永劫の哀しみ


駅を出た人たちがこっちに向かって歩いている。
みんなこの高台の公園を目指しているのだ。
というのも公園は今、桜が満開なのだ

ここにたどり着くには平坦な直線道路を歩いた後、
最後につづら折りの坂道を三度ほど曲がらなければならない。
その道の両側にも満開の桜の木が切れ目なく続いている。


最後の角を曲がり女の子が歩いてきている。
着物姿で両肩には風呂敷包みを背負っている。
九十年前の母の姿だ。
このとき母は八歳、神戸に小守に行き、
役割を終えて帰ってきたのだ。
汽車で二日をかけて前沢駅に着き、
これから祖母の住む高橋町に帰るのだ。
幼い母は時折満開の桜に目をやり表情を和らげるが、
すぐにちょっとだけ不安そうな表情に戻り
その歩みを進める。


あなたは運命のように時代に従い、
あなたはあなたを生きることを選んだ。

帰ることのない若き兵士を見送った。

あなたは境遇に従い地主の奉公に出た
そこで父と出会い結婚した。
そして子供を六人産んだが、
その間に義理の父と妹と弟と長女を失った。

あなたは自然に従い、
田んぼを牛で耕して米を作り、
わずかな畑で野菜を作った。
あなたは神に愛され六人の子供を育て
あなたは肉体や魂の滅びることよりも
子供たちが幸せになることを
ただひたすら願った。

あなたは料理がうまくなかった。
あなたはいつも埃と汗まみれだった。
あなたはこぎれいな街の生活にあこがれていた。
でもあなたはあなたをいきることを選んだ。

何十億年のときを経て
奇跡のように出会えたというのに
また会えるには
また何十億年も待たなければならないのだろうか
私はあなたに何にもしてあげられなかった
あなたは決して生きることに器用でも
要領がいいわけでもなかった。
でもあなたはただひたむきにあなたを生きた。
神に愛されて。

なぜ私は生きる。

なぜ私は生まれた。

思い出の母の姿はすべて神々しい。
私はずっと何者でもなかった。
だから生きているだけで許してほしかった。

その時が来てつぼみを膨らませて花を咲かせ、
やがてその時が来て風に任せて
花びらを散らしていくように、
あなたはこの世から消えていった。

生きているだけで許してほしい

あなたと語らうときはいつも
その背後に永劫の時と無限の宇宙を感じていた。


もう何も隠すことはない私は
幼子のように小さく心細く寂しく
あなたを思うととめどなく涙が流れる。


なぜ私はあんなにも愛されたのだろうか?

なぜ私たちは会えないのだろうか?
こんなにも狂おしくも求めているというのに、

もしかしたら新しく宇宙が造り変えられたら、
やがて再び出会えるということなのだろうか、

その時まで私は無限の宇宙をさまよいながら
何十億年も待つことになるのだが、、、、


 



   どんぐりの詩



「わぁ、いっぱい、いっぱい、さぁ、おそうじ、おそうじ、よいしょ、

がんばる、がんばれ、ほうれ、ほうれ、」


「マオちゃん、帰ろう、おねぇちゃんたち、もう帰ったよ。」


「かえる、かえる、カエル? どこ? いない、いない、」


「わぁ、サックサク、ほら、ほら、とんでる、はねてる、だいじょぶ、

だいじょうぶ、ほら、ほら、みて、みて、」


「やっぱり、帰るよ」


「やっぱり、やっぱりって、何もしてないよ、遊んでただけ、

そんでただけだよ。眠くないよ、まだ眠くないんだよね。もう

おなかいっぱい、おなかいっぱいなんだよね。わっ、カーテン? 

ゆきさん、星さん、ひかってる、ひかってる、わあ、落ちてる、

いっぱい落ちてる、これは、たっくんの手、これはママの手、

これはあたちの手、これはカエルの手、これあげるね。はや、

あれ、だあれ、何してるの? 何食べてるの? どんぐり、

これあげるね、これも、これも、さあぁたぺて、これ食べる? 

食べないんだ、キノコだから、あたちもキノコ食べない、

きらいなんだ、わあ、おおきいなあ、おおきいなあ、

おかあさんなの? おかあさんなの?」


「マオ、マオちゃん、どこにいるの」


「あっ、ママの声だ、あれ、もう食べないの? まだいっぱいあるよ。

ねえ、どこに行くの? どこに、、、、」


「マオ、ここにいたの。またひとり遊びしてるのね。もう帰るよ。

ミクちゃんたちにさよならを言わないとね。なあに、こんなに手を汚くして、

さっさとドングリを捨てて、わあ、臭い、なあにこの匂いは、

いつも言ってるでしょう、変なものに触っちゃダメだって、さあ、

帰るのよ。なあに、後ろを振り向いているの、さあ、急いで、急いで、

ミクちゃんたちとはもう会えないかもしれないんだから、、、、」


 


     時の悲しみ


   岡村孝子の「運命なら」に触発されて
    (これはノンフィクションです)




突然の風に桜の花びらが吹き流されていくように、
美代子が亡くなったという噂を耳にした。

私は泣かない、
なぜなら美代子は他人だから、
でも秘かに泣いた。

十七年前、私の住む簡易住宅の隣に
美代子は引っ越してきた、
私と同じ部落出身だったからか
五年前に亡くなった母のことを知っていた。
母よりは十歳若かったが
もう働くことはやめて
後は老後を楽しむだけという様子だった。

私たちの住宅の間には駐車場があったが、
二人とも車を運転しなかったので、
私は何日もかけて掘り起こして畑にした。
ついでの家の前の軒下などのわずかな
空き地も掘り返しては花壇や畑にした。

美代子は季節の花々が好きだった。
春になると花の苗がいっぱいに入った
袋を両手に下げて買いものから帰ってきた。
最初は私も手伝って移植していたが、
やがて、新しい培養土を入れ替えるのも、
花の苗を買ってくるのも、
水やり以外のほとんどすへてを
私がやるようになった。

おそらく私の作業を
子供のような笑顔で
楽しそうに見守ってくれているから
私も張り合いが出てそうしたに違いなかった。

開墾して作った畑では、
春からホウレンソウ、
小松菜、ナス、キュウリ、
トマト、オクラ、ピーマンと、
秋の終わりまで、次から次へと栽培した。
当然全部は食べきれないので美代子に持っていく、
すると美代子はいつでも喜んで受け取ってくれた。
それだからなのだろうか、
私の栽培意欲は年月を経ても
決して衰えることはなかった。

美代子は、収穫したものを
喜んで受け取ってくれるだけではなかった。
私が栽培に失敗したり悩んだりしているときに、
いっしょに残念がったり悩んだりしてくれた。
私にはそれがなによりも嬉しく、いつでも
それによって自分が支えられているような
力づけられているような気持ちになっていた。

隣に引っ越してくる前美代子は
飲み屋のママをやっていたという、
そのためなのか男性を立てて喜ばせるすべを
知っていたということなのかもしれなかったが、
でも現実として私が元気づけられているのだから
それ以上の言葉はいらないはずだ。

はっきり言って美代子は私より十八歳年上、
しかも成人した孫もいて、
四十年前に離婚したというちょっと
訳ありの普通の初老の女性である。

だからそれは普通にこの世界に
数多く実在しているところの隣人、
しかも決して仲は悪くはない
ありきたりの隣人以上でも以下でもない
関係に過ぎなかった。

だかもし普通でなかったとすれば
少し神秘的な関係だったと言えるかもしれない。

なぜなら二人で世間話をしていて
亡き母のことが話題になったとき、
私は母の面影を生き生きと
よみがえさせることができたからである。
それもそのはずそのとき美代子の脳裏に
浮かぶ母の姿と私が対面していることに
なったからである。
だから私はその後も母のことが話題になると
何かいやされているような
穏やかな気持ちになるのだった。

亡くなって母が死んだときのように
悲しく涙が流れる美代子とは、
私にとってどんな存在だったのだろうか

私は十五のとき進学のため母のもとを離れた。
それ以来最期まで別れ別れだった。
ということは母と親密に暮らしたのは
十五年間ということになる。
それに比べて美代子とは
それ以上の歳月になる。
だから母が亡くなったときのように
涙を流すのは少しも不思議なことでは
ないのかもしれない。

亡くなって母が死んだときのように
悲しく涙が流れる美代子と私とは、
本当はどんな関係だったのだろうか

はた目にはきっとそれほど年の離れていない
母と息子のように見えたに違いない。

普段は、情愛的には子供を失った母猿と
母親を失った子ザルの関係に近いものが
あったに違いない。

だが実際にはどうだったのか、
日々の出来事から推し量るしかない。

こんなことがあった。

花壇に正しい水やりを教えてると、
美代子は急に不機嫌になってこういった。
「判っているよ」と。
こっちは親切に教えてやっているのにと
思うのだったが、
でもちょっと冷静になってみると、
それは親に注意をされプライドが傷つけられた
幼稚園児のような言い方でもあった。

またあるときこんなことがあった。
私が原付の整備をしているとき、
何気なく近づいてきた美代子が
そのナンバープレートを見ていった。
「なんて覚えやすい番号なんだろう」と。
たしかにその通りだったので私は
「そうだよ」と答えた。
でもだからといって
そのことにどんな意味があったのだろうか?
あまりにもたわいもない会話ではないか、
よわい重ねた男女の会話には
どうしても見えない。
どう見たってそれは小学校低学年の会話であろう。

近くの農家で花の栽培のバイトをしていた私は、
余りものの花を毎週のようにもらってきて
美代子にプレゼントしていた。
すると美代子は満面の笑みを浮かべて
嬉しそうに受け取ってくれた。
その表情はまさに弟思いの姉のようだった。

よく美代子は私に買い物を頼んだり、
換気扇の掃除を頼んだり、
郵便受けのペンキの塗り替えを頼んだりした。
そのときの気安さは二人はまるで
友達のようであった。

よく美代子は作り立ての料理を持ってきてくれた。
そのときの美代子の満足げな表情からして、
二人はまるで本当の親子のようだった。

二人の畑からは、毎年のように
食べきれないくらいの野菜がとれたが、
美代子が最も喜んでくれたのは
ミニトマトだった。
私は毎週のように、ザルいっぱいに
収穫したミニトマトを、
二十個ほどの容器に小分けして、
それに売り物のようにラベルを張って、
美代子に持っていった。
すると美代子は妹のような無邪気な笑顔で
いつも受け取ってくれた。
そして美代子は楽しそうに言うのである。
これを親戚や友達や子供たちに
プレゼントするのだと。
私はそれを聞いていつも何かいいことを
やっているような満ち足りた気持ちになっていた。

やがて時を経て私は、
美代子はミニトマトが余り好きじゃないことを
知ることになるのだが、
皆にあげることをうれしそうに
話すときの美代子の表情は
どんなネガティブな思いも
吹き飛ばしてくれていた。

このように美代子はあるときは子供のように
またあるときは妹のように、友達のように
そしてまたあるときは姉のように、母のようにと、
私にとっては様ざまな存在であった。

六年前、私は引っ越しをして美代子と
離れて暮らすようになった。
それでもそれほど遠くはなかったので
毎週のように通りかかっては
以前のように小さな畑で野菜作りをしたり
花を植えたりして、
二人の関係は以前と何も変わらなかった。

四年前の春、私は美代子から息子が
突然亡くなったという電話を受けた。

その春もいつもと変わりなく、
私は小さな菜園で野菜を栽培をはじめ、
そして花壇には花を植えた。

その夏、
私が菜園の手入れをしているとき
美代子が様子を見に来た。
真夏の暑さのせいか
かなりおぼつかない足取りだった。
顔には幸せそうな笑みを湛えていた。
どことなく無理をしている感じだったが、
せいいっぱい今この時を
楽しんでいるようにも見えた。
縁台に力なく腰を掛けると
たわいのない世間話を始めた。
テラスを抜ける弱い陽の光を浴びながら
ときおり通り過ぎる涼しい風に
白髪を揺らしてはいたが、
その楽しそうな笑みは
悲しいくらい弱々しかった。
私は寂しすぎる予感を振り払うのに
せいいっぱいだった。

その秋、
病院に通っていた美代子は、
その帰り道の五キロ程を
歩いて帰ってきたという。
それはとてつもなく無謀なことなのに、
なぜ、どうして?

その冬、
私は美代子に報告した。
少し離れたところに農地を買って、
ブルーベリーの栽培を始めることを。
その数二百本と聞いて、
美代子は何か楽しいことに
出会ったときのような
それはまるで二人の希望を
見つけたような声で驚いてくれた。
その声で私は美代子が心から私の計画を
応援してくれていることを感じて
私の決意はゆるぎないものになった。

その春、
私が通りかかると美代子の家の前に
救急車が止まっていた。
美代子の兄が美代子が倒れているのを
発見して救急車を呼んだということだった。
ほどなくして救急車は
美代子を乗せて病院に向かった。
後に聞いたのだったが
病院のベットで美代子は
四日目にどうにか意識が
回復したということだった。

美代子は施設に入った。
でも私はそれ以降美代子には
会うことはできなかった。
というのもその頃は
あの感染症が最も警戒されていた
時期だったからだ。


私にとって美代子はこれまで、
娘のようでも、妹のようでも、
姉のようでも、女友達のようでも、
母親のようでもあった。
でも決して恋人のような存在ではなかった。

だから私は美代子の妹に言伝を託すことにした。

《もし生まれ変わったら
ブルーベリー農園で再会しよう、
季節は春、年齢は、十代、
女子高校生と男子高校生として》


思い出は尽きない。
この世から美代子は消えてしまった。
と同時に母の面影も
この世から消えてしまった。


生まれ変わるためには

いったいどのくらいの歳月を

必要とするんだろう

百年、数万年、

もしその前に宇宙が造り替えられたら、

百万年、数十億年、永遠、

でもこの宇宙にとって、

永遠も一瞬もそれほど変わりはない。


 



    アタイはメス猫
    


   *  *  *  *  *  *  




アタイはメス猫。

名前はミィヤァ。

みんながそう呼ぶの。

いつまでたっても甘えた声でミィヤ
ァミィヤァと鳴いているからね。

アタイは知ってるの、甘えた声で鳴
くと良いことがあるってことを。

ずっと前になるけどさ、小さい頃ね。

アタイは気が付くと、ミィヤァミィヤ
ァと甘えたように泣いて歩いていたの。

そうするとたいていの人は食べ物をく
れた。

たまには、うるさそうにして脚で蹴っ
飛ばす人もいたけどね。

でも、食べ物をくれる人でも、ただそ
れだけ。

やさしく撫でても抱いてもくれなか
った。

太陽が何度も沈んで昇ったね。

アタイは甘えたようにミィヤァミィ
ヤと鳴きながらあっちこっちと歩き
続けた。

ときおり優しそうな人間から食べ物
をもらって食べながら。

アタイはなおも歩き続けた。

家から家、道から道、人から人。

そしてアタイは色んなこと覚えた。

ちょっとミィヤァと泣けば食べ物を
くれる人

どんなに甘えた声で泣いても絶対に
くれない人。


それからアタイは人が手に持ってい
るものが判るの。

食べられるものか、食べられないも
のかね。

どんなにアタイのこと優しく呼んでも、
手に箒を持っているとき絶対に近づか
ない。

それでアタイのこと叩くはずだから
かね。

手にスプレーを持っている時だって
絶対に近づかない。

それをアタイに掛けるはずだからね。

あれを掛けられたとき目が痛くて痛
くて涙が止まらなかったよ。

冷たい水をかけられたときよりも苦
しかった。

そのうちアタイは必要なときだけ鳴
くようになった。

怖そうな人には絶対に近づかなくな
った

色んなことを知って成長したからね。

冷たい風の吹くときだった。

アタイは物置で休んでいた。

突然優しそうな人が入ってきた。

その人は驚いたがアタイに何もしな
いで出て行った。

それから何にもなかったのでアタイ
はずっとそこに寝ることにした。

その人は物置から離れた家にみんな
で住んでいた。  


ときおり家の人に会うときミィヤァ
ミィヤァと甘えた声で鳴いた。

家の人は可愛い可愛いと言って食べ
物をくれた。

その後もアタイは物置に住み続けた。

家の人たちはみんな優しくアタイを
追い立てなかった。

アタイは家の人に会うたびにミィヤ
ァミィヤァといつもの甘えた声で鳴
いた。

そのたびに家の人はアタイに食べ物
をくれた。

アタイは皆がいる玄関には近づかな
かった。

家の人はよく玄関で箒を持って掃除
をしていたので。

どんなに優しそうでも手に持ってい
る箒はとても怖かったから。

それに家の人はときどきスプレーを
持ってシュッシュッとしているとき
があった。

そんなときアタイは走って逃げ帰り
物置の奥にじっと隠れていた。だっ
全身が震えるほど怖いんだもん。

でも、アタイはあるときちょっと勇
気を出して近づいた。

いつも家の中から皆の楽しそうな声
が聞こえていたので。

そしてアタイはいつもよりもっと甘
えた声で鳴いて中に入った。

すると家の人がアタイを捕まえて外
に放り投げ玄関を閉めた。

いつもは優しい人なのにとても怖い
顔をして。

怖くはなかったけどなんかとてもつ
まんなかった。

なぜなんだろうって。

でも叩かれた訳でもスプレーを掛け
られた訳でもないから。

それに食べ物だって、寝るところだ
ってなくなった訳じゃないからね。

皆だってその後も優しかったからね。

なんにも変っていなかったんだよね。

でもそれからは玄関の戸が閉められ
たままになったのね。

あるとき家の人が玄関で箒を持って
掃除をしていた。

アタイはその近くでミィヤァミィヤ
ァと鳴いていた。

するとそのとき毛のふさふさとした
猫が玄関から出てきた。

アタイは仲良しになろうと思って甘
えた声でミィヤァミィヤァと鳴いて
近づいた。

するとその猫はフーといってアタイ
をにらみ付けた。

アタイは前よりも甘えた声で鳴いて
近づいた。

なにをそんなに怒っているの、ねえ、
仲良くしようよって。

でもその猫は前よりも大きな声でフ
ーっと言ってアタイをにらみつけた。

どうしてなんだろうね、仲良くしよ
うって思っていただけなのに。

アタイにはさっぱり判んなかった。

「ルナ、喧嘩しちゃだめよ」なんて
言われて。

大丈夫よ、アタイにはそんな気はな
いんだから。

だいいち、アタイ達はそんなことで
は喧嘩しないもんね。

仲間の猫とはどっか違うって感じ、
気取っているっていうか。

ルナって、きっと世間知らずな猫
なのね。

でもそれだけ、それで良いの。

その後なにか変わったことがあっ
た訳じゃないんだから。

そんなにたいしたことじゃないの。

また寒くなって、そして暖かくな
ったときだった。

アタイは物置で五匹子供を生んだ。

家の人はみんなびっくりして、アタ
イたちを見に来た。。

子供たちは皆ミィミィと鳴いてアタ
イのおっぱいを吸った。

アタイは今まで通りミィヤァミィヤ
ァと鳴き続けた。

もっと暖かくなったときだった。

見知らぬ人が来て玄関が少し開いて
いた。

アタイはいつものようにミィヤァミ
ィヤァ鳴いて近づいた。

そして思い切って家の中に入ってい
った。

アタイは綺麗な床の上をちょっぴり
誇らしげに歩いた。

ルナに会ったら仲良くしようと思い
ながら。

するとアタイを見つけた家の人はア
タイを捕まえて外に放り出した。

今まで見たこともなかったような怖
い顔をして。

でも良いんだアタイには寝る所もあ
るし子供たちもいるから。

子供たちはちょっと大きくなったが
ミィミィと鳴いている。

アタイも相変わらずミィヤァミィヤ
ァと鳴いている。

家の人もなんにも変らずやさしか
った。

ときどき子供たちを見に来てくれた。

アタイは今日は朝からミィヤァミィ
ヤァと鳴き続けている。

だって子供が一匹もいなくなったから。

だんだん少なくなっていたのには気づ
いていたんだけどね。

あのミィミィと鳴く声がどこからも
聞こえなくなった。

いったい子供たちはどこに行ってしま
ったんだろう。

歩けるようになったらみんなに見せた
かったのに。

きっと、奴らだ、カラスだ。

カラスにやられたんだ。

絶対にそうだ、奴らだ。

気をつけていたつもりなんだけど。

でもアタイはまた生む。

今度はこっそりとね。

アタイは生きたい。

アタイは生き抜く。

アタイは居る。

アタイはこれからもミィヤァミィヤ
ァと鳴き続ける。


 




  詩集まだ見ぬ花、その名は




    * * * * * * * * * * 




あなたと穏やかに話し合ったことには、
百数十億年の、宇宙の秘密があったなんて。



  - - - - - - - - - - -



地面には陽炎が立ち昇り、
空にはひばりがさえずり始めた。
風のない穏やかな春の日に。
道端は、若草にあふれ、名もない、
小さな花が咲いているでしょうが、
たぶんそこは、湿って冷たいでしょうから、
わたしは乾いたわらを敷くでしょう。
畑仕事に疲れたあなたのために。
どうぞ、そこに座ってください。
その金色に輝く栄光の御座に。



   - - - - - - - - - - -



家を出て三十年。
十五回も住むところを変えました。
以前住んでいたところはみんな取り壊されました。
でも、なんとなく風景だけは残っていますから、
それで寂しさを紛らすことはできます。
あなたが生きているあいだに、
わたしは何者かになりたかったです。
でも、どうにか生きていると言うことだけで許してください。
わたしは、あなたのもとを離れて三十年になりますが、
毎日のように、仕事について、女性について、食べ物について、
花について、星について、隣人について、平和について、
昨日について、明日について、神について、そしてあなたについて、
考えないときが一日に一度は必ずありました。


  - - - - - - - - - - -


雨はしとしと降っていて、吐く息は白く
道も街路樹も真っ白で
オレンジ灯も水銀灯もさびしそうで
どこまで行っても景色は変わらないので
いまはてっきり冬かと思った
昨日、桜は満開だったというのに


  - - - - - - - - - - -



もしかして、わたしが理性的であればあるほど、
あなたを苦しめていたのではないでしょうか。
と言うのも、あなたが「毎日が同じことのくり返しね。」と、
照れ笑いを浮かべながらふとつぶやくとき、わたしは、
恐ろしく残酷な目に会わせているような気がしたからです。


  - - - - - - - - - - -


自分の背丈よりも大きくなったトウモロコシ畑の向こう側に、
母の姿を必死に探し求めているおさなごが見える。


  - - - - - - - - - - -


十六の春にあなたのもとを離れて、すでに三十年。
そのあいだに、あなたから受け取った手紙は何百通。
ですから、わたしはいままでに何百回も心臓が止まりかけました。



  - - - - - - - - - - -



針仕事の手を一時休めながら母は、

「八歳のころ、神戸から汽車で二日かけて
ようやく前沢駅に着いたの、
でもすでに夜中で駅の外は真っ暗。
だれも迎えにきていなくて、家までは、
十キロ以上も歩かなければならないし、
それで駅に泊まることにしたの。でも、
寒いし、怖いし、一睡もできなかった。

なにごともなく朝になったけど、
今度は帰る道がわからない。
結局、同じ方に行くという見知らぬおじさんの後を
付いて行くことにして、
三時間ほど歩いてようやく家に着いたの。
おばあさんに
『なんで迎えにきてくれなかったの』
と聞いたら、
『いつかえってくるか知らなかったの』
って、
平気な顔して言ったんだから、、、、」


  - - - - - - - - - - -



     こんな風に歌うことができたら
やさしいあなたは胸をふくらませて、
可愛いまちがいをやったね。
「もう、桜の花は散ったのね。」と。
だから、ぼくはうれしくなってこう答えたんだよ。
「うん、もう桜の花は散ったね。」
そうしたら、あなたは恥ずかしそうに言ったね。
「うっ、桜と梅を間違えたわ。」と。



  - - - - - - - - - - -


あなたが泣かないのは
泣くとみんな嘘になるから
夢の中だったら
子供のように泣くこともできよう
優しい言葉をかけられたのだから
目覚めても熱い涙が止まらないほどに


  - - - - - - - - - - -



あなたはまだ、自分の美しさに気づかない少女
あなたは偶然にも見てしまった、あなたを見つめるわたしを



  - - - - - - - - - - -


美しく生きてくれてほんとうに良かった


  - - - - - - - - - - -


たしかにあなたの望むように
もっと、簡単な生き方もあったでしょう、
でも、わたしにはどうしてもできなかったのです
たとえ、別れのとき、
いつも涙でぐしょぐしょになっても


  - - - - - - - - - - -



時には流れ星と流れ星が衝突するときもある
あなたが生きているあいだに
わたしは何者かになりたかった。


  - - - - - - - - - - -


あなたのもとを離れて三十年。
そのあいだに何百通もの手紙を受け取りました。
だが、わたしは一通も返事を書きませんでした。
はたから見ればとんでもない
親不孝者に見えるでしょうが、
でも、わたしはどうしても嘘が書けなかったのです。
わたしはずっと幼児のように頼りなく不安でした。



  - - - - - - - - - - -


あなたのもとを離れたのは十六の春でした。
あれからもう三十年。
いったいなにが変ったというのでしょう。
わたしとあなたの関係はあのときのままなのです。
いま、そっと目を閉じて再びあけたとき、
あのときのあなたが目の前にいても、
決して驚かないでしょう。


  - - - - - - - - - - -



その夏はいつになく晴れた日が続いた。
その母は、家族の幸せを夢見て、
家事と田の草取りに忙しかった。
その父は、働き者の評判どおりに、
干草と牛小屋作りに忙しかった。
そして突然の雷雨はたびたび二人の疲れた体を休ませ、
雨上がりの虹と子供たちの笑い声は二人の心を和ませた。
その秋、いくたびも台風が襲った。
まわりを畑と水田と雑木林に囲まれた
萱葺き屋根のその小さな家は、
いつも吹き飛ばされそうな恐怖にさらされた。
そのたびに、母と子供たちは寄り添い、
父は家を守るために夜通しおきていた。
そしてスズメの群れが稲穂を襲い
、蝗の群れが飛び交うようになり。
赤とんぼは空を埋め尽くし、
子供たちは夕日に染まるまで遊んでいた。
そして、収穫が終わると、
母は十一歳の娘の病気を気遣うようになり、
落ち葉が家を覆い始めると、
父は出稼ぎに行くことを考えた。
その冬木枯らしが吹きつづけた。
夜子供たちは囲炉裏をかこんで
母の昔話に耳を傾けた。
その後ひとつの布団の中で母から
偉大な父の話を聞かされた。
そしてふくろうも目を見張り
ムササビも耳を澄ますような、
満点に星が輝く静寂な夜がしばらく続いた後、
天候が急変し一夜のうちに雪が
地表のすべてを覆い尽くした。
翌朝、からすが一羽飛んできて、
その小さな家の屋根に足跡をつけた。
そして雑木林では隠れていたウサギが
穴から出てきて最初の足跡をつけた。
その春、乾いた風がたびたびほこりを舞い上げた。
木々もいっせいに芽吹き、
名もない小さな花々が咲き乱れ、
草むらをミミズや毛虫や蛇がはいずりまわり、
そして雑木林が新緑に覆われ、
水田に水がたたえられはじめ、
その小さな家の周りが雑草に
うづめ尽されそうになったとき、
キツネとイタチはその家から聞こえてくる
産声に足を止めて聞き入り、
カエルとヤマバトは鳴くことをやめ、
ひばりとツバメは巣へと急いだ。
その年の晩い秋、見知らぬ人々が
その小さな家に出入りするようになったとき
猫や犬や牛だけでなく、
蜘蛛やねずみや鶏も異変に気づいた。
そして朝から絶えることなく立ちのぼっていた
煙が途絶えたとき、
空高く飛んでいたトンビが十一歳の娘の死を
告げるように悲しく鳴いた。


  - - - - - - - - - - -



あなたとわたしのあいだでは
ほんのちょっとよそ見しているうちに
いや、一瞬のまばたきのうちに
十年も過ぎてしまうんです
なかには、その一瞬のまばたきのうちに
一万年も一億年も
過ぎ去ってしまうことだってあるんですよ


  - - - - - - - - - - -



        花二題


不思議なことに、記憶は今はもうないと
判っているものに限って鮮やかに脳裏にとどめている。
なぜいま、追憶の庭は咲き誇る花々でいっぱいなのだろう。
子供のころはなんの興味も示さなかったのだが。

母は庭いっぱいに花を植える。
その季節になるとあちこちに花が咲く。
これは「なんの花。」とわたしが聞くと、
「アシタ。」と恥ずかしそうに答える。
なんでもシよりはスのほうが上品と思うらしく、
少し気取るとスがシに変わるのである。


あぜ道に咲いていたりんどうの花を、
珍しい珍しいと言って、
庭に植えたが、すぐ枯れてしまった。
母は肥料をやらなかったからにちがいないと言って、
小首をかしげて、枯れた草をじっと見つめる。
りんどうは、たしか多年生植物。
秋が過ぎたことに、母はまだ気づかない。

わたしは、その後そのりんどうの花が
どうなったか知らない、翌年みごとに花開いたかどうかは。
いや、それどころか、わたしは今まで
りんどうの花というものを見たことはない。
だから、どんな色のどんな形をした花なのかは判らない。