エイリアンとフラーレン60…オリオン・ミッションNO397 | ヘミシンクピンポンパン

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その理論は誰も理解できないような常軌を逸した、奇妙で奇怪なものになっており、彼らは頭のネジが切れてしまった雲上人みたいに扱われるだろう。つまり世間の信頼を失うのだ。

 (続く)

 

《オリオン・ミッション…エイリアンとフラーレン60NO397》

笑スピさんたちが待ち望んでいるメシアは内なる宇宙からやってくる。人類がこの内なる宇宙を発見しない限り、彼らと接触するのは覚醒という意識にたどり着いた、一人ひとりの宇宙というレベルにとどまり続ける。

 

ある人は宇宙からやってきた存在と出会い、交流さえする。しかしすぐ隣にいた他の人や友人たちは同じ時、同じ場所にいながら何も見ず、感じることもなく、何があったのか知ることもないのだ。つまりそれは客観的現実としては、認められないようなレベルで行われていたことになる。

 

それが第一種接近遭遇体験でよく見られる不可思議な現実なのだ。ある人はエイリアンを見て会話さえし、彼らの光の船に案内され乗船さえする。しかしそのとき、そこに居合わせた他の人々は何も無かったと言い張る。

 

同じとき、同じ場所にいながら内なる宇宙という現実を共有しなかったものにとっては、それは無かったのと同じなのだ。エイリアンとの出会いという突飛な体験ではなくとも、こうしたことは日々の普通な暮らしの中でも案外よく起きている。

 

通勤途上でも仕事中でも授業中でも、あるいは人によっては講義をしている最中でも、家で寛いでいる時でも、あなただけが気づき、その場に居合わせた他の誰もそれには気づかなかった、とかその逆にあなただけが体験していなかった…そんなことはよくあることだ。

 

これは意識の問題であるとも言える。意識のあり方が現実を変えてしまう…というより本来現実とはそのようなものだ。しかし物質のあり方として、同じ時間に同じ空間を一人以上の人間が専有することはできないのだ。物と物に重ね合わせができるのは、質料を持たないゲージ粒子や光子だけだ。

 

そのため一人ひとりの現実は皆違ってしまう。同じであるほうがおかしいのだ。もちろん日常レベルではそれは何ら問題とはならないのかもしれないが。客観的な現実、つまりただ一つの絶対的な現実だけがあり、それ以外は存在しないという仮説を真理とすることによって近現代の科学は発展したのだが。

 

しかし素粒子レベルの領域ではその真理は既に崩れている。それどころか二重スリット実験は電子ではなくフラーレン60でも成立しているのだ。この実験者は、次はクマムシでやって見せると言っていたが、その後どうなったのか私は知らない。

 

フラーレン(炭素60)は素粒子ではない。分子でありれっきとした物質だ。それは手のひらの上に乗せることもでき、舌にのせて味わうこともできる。発見された当時1グラム数百億円という世界一高価な物質だったが、量産方法が開発されてから一気に値下がりした。

 

強力な浸透性によって、もう何年も前から化粧品の原料として普通に使われている。女性には馴染み深いはずだが、フラーレンがシュレディンガーの猫として働いてくれたという、そんなすごい物語があったことを、おそらく知っている人はあまりいないのではないだろうか。

(続く)

マサト