帝人がフォーミュラEのエンビジョン・ヴァージン・レーシング・ フォーミュラEチーム「EVR」のスポンサーになるという記事を見ました。
帝人は現在、自動車部品事業に力を入れているそうで、GM製トラックに炭素繊維複合材料が採用されたり、樹脂製自動車用フロント窓の開発などを行っているようなので違和感は無いのですが、ちょっと沿革を調べてみました。
Wikipediaによると、帝人は、大正期、隆盛を誇った総合商社である鈴木商店の子会社、東工業米沢人造絹糸製造所として設立されたのが始まりで、1918年(大正7年)に株式会社に改組、帝国人造絹絲に社名を変更したのだそうです。
創業者は、米沢高等工業学校(山形大学工学部の前身)の講師でもあった秦逸三と久村清太でと共に1915年(大正4年)に、当時閉鎖中であった山形県米沢市館山(現在は米沢市立第三中学校敷地)の米沢製糸場を買い取って、東工業米沢人造絹糸製造所として設立したという事です。
米沢高等工業学校は官立高等工業学校ですから、そこの講師は公務員という事になります。
公務員が2人で閉鎖中とは言え製糸場を買い取った訳です。
(元)公務員が企業を買収したと言えば、正力松太郎もそうです。
読売新聞社の中興の祖としてより、プロ野球の父としての方が有名な正力松太郎ですが、元は警視庁警務部長で虎ノ門事件の責任を取って辞めています。
今的に言うとキャリア官僚な訳ですが、傾いているとは言え企業や閉鎖された設備を公務員が買い取るという現在の感覚ではちょっと考えられません。
恐らく現在の貨幣価値で製糸場で1億前後、読売新聞で数億は掛かるでしょう。
幾ら誰か(帝人の2人は鈴木商店、正力は後藤新平ら)の支援があったとして、何割かは自己資金でしょうから、それなりに貯蓄があった事が想像できます。
当時の公務員って、そんなに高給だったのでしょうか?
大学進学率が50%を超えている現在と違い、1910年の高等教育機関への進学率は1%程度ですから、高等教育機関の講師だったり東大を出た官僚はとんでもない超エリートな訳ですが。
正力が元警察官僚というのは以前から知っていて、どこにそんな金があったのか?と思っていたのですが、帝人の創業者の事を知って、ひょっとすると昔の公務員は物凄い高給取だったのでは無いかと思ったのでした。