンドンとパリは帝国主義に向かうイギリスとフランスに対して国債発行に協力。これによりロスチャイルドは南アフリカに行ってダイヤモンド鉱山の会社の経営に携わった。その会社名がデ・ビアス、豊富な資金力で会社を次々と買収。世界最大の南アフリカのダイヤモンド鉱山のほとんどを独占する企業となった。

 

また明日も紹介しますので、良かったらチェックしてみて下さい。

 

 

 

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