今月の出来事の続き。
1週間前のこと。
妊娠12週目を迎えた妻が産婦人科を受診してきました。
先月、妻の3人目の妊娠がわかったんです。
お腹の中の赤ちゃんは、妊娠6週目の時に妊娠が分かり、
その後は胎動も確認でき、7cmから12cmへと少しずつ成長していました。予定日は12月です。
こりゃ、にぎやかになるなぁ~。
頑張らないかんな~。
どうなるんだろう?また育休とらせてもらおう。
なんだかんだ、
驚きと不安ながらも家族でワクワクしていました。
その日は休みで自宅で留守番してました。
妻からLINEでメッセージがあり、
「来週、どこか休みとれる日ある?」と。
「何とかするけど、何かあった?」と返信。
返信は来ず。まさか…ね。
と思ってたら、妻が無言で帰宅。
その瞬間に感じた。
感じたけれど、考えたくなかった。
けれど、妻が泣き出して分かった。
「赤ちゃんの心臓が動いてないみたい…」
そのまま、妻は横になって泣いてました。
僕はどこか冷静になっていて、
妻に背を向け、横になってテレビを眺めてました。
眺めてたけれど、
涙が流れ出して止まらない。
涙を拭き、振りむいて、妻の背中をなでながら
言葉をかけてたら悲しすぎて、泣いてしまいました。
一番辛いのは妻なのに。
先日、94歳生きた祖父の葬儀では全然悲しくなかった。
でも、12週間しか生きれなかったわが子の死はめちゃくちゃ悲しい。
1人目、2人目と当たり前に生まれた子ども達の誕生は、
当たり前じゃなかったんだなと気付きました。
「名前は何にする?いつ生まれてくるの?」と
無邪気な笑顔で尋ねてた娘。
学校から帰ってきたら何て説明しよう。
それから心にぽっかり穴が空いたような妻。
翌日、仕事に行ったけど、運転中も涙が止まらない。
仕事にならない。妻のことも心配。
夜勤明けの先輩たちに相談。
相談してたらまた涙があふれてきて泣いてしまった。
「何なに?どうしたの、どうしたの!?」
事情を伝えると、
「早く帰って奥さんのそばにおりなさい」と
背中を押してくれました。
その後、師長と部長にも相談し休みをもらいました。
僕、文句ばっか言ってるのに良い職場です。
それから、一昨日。
妻が産婦人科へ堕胎の処置をするのでまた休みをもらい、
今こうしてブログを書いています。
何を書いても語弊があると感じさせてしまうと思います。
命のことだから。
妻と話していて、
当たり前と思ってることは当たり前じゃなかったねと。
僕たちは、妊娠したら元気な赤ちゃんが生まれてくることが、
「普通」の感覚でした。
それは違いました。
僕たちの中では予定日に何も問題なく生まれてくることに勝手になっていました。
頭では、それが当たり前なことじゃない。
そう分かっていても、心では分かっていませんでした。
流産した方や、
子どもが欲しくてもできなくて諦めた家庭があったり、
妊活中で色んな思いをされてる家庭があったり。
そんな方々の悲しみや複雑な感情とか、表面的な部分しか
分かっていませんでした。
そのすべてではないけれど、
こういう気持ちだったんだなって気づかされました。
お腹の大きな妊婦さんや、赤ちゃん抱っこしてたり、
ベビーカーの赤ちゃんを見ると、もの悲しくなったり。
こういうことだったんだね。
産婦人科に向かう妻はもっと辛かったろうと思います。
当日の処置は、診察の順番も最後にしてくれたそうで
気を遣っていただきました。
この子のおかげで、
今まで気付けなかった気持ちを学ばせてもらうことができました。
会えなかったことはすごく悲しい。
僕のつたない文章では表せない。
身近な「死」はとても辛い。
けれど、そこから学ばせてもらうことができました。
そこに、人生の長い短いは関係ない。
肉体が老いてようが若かろうが関係ない。
僕は、産婦人科のエコー写真上でしか、
この子の成長を見届けることしかできなかったけれど、
この数週間、5人家族でいられた期間を忘れない。
妊娠が分かってからの数週間、
その間も色々あったけれど、幸せだった。楽しかった。
そんな気持ちにさせてくれて、ありがとうと伝えたい。
でも。
また会いたい。
次こそは、生きるって結構楽しいんだよーって、
幸せにしてあげたい。
母もまた僕と真ん中の妹との間に、流産したことがあります。
10年数年前に僕がみた夢。
その内容について母に話した時に、そのことを知りました。
夢では、僕は実家のリビングで妹たちと過ごしてて、
妹が3人いました。
現実には3つ下と6つ下の、2人の妹がいます。
その3人目の妹は、他の妹たちと背格好も顔もよく似てて、
名前を呼ぼうと思ってもなぜだか名前が出てこない。
思い出せない。
3つ下の妹より少し年上で、にこにこして落ち着いてて、
髪が肩くらい長くて、もの静かで穏やかな子でした。
名前が出てこないのは何で?って思ってても、妹は妹だ。
夢の中ではそう思ってました。
そのことを母に伝えると、母とその場にいた父も涙ぐんで。
どうしたの?と聞くと、
僕が2歳くらいの頃に流産していたとのことでした。
「女の子やったんやね」と。
何年たっても、いくつになっても
親にとっては辛い出来事だし、大切なわが子なんだね。
一生、忘れることなんてできない。
今だから、そう思える。
たとえ、
肉体は母親の体内でその命を終えたとしても、
魂は一緒に成長し続けているのかもしれません。
その妹の顔は、僕の娘に似ていました。
なんとなく。
その子はその後、
僕の娘となって生まれてきたのかなと勝手に思っています。
成長していく娘をみていてそう感じるんです。
祖母である僕の母にもよく懐いているのも、そう思ってしまう。
だから、
何らかの形でまた会えると思うんですよね。
そう思っていないと辛い。
だから、僕はもう悲しまない。
時々、悲しくなるけど、
妻の方が今もまだずっと辛い思いをしている。
今も、子宮が元の大きさに戻るための内服薬があったり。
お腹も痛くなったり。子宮復古の産後のような流れとなる。
だから、余計に精神的にも辛いと思う。
男の僕なんかより、ずっと。
とにかく今は、できるだけ、
ママのケアを最優先にしようと思う。
パパの命を大切に使おうと思う。
君がいたことを忘れないために。