秋の日の枯葉のその美しさの意味を求めて
* * * * * * *
それでも
花は咲き
鳥はさえずり
人は歌い踊るのです
- - - - - - - - - - - - - - -
あなたには、まだ秘密の部屋があるのでしょうか
わたしは今まで、あなたのすべてを見てきたつもりです
もしあるなら、隠さずにわたしに教えてください
おそらくこれが最後の出会いとなるでしょうから
- - - - - - - - - - - - - - -
小さな小さな女の子が夕暮れに
その母の姿を求めて呼ぶとき
森のキツネやフクロウだけでなく
木や草や、そしてその薄暗闇も
その声を聞いているのです
- - - - - - - - - - - - - - -
風がわたしに冷たいのは
それは風のせいではないのです
他のより冷たい風に冷たくされたからなのです
あなたがわたしに冷たいのは
それはあなたのせいではないのです
他の誰かにあなたが冷たくされたからなのです
- - - - - - - - - - - - - - -
やつらが私たちを壊しにやってくる
でも、大丈夫です
安心してください
わたしが全力であなたを守りますから
たとえ、心が壊れても、体は動きますから
- - - - - - - - - - - - - - -
ヤマカガシ
ついにお前は現れた。わたしの庭に。
以前、玄関先に抜け殻を残したのは、
それは予告だったのか。
だが、わたしはもうお前を、女のよ
うには恐れない。
お前の緩やかで深い知恵を知り始め
たから。
この数ヶ月、お前の仲間たちは幾た
びもわたしの前にその姿を現した。
夏の暑い午後、公園を散策している
と、お前の仲間は芝生の上に横たわ
っていた。
わたしが歩み寄っても、身動きもせ
ず、まるで寝そべっているかのよう
に。
またあるとき、道路のひび割れが突
然動き出したかのと思って、
驚いて見たら、それはお前の仲間が
道路を横切ろうとしているところだ
った。
またあるとき、森の小道を歩いてい
ると、かつい見たこともないような
速さで、わたしの目の前を悠然と通
り過ぎていった。
まるでここは自分の縄張りであるか
のように。
またあるときは、広いアスファルト
の道路の端で、捨てられた縄のよう
な丸くなり、腹を見せながらその無
残な姿をさらけ出しているときもあ
った。
きっと車に引かれたのに違いない。
だが、お前らは、そうして地面を這
いずりまわっているにもかかわらず、
決して泥まみれになることはなく、
いつも、つややかな光沢を放ってい
た。
それがまるでしぶとい生命力の証で
あるかのように。
またあるとき、わたしが自転車で走
っているとき、お前の仲間がいきな
りわたしの目の前に現れた。
それはあまりにも突然すぎて、もう
間に合わなかった。
だが、車輪がそいつを轢こうとした
瞬間、そいつはとっさに身を翻して
車輪をかわした。
そして、あるとき、わたしはついに
お前の真実を知った。
どこにもお前たちが住めそうな場所
がない住宅街を歩いているとき、
今まさに道を横切ろうとしているお
前たちの仲間と遭遇した。
わたしがそのまま歩き続ければ、そ
いつに近づき過ぎることは間違いな
かった。
そこでわたしは、そいつが道を横切
るのを待つことにした。
だが、そいつも、わたしの気配を察
してか、少しも動かなくなった。
何かを思案しているかのように、微
動だにせず。
どのくらいの時間が経ったろうか。
やがて、そいつはゆっくりと頭を起
こし体をしなやかにくねらせて引き
返し始めた。
そのときわたしはお前たちの真実を、
お前たちの伝説的な知恵の証拠を感
じ取ったのだ。
ところで、お前はいったい何しにわ
たしの庭に来た。
お前は紛れもなく侵入者なのだぞ。
それにしてもずいぶん悠然としてい
るな。
まさか、自分たちのほうが何千万年
も生きているのだから、
わたしたち人間の方が侵入者だと言
うつもりではないだろうな。
それではいったい何しにきたのだ。
まさか、昔虐殺された仲間の復讐に
来たのではないだろうな。
お前たちは隠された牙に毒を隠し持
っているそうじゃないか。
なぜ今まで黙っていた。
マムシたちは堂々と宣言をしているぞ。
もっとも毒を持っていようがいまいが、
子供たちに追い立てられるのは仕方が
ないことだが。
どう見たって気味が悪いからな。
子供のとき、遊びのようにわたしはお
前の仲間を追い立てた。
それがあまりにも執拗だったので、
そいつは怒って頭をマムシのように三
角にした。
あれがお前たちの隠された正体だった
のだな。
そのとき気づいて居ればお前たちの扱
いも変わっただろうが。
それにしても、なぜお前たちはそれを
隠し続けようとしているのだ。
なにか深い知恵に裏打ちされているか
らなのか。
お前いったい何しにわたしの庭に来た。
殺された仲間の復讐の為ではないのな
ら、わたしに何か知恵を授けようとし
てきたのか。
だが、そのような手足のない体で這い
ずりまわっているだけで、いったいど
んな知恵を持ち合わせているというの
だ。
たしか知恵は自由な肉体に宿るはずの
ものだから。
もう伝説のヘビのように、あれ以来は
るかに進化を遂げて、
利巧になったとされる人間に授けるよ
うな知恵など持っていないだろう。
鳥たちは天高く舞い上がり、はるか彼
方まで見ることができるその眼で、こ
の広い世界を観察するように眺めなが
ら、楽しそうに自由に飛びまわってい
る。
あるものはお前たちを付け狙いながら。
それなのにお前たちはカエルを追っか
けて這いずりまわっているだけではな
いか。
獣たちでさえ、お前たちよりも早く移
動し自由に飛び跳ねている。
少なくともお前たちよりは世界を広く
見ていて知恵もあるはずだ。
それなのにお前たちは相変わらず地面
を這いずりまわっているだけで、
ときには、その獣たちさえからも驚か
れるほどだ。
お前たちの神出鬼没さと、そして、
その行動のあまりのもどかしさと得体
の知れなさのために。
人間は美しい肉体に宿る知恵を駆使し
て、便利で豊かな物質生活を築き、楽
しそうに暮らしている。
それなのにお前たちは手足のない肉体
をさらしてはいずりまわっているだけ
ではないか。
だから多くの人間たちはお前たちのよ
うな薄気味悪いものは、
この世から消え去ってもかまわないと
も思っている
女や子供を怖がらせるだけで、人間の
快適な生活には少しも役立っていない
からと。
鳥たちは、音を聞き分け、ときには美
しく歌い、人間たちを慰める。
獣たちでさえ、そのしなやかで俊敏で
美しい姿をさらして人間を和ませる。
だが、お前たちは人間たちに忌み嫌わ
れ続けているだけではないか。
いったいどんな喜びや楽しみがお前た
ちにあるというのだ。
お前たちの持っている眼や耳は、不完
全なものであまり役立たなく、
その割れた舌先で微かな匂いと風の気
配を感じ取り、
あとはうろこをまとった全身で地形の
変化を感じながら、
地面を這いずりまわっているだけだそ
うじゃないか。
そんな肉体で何を感じとれるというの
だ。地面のの振動くらいだろう。
そんなものからどんな知恵が生まれて
くるというのか。
お前たちは何千万年も姿を変えずに生
きてきた。
おそらくこれから先もその姿を変える
ことはないだろう。
変わることををお前たちに期待するほ
ど、人間はお前たちに関心がないだけ
でなく、
きっとそんな必要もお前たちに訪れる
ことはないはずだから。
ところで、手足がないというのは不便
ではないのか。
それとも、それは究極の形で、何か良
いことでもあるというのか。
では、その良いこととは何か。それは
しょせん地面の振動、
まあ、少し大げさに言えば地球の振動
を感じ取るぐらいじゃないのか。
それぐらいでいったい何か判るという
のだ。
いったい何しにわたしの庭に来たのだ。
虐殺された仲間の復讐のためでないと
いうのなら、
やはりわたしに何か知恵を授けようと
するためか。
道路を横切ろうとして、車に轢かれて
無残な死体をさらけ出すお前らに、
そのような知恵があるとは到底思えな
いのだが。
もっとも人間にもそんな愚か者は居る
けどな。
どうしてお前はそんなに悠然としてい
る。
お前は紛れもなく不法侵入者だ。
もし見つかれば、間違いなく追い立て
られ、下手をすれば、お前を恐れるも
のから殺されかねないのだぞ。
だが、わたしはもうお前を恐れない、
お前の不思議な知恵を感じ取り始めて
いるから、以前のように動揺して、お
前を追い払ったりはしないから安心し
ろ。
お前はもうすでにわたしの存在を感じ
ているはずだ。
でも、先ほどから少しも動こうとはし
ない。
なにか深い思索に入っているかのよう
に。
だから、なぜか、わたしも動けない。
それは、お前の行動を邪魔したくない
という気持ちが芽生え始めているから。
それにしても、いくら究極の形とはいえ、
お前たちの肉体はあまりにも無防備すぎ
ないか。
手足のない体というのは本当は不都合で
はないのか。
その想像力を途絶えさせるような不気味
さに、
人間は誰でも恐れをなして逃げるとでも
思っているのか。
でも、よく見ると、お前はずいぶん穏や
かな表情をしているではないか。
それは次のように言いたげにも見える。
「俺たちはこれで十分なのだ。手足がな
くても少しも不便ではない、
それなりに良いことはある。ずっと形を
変えずに生き続けた来たのだから」と。
わたしは少し動いた。
絶対にその気配を感じ取っているはずな
のに、
それでも、お前は動こうとはしない。
それはわたしなど恐れるに足りないとい
うことなのか。
それとも今こうして生きていることだけ
で満足であるということなのか。
では、お前たちにとっての良いことはな
んだろうか、
その手足のない体で地球の振動を感じて
いようが、
所詮カエルを追っかけて這いずりまわっ
ているだけではないのか。
鳥たちのように空を飛ぶ爽快さも歌のよ
うにさえずる喜びも、
獣たちのように大地を走り飛び跳ねる楽
しさも、
人間のように自分たちの力で地球を変え
て、
より多くの欲望を満たして世界を知る感
動もないではないか。
でも、お前は、相変わらず風に吹かれる
土筆のような顔をして平然としている。
それは次のように言いたげにも見える。
「 鳥は、いつかは翼が折れて、地面に叩
きつけられるときが来るだろう。
それは高く上がっていればいるほど激し
いものになり、そのときの苦痛も大きい
だろう。
獣も、いつかは足腰が弱り、もはや走る
ことも歩くこともできなくなるだろう。
そのときの落胆振りは速く走っていれば
いたほど大きいものになるだろう。
人間は、知恵を駆使し豊かで喜びに満ち
た生活をしているが、
いつかはそれを失うときが来るだろう。
そのときの押し寄せる悲しみや絶望感と
いうものは、
それまで幸せであればあるほど満ち足り
ていればいるほど大きいものになるだろ
う。
それに比べたら俺たちにはそんな不安や
恐れとは無縁だ。
それに、俺たちは地上のどんなところで
も這いずりまわっているから、
どんな片隅で起こっている、どんな小さ
なことでも判っている。
たとえば、歴史に記述されなかったよう
な人間の怒りや嘆きや、
そして、悲しみや屈辱などを知っている」
と。
お前たちは、地球の振動を感じながら、
究極の形で、これ上変わりようがない形
で、この地球に何千万年も行き続けてき
た。
その振動を原始からの地球の鼓動のよう
に感じながら。
おそらく、これからもその形で行き続け
るだろう。たとえ人間が滅びても。
ということは、地球の振動はお前たちに、
それ以上何かに変わることを望まなかっ
たということなのか。
それでは、お前たちの肉体は地球の知恵
ということなのか。
もしかしてお前たちは、神からはおせっ
かいな奴として呪われているが、
大地からは、従順な信奉者として祝福さ
れているのかもしれないな。
もうだいぶ時間が経った。
お前は相変わらず悠然としている。
かつては気味が悪いだけの存在だったが、
でも今は違う。
ようやくお前は静かに静かに動き始めた。
そして、茂みへと消えていった。
なんにも起こらないなんにも変わらない
静かな時間だけを残して。
いったいお前は何のためにわたしの庭に
来たのだ。
どうせ人間のほうが先に滅びる。
それでもお前たちはその姿を変えること
なく、地上に優雅な曲線を描きながら生
き続けるだろう。
傷つけられた地球の悲鳴のような響きで
はなく、その原始からの鼓動にような響
きを感じながら。
- - - - - - - - - - - - - - -
星は笑わない
花は笑わない
鳥は笑わない
でも、幼な子は
星よりもひたむきに
花よりも豊かに
鳥よりも軽やかに
その無垢な笑みを浮かべる
まるで存在の重みから
抜け出すかのように
そして、不安も、憂いも
苦悩も、暗い雲も吹き飛ばす
その萌えるような笑顔で
- - - - - - - - - - - - - - -
母たちの神話
満開の桜の花の下で
子供たちが戯れています
とにかくわたしたちを
いっぱい いっぱい
愛してほしいのです
そうしないと我が子を
愛せるかどうか
わたしたちは不安で
不安でたまらないのです
- - - - - - - - - - - - - - -
季節の移り変わりはあまりにも速すぎるのです。
おとといは春、きのうは夏、そしてきょうは、もう秋。
だから、わたしは自転車であっちこっち走りまわるのです。
その季節のスピードに追いつこうとして。
でも、どんなに走りまわっても、
どうしても追いつけない。
もし追いついたら、もし追いついたとしたら、
季節とともに歩み続けたあなたに
もしかしたら会えるかもしれないというのに。
- - - - - - - - - - - - - - -
季節の衣をまとうまもなく、時はまるで
記憶されることを拒むかのように、その銀河の翼を広げて
飛び去って行ってしまった。
だが、
季節の記憶は確実に、その金銀の生命の糸で
織り込まれている。
やがていつしか、
悔恨の森の奥深くの「自然の知恵」と呼ばれる洞窟に、
幾重にも折りたたまれ、人知れず横たわる、
その絢爛豪華な綾織物を恐る恐る
広げてみるとき、いとおしくも狂おしくも切なくも、
季節の記憶が数限りない思い出となって、
芳しい哀しみの花びらを舞い散らせながら
よみがえる。
- - - - - - - - - - - - - - -
暖かくなって眼が覚めると、
真っ赤な太陽が出ていた。いつものように。
空は見る見る青くなっていった。いつものように。
遠くから仲間の声が聞こえてきたので、
ヒバのこずえを飛び立った。いつものように。
まずは隣の楡のこずえに飛び移り、さらにそこから、
勇姿が見えるようにと、パァッと格好よく飛んで、
周りが見える高い赤い屋根のてっぺんにとまった。
いつものように。
みんなの声が近くに聞こえてきた。
ずっと仲の良い仲間の声も。いつものように。
また干草の取り合いっこなどをして遊ぼうと思った。
いつものように。
とてつもなく楽しいことだから。
さらにチュンチュンと思いっきり鳴いて、
人間の前を飛んだり横切ったりして、
威張り散らすカラスや利巧ぶるハトに、
どんなに人間と仲が良いかを見せ付けてやるんだ。
いつものように。
そして勢いよく飛び立った。先程のように。
だが、人間が行きかう道路にまっさかさまに落ちてしまった。
しかもドサっと、腐った柿の実のようにみっともなく、
地面にたたきつけられてしまった。
いったい何が起こってしまったんだろう。
突然翼が開かなくなってしまった。
みんなの所に行こうとしただけなのに。
そして楽しく遊ぼうとしただけなのに。
いつものように。
だが思うように翼が動かない。
もうだめだ体が動かない。
- - - - - - - - - - - - - - -
どうしてそんなに私を追い払おうとするのですか?
私がなにか悪いことでもしたというのですか?
私はただ止むにやまれずこうして卵を産み続けているだけです。
だが、どうしても私が邪魔だというのなら、
私はどこかに行きます。
でも、その前にちょっとだけ私の話を聞いてください。
ほんの少し前のことですが、
それまではとても暗く、体も重かったかったのですが、
とつぜん周りが眩しくなると、
急に体がのびのびとしてきて、とても軽くなったので、
私は羽ばたいて飛んだのです。
空高くどこまでもどこまでも。
そのうちにサワサワと風が吹いてきたので、
私はそれに乗って、さらにどこまでもどこまでも、
いつまでもいつまでも飛んでいたのです。
やがてどこからともなくものすごく良い匂いがしてきたので、
私は吸い込まれるようにその上に舞い降りました。
それがこのキャベツ畑なのです。
そこで私はいたたまれなくなって、
そして全身の力を振り絞って次から次へと卵を産み付けました。
判りました。
たぶんあなたにも言い分があるのでしょう。
でも、お願いがあります。
もう少しだけ、あと少しだけですからもう少し待ってください。
私にはそれだけで十分なのですから。
なぜなら、、、おそらく、、、たぶん、、、
いずれ夕暮れまでにはすべて判ると思いますから。
- - - - - - - - - - - - - - -
秋の日の小春な日和に
枯葉のその美しさの意味を追い求めて
私はまた、
この森に迷い込んでしまった。
薄日は光の粒子となって、
涸れることのない涙のように降り注ぎ、
落ち葉は土に変えるために、
早すぎる雪のように降り積もる
森はひと時の栄華を惜しみなく捨て去り
新たな春を迎える準備をする
でも、原子に還ったはずのあなたの姿はここにはない
ではいったいどこに、
やはり私は、
待たなければならないのですか、
北斗の七つ星が、
その昔の姿を懐かしむときまで
- - - - - - - - - - - - - - -
喜びの頂はまばゆく輝いているが、
悲しみの谷は目がくらむほどに暗く深い。
- - - - - - - - - - - - - - -
そんなにも、
取り戻したいというのだな、
だが、もう少し待ってくれ。
- - - - - - - - - - - - - - -
どうやら私は褒められたがっているようだ
いったい誰に
- - - - - - - - - - - - - - -
意識の重みから存在の深みへ旅立つ
真実にかこまれて、長い時間をかけてゆっくりと、
ゆっくりと、そして静かに
静かにわたしは狂っていく
* * * * * * * * * * *
春も初めの冷たい小雨の降る深夜。
人通りの少ない舗道で、奴が久しぶり
に私に声をかけてきた。
ときおり黄色い歯を見せて笑う奴だ。
なんとXX地獄であえぎ苦しむ私を
見かねて会いにやって来たそうだ。
奴は単刀直入に言った。
「そんなに死んだ母親に会いたいな
ら会わせてやろう。ただし、条件が
ある。お前が俺と誓約する次の五項
目の約束を守ったら、お前を地獄か
ら連れ出し天国の門まで連れて行っ
てやっても良いぞ。」
わたしは喜んでその条件を飲む事にした。
その誓約の内容とは
誓約書
第一項
勧められた酒以外は飲まないこと
第二項
人前には出ないこと
第三項
文章を書いて生活の糧としないこと
第四項
人に感謝されそうになったら、その人
に自分の母の名前を告げて、もしその
人が自分の母に会うようなことがあっ
たら、その人にあなたの息子は良い人
だと、自分の母へ言ってもらうように
すること。そしてそのような人を生き
ている間に百人以上つくること
第五項
俺以外の者とはどんな些細なことで
も誓約しないこと
私XXXXXは指紋のない者に対して
上記の項目を守る事を誓約します
署名が終わると、奴は思い出したように
言った。
「アッ、言い忘れたが、お前を母親に
あわせるとは言ったが、俺に出来るの
はお前をここから連れ出し天国の門ま
で連れて行けるだけだ。天国の門が開
いてお前の母親が出てくるかどうかは、
俺の力ではどうにもならない。判って
るな。そこから先はお前が考える事だ」
私は笑みを浮かべて答えた。
「うん、判ってる。わたしは今このよ
うな案を考えている。最後に母と別れ
たとき、母が私に言った言葉がある。
十二文字の言葉だが。その言葉を心の
支えに私はその後を生きる事が出来た。
もし私が天国の門にたどり着いたとき、
誰かがその十二文字の言葉を言ってく
れたなら、きっと天国の門が開かれる
ような気がするんだ。その時までじっ
と待ち続ける事にしたらどうだろう。
そうすればいつかはきっと会えるさ」
すると奴は薄笑いを浮かべて言った。
「いま、ざっと考えたんだけど、その組み
合わせのすべての言葉を言うだけでも、何
億年、いや何十億年もかかるな。ふう、気
が遠くなるな、早めに正解が出ればいいけ
ど」
私は満たされた気持で黙っていた。
そして最後に奴は少し悲しそうな表情で
言った。
「ところで、お前はいったい、死んだ母親
に会ってどうするつもりなんだ?」
私は黙ってその場を離れた。
- - - - - - - - - - - - - - -
- - - - - - - - - - - - - - -
わたしはずっとずっと苦しかった。
詩集失われた精霊の森
(作1990年前後)
* * * * * * * * *
未来のあなたへ
もしかしてたった一人のあなたへ
わたしにできなかったことを、ぜひあなたが
決して徒労ではなかったということを
= = = = = = = = = = = = = = =
青の不安
もう秋
待ちこがれた夏は
空の青の中に消えてしまった
雲は昨日と形を変え
まばらに浮かんでいる
残るはぼくを不安にする空の青だけ
やがてみんな秋になるだろう、人々も風景も
何かを失う、季節の執拗な変化になかで
捨てきれなかった、ささやかな想いと希望を
抱いていたものたちには
秋の夕暮れはやさしく慰めてくれるだろう
だが、今日のゆうやけは僕の嘆きを聞いてくれない
そしてひとつの不安を抱えた夜
驟雨は激しくトタン屋根に響く
すべてをさえぎり部屋に流れる静寂は
冷たい地下の死者の眠りにように
ひとつの安息となる
= = = = = = = = = = = = = = =
ビルに屋上より
最後の希望をたくす森は
遠くかすみ
そしてその果ては
青霞と共に空に消えている
無限遠点を見つめる者の瞳は
いつしか灰色
ビルの屋上の巻き風と踊っている
子供たち
父たち
母たち
冬の近い風はただ冷たく容赦ない
だが、今日は休日
残された時間に最後の楽しみを見つけ
ビルの屋上の巻き風と踊っている
巻き風と踊るものたちよ
あなたたちが
子供らしくあればあるほど
また父らしく母らしくあればあるほど
非情な風もやさしく通りすぎ
今日の幸福と明日の希望をあたためながら
未来は約束されたように
平穏な日々がおとづれるだろう
だが
子でもなく
父でもなく
母でもない
灰色の瞳で無限遠点を見つめるものよ
神の劇場の出演を拒否するものよ
未来との契約を破棄したものよ
おまえは、おのれの振る舞いを知らない
悲惨、浮浪者のような悲惨
労苦、むくわれない労苦
悲哀、人があろうとするための悲哀
なにがおとづれるだろう
振舞うことに恐れおののく者
振舞うことに打ち震える者
いまはただ冷たい非情な風だけだが
= = = = = = = = = = = = = = =
電車は午後の倦怠を乗せて走っている
鉄橋を渡り始める
窓の外にススキの群生が広がる
あっ、ススキの群生のむこう側に
俺が立っている
鉄橋を渡り終わる
電車は午後の倦怠を乗せて走りつづけている
= = = = = = = = = = = = = = =
覚醒はつねに付きまとい、確実におとづれ
生を苦々しいものとする
なぜすべてが美しいと、善しと
肯定へと心は向かわないのだろう
あるに違いない
きっとあるに違いない
おまえの生には価値があると言えるときが
方法が
わたしは待っている
懐疑の終わりを
目覚めていることが苦痛でなくなるときを
世界との和解を
= = = = = = = = = = = = = =
新しいときの発見
ふと意識の絶え間ない流れをかいま見たとき
時間は何気なくその流れを切り開いて
その断面を見せることがある
そしてその断面は永遠に向かって彩られている
それは一瞬が永遠に変わるときである
友人は話を中断していっぱいのお茶のために湯を沸かす
燃え続けるガスの青い炎
せかせられた時間は消え
退屈な時間が現れる
全ての人に平等に与えられたいっぱいのお茶のためのひと時
私達の周りでは時間は有り余っており意識されることを嫌う
口にくわえた一本のタバコ
一杯のお茶
行為の裏側を見ないようにタバコをすいお茶を飲み続ける
タバコと現実、現実はタバコのようにまずい
灰皿一杯にあふれた吸殻逃れられない時がそこにある
= = = = = = = = = = = = = =
五千年後の未来に開封されるタイムカプセル
わたしたちはもちろん生きてはいない
いったいどんな情念を封じ込めたのだろうか
時の切り開かれた断面は
いつも永遠を目指している
時は永遠の連続である
目覚めていることは苦痛である
意識の重み
= = = = = = = = = = = = = =
熱い日差しのあとに、雷雨がやってくる
そんな絶え間ない自然の興奮の中で
流れる日々をただじっと見つめて過ごした夏の日
不意におとづれた二人だけの世界に
愛の言葉も仕草も知らない少年と少女は
ためらいながらも
まだ愛の言葉も仕草も知らない少女の
未熟な胸のふくらみが
真っ白いブラウスを通して
また愛の言葉も仕草も知らない少年の
汗ばんだ硬い胸に触れたとき
少年から少女へ
たしかではないがなにかが流れ出た
退屈な愛の言葉や仕草を知った今
少年期の思い出は
夏の夜に解き忘れた宿題のように
ときおり、青く細い光となって脳裏を掠める
= = = = = = = = = = = = = =
冬の陽光も
午前十時にはやわらかい
車や電車の騒音は
陽光に中和されたかのように
人声だけが冴え渡る
窓の外を妊婦が通る
多感な少女期の思い出は蘇らない
いま人類の真理に襲われながら
愛の塊となって歩んでいる
= = = = = = = = = = = = =
八月の空の思い出から
青い空を背後に
白く流れているのは、いつかの雲
峰と峰との間にかけられたあのときの雲
そこに見えるのは私の秘密の八月の空
しかし、過去がわたしだけの物であると知る今
過去は秘め事のような思い出となる
そしてもとめるものを見失ったわたしの意識は
思いでの深いよどみに巻き込まれる
いまビルの窓から
この繁栄に賑わう町を眺めても
希望をつなぐ豊かな夢はおとづれない
見えるのは希望をも打ち砕こうとする
孤独者の不あにおびえる夢ばかり
登山者のように繁栄の町をさ迷い歩いても
井戸掘り職人のように過去を掘り下げても
懐かしい地下水はどこにも湧き出さない
追憶の泉は乾いたのどをうるおさない
かすかに残っているのは
悔恨を勝てとする神経症患者の
幻影におびえる夢ばかり
青空を背後に
白く流れているのはいつかの雲
峰と峰との間にかけられたあのときの雲
そこにあるのはわたしの八月の空の思い出
だが、思い出が今を豊かにしないと知るとき
今は見失われ、犯され、怯えてている
= = = = = = = = = = = = = =
今を建て直しわたしを未来へと向かわしめるために
わたしは懐かしい八月の思い出と決別する
もうひとつの古い八月の空の思い出から
わたしの脳裏に
いつも不安な黒雲のように漂い
正義の偽名のもとに
倫理の美名のもとに
少年の純粋さに付けこみ
賑やかに語られ
永遠の負債であるかのように脅かしつづけた
もうひとつの古い思い出の中の八月の空
しかし、どんなに賑やかに語られても
新たな死臭をかぎ始めたものには
原野の死臭をかぐことはできない
新たな幻影に犯され始めたものには
夜空の閃光を思い浮かべることはできない
永遠の負債のように脅かしつづけ
賑やかに語られる物は
新たな悪しき伝説を生むにすぎないだろう
正義の偽名のもとに
倫理の美名のもとに
賑やかに語られるものは
新たな現代の醜聞を生むにすぎないだろう
だが、不運な宿命に飲み込まれた受難者たちが
たった一度きりの生を
他に生きようがなかったと悔やみ呪い
思い出を孤独にしか語ることができないとき
思い出を孤独にしか伝えることができないとき
わたしは現代の廃墟の中で
沈黙に黒ずむ手を差しのぺる
そしてわたしは古い八月の空の伝説と決別する
= = = = = = = = = = = = = =
だが、それはわたしには過ぎたことだ
わたしには何を語ることができようか
わたしの肯定は新たな否定を生み出すに過ぎない
わたしの否定は新たな肯定を生み出すに過ぎない
わたしに何ができるというのだ
わたしが饒舌になればなるほど
被造物であることを思い知らされるだけだ
= = = = = = = = = = = = = =
陽は燃え落ち
人々は拘束から解き放たれ
生の恥辱の炎は揺らめき
星のうつろな輝きのもと
ビルはその廃墟をあらわし
無機的不気味さのなかを
風は荒荒しくときには
不機嫌にさ迷う
最後の原始の眠りにつくまで
= = = = = = = = = = = = =
日差しは秋と変わらないのに
枯草の下ではもう萌えているのか
一瞬過去のわたしが脳裏をかけめぐる
わたしはいつも歩いている、歩いている
あるいは呆然とたたずんでいる
萌え始めた草
焼き上げられたパンの匂い
パン工場の煙突
はじける花々のつぼみ
校庭の砂塵
タバコの燃えるにおい
タバコ工場の煙突
工場の単調な機械音
焦げつく機械油のにおい
少女たちの笑い声
女性たちの舗装路に響くヒール音
大地の蠕動
無限のの蠕動
永遠の波動
海
海にのまれたわたし
だが、追い求めても二度と蘇らない
また知らず知らずのうちに歩みを止めてしまった
ああ、わたしの幻想のゆくえ
= = = = = = = = = = = = = =
昼と夜
追い求める
無目的な、乱雑な建物の間に
喧騒の路上に
わたしの過剰な欲望を、限りない執着を
昼は深い
意識が拡散すればするほど
感覚は狂気に近く
深く迷い込む
幻惑、幻影、熱狂
狂走する音楽
猥雑な広告版わたしは底なしに奪われる
静寂の夜
わたしは横たえる
真昼の熱狂をくぐりぬけてきた肉体を
あくことのない欲望を、執着を
いまだ癒されぬ感覚を
真昼の全ては捨てがたい
だがすべてを捨てる
わたしがわたしに帰るため
夕日に流した涙と共に
チロチロと青白く燃える悔恨の炎と共に
わたしはわたしだけの眠りにつく
そして夜の深みへ
= = = = = = = = = = = = =
もうそろそろ舞い上がっても良い、砂ぼこり
ちょっと急げば汗もでる
空に雲なく、影も短い
寒さはすべてを閉じ込めたが、もう我慢しない、なにもかも
汗は首から額から、目をさえぎるのは過剰な光
調子に乗って春たちは、去年やおととしや、ずっと<BR
>ずっと、むかしの春まで、陽炎のようにはいだしてくる
みんな生き生きさっぱりしている
見知らぬ路地からは少女が楽しそうに笑いながら出て来たり
きっと少女の頭の中では花が咲いているのだ
さっぱりとしない心の人間が
あなたのようには笑えないと言えば
そんなことわたしには関係ないわと言うに違いない
自転車に乗った少年は風のように通り過ぎて行く
うづまいている心の人間が
風のように通り過ぎることはできないと言えば
逆らってもどうにもならないと言うに違いない
きっと少年には去年の春やおととしの春はないのだ
汗は首から、額から目をさえぎるのは過剰な光
立ち止まらなければ、ここは見知らぬ街角
ああ、わたしは道に迷ってしまったよ
陽炎のようにはいだしてくる追想の春のために
= = = = = = = = = = = = =
夏の町
真夏の午後二時の交差点
理由もなく駆られた力
知覚は眠り疲労する時間帯
解析不能の風の中
無限無数の目に見えぬ塵埃
吹き出た汗に吸い込まれる
額の汗、首の汗、腕の汗
そしてじっと待つ
走り抜ける車
交錯する騒音
かき乱された風
重力から解き放たれ舞い上がるセロハン紙
カシャカシャと悲鳴をあげる
だが聞こえない
走り抜ける車
交錯する騒音
かき乱された風
流線型の風に沿い落下するセロハン紙
汗に吸い込まれ続ける塵埃
ますます吹き出る汗
浮遊する神経
わたしより先に待つ少女
黒いワンピースの少女
気づいているか
わたしの神経を震わす風が
あなたの黒く透き通るワンピースの中にはらむのを
= = = = = = = = = = = =
女たちの周りに蛙のようにへばりつき
女たちの駄弁に耳を貸す男どもを
好きになれさえすれば
にぎやかな女たちに恋することもできるのだが
僕が恋したのは
真夏にもかかわらず
熱いお茶をたてつづけに三倍も注いでくれた
内気な少女
僕だけの話を聞いてくれそうな少女
やや赤みを帯びた後ろ髪をリボンでゆわえ
目もとまで垂れ下がった前髪に
僕は少女の境遇を盗み見て
内気な少年のような恋をする
そして恋を空想する
僕が誘惑したらあなたはやってくるだろうか
たぶん、あんまり似合わないはやりの高いかかとの靴をはいて
不慣れな化粧をしてやってくるだろう
そして憂鬱な父たちの話しや
好色な店の主人の話をするだろう
そんな時僕は憂いのあまり死んでしまいたくなるだろう
僕は愛の言葉もかけず
理由も言わず
あなたを捨てる
あなたは突然世界が信じられなくなるだろうが
問いただすこともなく
涙を流すこともなく
再びもとの内気な少女にかえる
そして僕は憂愁に憂愁を重ねるだろう
= = = = = = = = = = = = = =
わたしが間抜け面をすれば
あなたはきっと明るくなるだろう。いつものように
だがそう振舞えないわたしを見て
あなたは自分をかえりみる
かすかな唇の動きの中にあなたは自分を隠す
だれもあなたを卑しめない
あなたはだれにも卑しめられない
わたしは幸福そうな人々の使者ではない
あなたを汚辱すれば、それはわたしへの汚辱となるはずだ
わたしはあなたの心をのぞいたりはしない
快活に振舞ってくれ、いつものように
乾いた肌でわたしの欲望を満たそうとする人よ
わたしの欲望は深くて暗いから
あなたはわたしのできの悪いお世辞に礼を言ったり
望みもしない愛撫を求めてたり
だがここにあるのは二つの肉の塊だけ
あなたの青ざめた肌の上を滑るわたしの手は白く冷たい
わたしは心にもないいつわりの愛撫を繰り返す
あなたの乾いた肌の上
悦楽のにおいはかき消え
ただここにあるのは二つの肉の塊だけ
わたしからあなたに慰めの言葉をあげよう
愛や恋の不在の言葉を
愛や恋への非難の言葉を
わたしは何も信じていないのだと
だがあなたの重たい唇から漏れた思いがけない言葉
わたしの裏切りをさとすように出た言葉
「愛とは苦しいものだそうよ」
あなたはわたしの悔恨を知らないように
わたしはあなたを慰めるすべを知らない
ここにあるのは何かから取り残された二つの肉体だけ
= = = = = = = = = = = = =
乾くことの知らなかった唇は荒れ
抱きとめるはずであった腕はなえた
いつも夢見がちなわたしの瞳から
すべを覆い隠してしまった女よ
あなたはいったいなにを夢見ていたのだろう
それは夏の日の午後
過酷な自然や単調な現実の前に
あなたは涼風のように微笑むことができた
それは秋の日の夕暮れ
たどり着いた小高い丘の上
遠くを見つめるあなたの瞳を
わたしは喜びを持って許すことができた
たとえわたしの幻影に過ぎなかったとしても
わたしとの言葉少ない唇に
わたしの何気ないしぐさの中に
あなたに対するすべてが隠されていたのだが
あなたは読み取るすべを知らなかった
わたしはいったいなにを夢見ていたのだろう
あなたを襲う単調な日々や
度重なる退屈さに耐え切れない
あなたの誘惑に駆られやすい心は
日毎に荒々しい言葉に変わり
遠くを見つめていたあなたのその瞳は
好奇に満ちた瞳に変わった
= = = = = = = = = = = =
風は
郊外の森を通り抜け
町にやってくる
数少ない街路樹の葉を揺らし
街の隅々を駆け巡る
午後の森の乾いた風は
怠惰な部屋の空気を運んでいく
午後の森の乾いた風は
森の静寂を運んでくる
そんなとき
失意だらけの昨日までの頭の中に
悔恨が
脳漿をくぐりぬけてやってくる
そして、失意だらけの白茶けた紙に
昨日までの空白の紙に、何かを記入し始める
森をくぐりぬけてきた乾いた風の中
別れる理由などなかった
あなたたちを納得させる理由などなかった
ただいつからかははっきりしないが
わたしの心に住み始めた不思議な予感が
わたしとあなたを別れさせたのだ
わたしはあなたたちには言えないさびしい決心をした
わたしのさびしい決心には
決して明日は明るくないだろう
だがあなたたちの明日はわたしには暗すぎる
風は町のにぎやかな空気を
なし遂げられなかったさまざまな思いを運んでいく
寂しさだけを残しながら
= = = = = = = = = = = = =
わたしが苦悩すれば世界が苦悩するように
わたしが悲惨でなかったら世界が悲惨でないように
世界を映しているのはわたしの心だが
憂鬱な風景のときばかりとは限らない
喧嘩に負けた野良犬のような
卑屈な悲惨ばかりとは限らない
街が陽気な人々で満ち溢れわたしの心が
秋の風の冷たさに閉じ込められるとき
わたしは他人のように雑踏の中を歩くことができる
裏通りには
足取りもおぼつかなくパチンコ屋から出てくる老人
忘れられた時代を思い出させるチンドン屋
かん高い声で客寄せをするキャバレーの呼び娘
明日には忘れるつまらぬ口論をする酒場の酔っ払い
すべてはあるがままだ
すべては充実している
すべては快活だ
老人も、チンドンヤも、呼び娘、酔っ払いも
決して悲惨ではない
ネオンサインは日暮れと共に光を増し
待ってたとばかりに輝きだす
騒音はいたるところで交錯し
街は不思議な調和を生んだいる
すべてはあるがままだ
すべては充実している
わたしは望むずっとこのままわたしを憂愁に引き込むことなく
わたしの心を離れ
すべてが陽気にわたしの周りをまわってくれることを
= = = = = = = = = = = = = =
これが午後の森だ
新しい葉の群れはいっせいにひるがえる
光をはじいているのは緑色のうろこ
さていつもそむきがちな世界から、わたしは
この午後の森を区画しよう
いつも遅れがちな時間からわたしは
この新しいときを切り離そう
そうして重くなりかけていたまぶたをしっかりと閉じよう
するし緑と性の香気は幻想のようにたちこめ
風に戯れる枝の下に
一人の少女をたたずませることもできよう
決して語らない
決して語ってはいけない肖像のように
沈黙が永遠へと導くかのように
いつも不眠の夢に現れる少女なのだが
しかし世界の背後を見続ける
耐え切れない苦痛の進入
求めても求めても
追いつけない新しいときへの絶望
わたしには思い浮かばない
裸身をさらしながら少女と落ち合う夜が
わたしには見出せない
永遠へと開け放たれたわたしたちの性の窓を
ついに少女の横顔はかげり黒ずみ
その肖像はガラスのように砕け散る
不幸な幻影に残ったものは
裏切り者のようにわたしに差し向けられた
少女の哀れみのまなざし
決してわたしはこの世界の裏切り者ではないのだが
振り向けば
はるか西方の山脈は
まだ残雪に真っ白。冷気が
冷気が激しく吹き荒れている
= = = = = = = = = = = = =
街には大人たちの愛玩動物がわめきながら走り回り
言葉を話すメス豚が、着飾り匂いを撒き散らして歩き回る
自ら眼をえぐり耳を切り取ったオス豚は
太りに太った虚栄と、疑心と、ねたみと、おごりと、
エゴイズムと、そして腐りかけたく恥辱と、卑屈と、
うんこと、生殖器に囲まれて食って、飲んで、
やって、働いて死んでいく、
それから、、、、、、、、、、、、、、
ぼくは決して気が変になったのではない
どうしようもないから、つい口に出てしまうんだ
この狂人たちめ!と。でも、
ぼくはしょせん地べたを這うひとりの人間
きっとこんな毒づきも許してくれるだろう
夕闇に女たちの白いスカートが映えるころ
ぼくはそそのかされて薄暗い部屋を飛び出す
風のように町に現れ、お前を待ち伏せる
野良犬になりきれないぼくは
野良犬の振りをして、お前を誘惑する
そしてお前に、お前の楽しかった思い出も、
ささやかな夢も、暖かい家族も
みんな捨てさせる
ぼくもつらい思い出も、さびしい夢も、
暗すぎる明日も
みんな捨てるから
無数の絶望と悲嘆を生みおとしながら
呪われながらも繁栄し続けた町は
真昼の太陽に焼き焦がされ、とろけ
不信、誤解、思惑、猜疑もろとも燃え尽きた
ざまあ見ろ、自業自得だ
町のうめき声も、わめき声も聞こえないように
さあ、堅くドアを閉じよう
ぼくたちを邪魔するものはだれもいない
何も恐れることはない、ぼくたちは許されている
ぼくは、ぼくの力で、もう二度と昇ってこないように
太陽を沈めた
ぼくたちに明日は必要ない、必要なのは
二人だけの部屋と、この今だけ
さあ、おまえにたずねよう
昼と夜とで、どちらが好きか
もし昼に聞けば昼と答えるだろう
もし夜に聞けば夜と答えるだろう
だが今は夕暮れ時だ
さあどうする根っからの嘘つきめ
昼に夜のことを考えない
夜に昼のことを考えない、いや、考えられない
お前の頭の中はまったくの空っぽだ
でも迷うことはない
もうじきお前の好きな夜がやってくる
それにぼくたちを造ったものに比べたら
人間はみんな出来損ないだから、そして
ぼくはそんな空っぽさが大好きだから
お前はぼくへの形ある唯一の贈り物だから
ぼくは感謝し、喜んで受け入れよう
お前は気まぐれなしぐさでぼくを惑わすが
ぼくは何もかも忘れ、喜んで惑わされよう
ぼくは燃え尽きた町の言葉なんか信じていないが
思いつくまま感じるままに口から飛び出す
お前の謎めく言葉だけは信じられる
前が自由気ままに振舞うと
ぼくの頭の中で音楽が響く
お前を包んでいる甘い世界に、ぼくも包み込まれよう
さあ、始めに還ろう
何も恐れることはない
ぼくたちが生まれたところに還るだけだ
不信とか信頼とか、善とか悪とか。
愛とか憎しみとかのないところへ
まだ人間も、言葉も生まれなかった混沌へ
だれもが口を閉じたがる宇宙へと溶け込もう
お前の世界は肌から外へと広がっていく
ぼくの頭の中で夕日が名残惜しげに沈んでいく
捨てきれない明日と、背後のドアにおびえながら
ぼくはお前を抱きしめようとする
燃え尽きた町の余熱を感じながら
ぼくがお前を抱きしめようとする
唯一の贈り物を失いたくないから
ぼくはお前を抱きしめようとする
ただどうしようもないから
ぼくはお前を抱きしめようとする
ぼくの手はお前の体の上をよくすべる
だが、ああ、、、、、、、、、、
ぼくの目の前にあるのは
傷つけられた死人のような唇、腕、脚
そして胸、ただそれだけ
燃え尽きたはずの町の言葉が
お前の唇によみがえり、そして
傷つけられたあまりにも痛々しいお前の肉体の上に
燃え尽きたはずの町に幻影がよみがえる
ぼくは罠にかかった、巧妙な罠に
だれの罠?
なんの罠?
お前はどこにいる?
ぼくはどこにある?
ぼくは暗闇の中でお前の魂を捜し求める
見失ってしまったぼくの魂を捜し求める
ぼくにはまだどんな言葉も許されてはいなかったのだ
言ってもいけない、見てもいけなかったのだ
ぼくは打ちのめされ豚のように這いつくばる
這いつくばる、そして
天上から降りてきた氷のカーテンが
ぼくたちをさえぎり、引き裂く
泣いても泣ききれないぼくは
出口を見失った迷路に独りぼっちで眠る
夜さえも抱きしめられないぼくは
呪われた眠りを眠る
そして朝の夢の中
森は太陽に輝き、鳥たちはさえずり
木々は風にざわめき、小川がせせらぐ
でもお前はされこうべのくぼんだ眼窩を窓ガラスに映す
そしてそっと伸ばしたぼくの手が
お前の肉のそげた骸骨に触れる
ぼくは恐怖におののき、目覚め、飛び起きる
だが窓からは明るい光が差し込み
なにも変わらぬお前を照らす
そして窓の外の町は、昨日と同じ夜明け
ぼくが沈めたはずの太陽が昇り
また見せかけの一日が始まろうとしている
= = = = = = = = = = = = = =
まばゆい光
灰色の静けさ
そして暗闇
まばゆい光
曇り空のような灰色の静けさ
そしてぶ厚い暗闇
まばゆい二つの光
曇り空のような灰色の静けさ
突然目の前に現れたまばゆい二つの光
近づく二つの光
曇り空のような灰色の静けさ
灰色の静けさは現在
近づく光は過去
二つの光はわたしのほうへ
わたしに向かってくるまばゆい光
うごめく暗闇
そして光の束、光の洪水
光の渦、光の散乱、光の集積、光の放射
そして凍りついた暗闇
突然目の前に現れたまばゆい二つの光
近づく二つの光
曇り空のような灰色の静けさ
灰色の静けさは現在
近づく二つの光は過去
二つの光はわたしのほうへ
わたしに向かってくるまばゆい二つの光
まばゆい二つの光は車のヘッドライト
角を曲がって突然現れた車
夢中で走っているわたし
そして曇り空のような灰色の静けさ
角を曲がって突然現れた車は過去
わたしは夢中で走っていた
わたしは喜びに満ち溢れていた
そして光の束、光の洪水、光の散乱、
光の渦、光の集積、光の放射
痛い黄色い三角
熱い青い渦巻き
高く冷たい円
赤く低い螺旋
重く白いまだら
黒くくさい水玉
高い音の緑の四角
そして凍りつくような暗闇
突然目の前に現れたまばゆい二つの光
近づく二つの光
曇り空のような灰色の静けさ
灰色の静けさは現在
近づく二つの光は過去
二つの光はわたしのほうへ
わたしに向かってくるまばゆい二つの光は車のヘッドライト
角を曲がって突然現れた車のヘッドライト
そして曇り空のような灰色の静けさ
灰色の静けさは現在
角を曲がって突然あらわれた車は過去
わたしは夢中で走っていた
わたしは喜びに満ち溢れていた
わたしは嬉しさのあまり走っていた
わたしは誰かに合おうとしていた
この灰色の静けさは現在
わたしは誰かに合おうとしていた
わたしは嬉しさのあまり暗く細い路地を夢中で走っていた
そして光の束、光の洪水、光の散乱
光の渦、光の集積、光の放射
痛い黄色い三角
熱い青い渦巻き
高く冷たい円
赤く低い螺旋
重く白いまだら
黒くくさい水玉
そして凍りつくような暗闇
突然目の前に現れたまばゆい二つの光
それは薄暗い細い路地の角を曲がって
わたしに向かって走ってくる車のヘッドライト
わたしは夢中で走っていた
わたしは喜びに満ち溢れていた
わたしは嬉しさのあまり走っていた
わたしは誰かに合おうとしていた
わたしにはとてつもなく嬉しいことがあった
そうだわたしに子供が生まれたのだ
わたしは子供に会いに行こうとしていたのだ
この灰色の静けさは今なのだ
この光の束、光の洪水、光の散乱、
光の渦、光の集積、光の放射
痛い黄色い三角
熱い青い渦巻き
高く冷たい円
赤く低い螺旋
重く白いまだら
黒くくさい水玉
曇り空のような灰色の静けさ
そして凍りつくような暗闇
= = = = = = = = = = = = = =
はじめに
青空と
夕日と
風と大地のざわめきは
その愛する被造物たちを
慰め、包み込み、捨てなかった
しかし、背くことを覚えた
人類の歴史の果て
ときおりその始めにかえす
そしてその埋め尽くされぬ距離を思い
青空と夕日に焦燥を
風と大地のざわめきに不安を
人類は刑罰のように苦しみ続ける
= = = = = = = = = = = = =
夏の強い日差しのもとでの
肉体のほてりも精神の高揚もない
秋の日の寂しさ
夏のあいだ、なにかを書きしるされるべく
窓際にほうられていた紙切れは
いつしか小麦色に変色し
窓辺を通り過ぎる風にふるえている
容赦ない夏の太陽に異議を唱えるように
青々と誇っていた草の原は
刈り払われ、弱い日差しにさらされている
どこからともなく聞こえてくる
家を建てる木槌の音が
ビルのあいだをこだまする
彼らは用意している
来たるべく冬のためではなく
ささやかな未来との契約のために
わたしは未来との契約を破棄したはずだ
目の前を枯れ尾花が落ちていく
おののきながらまぶたを閉じるように
わたしの心も果てしなく落ちていく
肉体のほてりも精神の高揚もない
秋の日の寂しさ
= = = = = = = = = = = = =
僕はできるだけ何も失うまいと
いまを、この一秒を
大切に生きてきたつもりなのだが
あるとき僕は雲の生滅を見届けようと
何時間も空を見ていたことがあった
でも雲は
僕に気づかれないように現れては
気づかれないように消えていった
またあるとき、僕は水の正体をつかもうと思って
小川の流れをじっと見つめていたことがあった
でも水はただ流れているばかり
手のひらにすくってみても
むなしくこぼれ落ちるだけだった
またあるとき、僕は山の美しさと雄大さに憧れ
山の頂上を目指して昇ったことがあった
でも山は石ころだらけの斜面で
僕はただめまいだけを感じていた
遠く離れてみた山は
やはり美しく雄大だったのに
= = = = = = = = = = = = =
いまはいつだろう。ここはどこだろう。そして、これは何だろう。
流れるような、輝くような、うごめくような、塊のような
これは汚すものが汚されるものか、苦しむものか苦しめられるものか
ただ還りたい
なにかを恐れるように想い続け何かを恐れるように像を結ぶ
いきつけないもの
たどりつけないもの
はねかえすもの
はねつけるもの、その黒い黒い塊
内実に向かって被造物の限りない抵抗
負債を負わされて意識
重荷を負わされた意識
= = = = = = = = = = = = =
時を見失ったものが
時に見捨てられたものが
なにを思うことなく
なにを考えることもなく
広場にてベンチに腰をかければ
時に見守られた人々が
時を大事そうに抱え込んだ人々が
取囲む巨大な建築物の由来を知ることもなく
自分たちを動かし続ける濁流の流れ着く場所も知ることなく
待ち人となり
ひとときの夢見る人となり
通り過ぎる
時を見失ったものが
時に見捨てられたものが
すべてをあるがままに
すべてをありうるように
広場にて眺めれば
おのれの来歴を知るすべもなく
おのれの身を託すすべもなく
いつしかその眼は痴呆のまなざし
地方のごとき目は、通り過ぎるままに
青空を映し、流れる雲を映し
人々を映し、路上を映し、そして
路上の敷石の模様が
規則正しく並べられていると知ったとき
痴呆のごとぎ時の喪失者の目に涙があふれる
= = = = = = = = = = = =
美はわたしのものにならない
なぜなら
美は流れ出ていくもの
わたしから流れ出ていったものは
二度とわたしに戻らない
うちひしがれて
つきはなされて
ただ力なくひざまづき
永遠逃れ去り
永遠に手から滑り落ち
永遠に帰らぬもの
わたしに残っているのは
ただ意地の悪い復讐のみ
= = = = = = = = = = = = =
僕は恐れる
昨日と変わらない風が
朝の街路樹の葉を揺らし
昨日と変わらない太陽が
昼の舗道に影を作るときに
昨日と変わらない人々が、僕に
好意の挨拶をしてくれるのだが
昨日までのことが遠い思い出のように
簿間の脳髄の片隅に退いてしまう
僕は恐れる
昨日までのことが
汗ばむ手に握り締められた石ころのようには確かではない
人々へのやさしい想いも人々との親しい交わりも
人々との思惑も
みんな時の罠に落ちた
僕の未熟な頭の中の出来事に過ぎないようだ
なんにも確かではない
僕の言葉も
僕の悩み事も
僕の執着も
みんな時の罠に落ちた
僕の未熟な頭の中の出来事に過ぎないようだ
なんにも確かではない
昨日までのことが
思い出し忘れてしまった夢のように
僕の脳髄の片隅に退いてしまう
そして、昨日と変わらないこの夕べ
突然僕の頭の中に侵入し
僕を悩ますものたちよ
原始人にように文明を恐れる精神病者
やさしく振舞うことができなかった犯罪者
仕立て上げられてしまった背徳者
ああ、この夕べにあらわれる者たちよ
僕は恐れる
明日も今日と変わらない風が
朝の街路樹の葉を揺らし
明日も今日と変わらない風が
昼の舗道に影を作るだろう
そして、明日も今日と変わらない人々が
僕に好意の挨拶をしてくれるだろう
だが、この夕べにあらわれる者たちのために
僕はいままでの僕でいられるだろうか
僕は恐れる
この夕べにあらわれる者たちのために
僕に好意の挨拶をしてくれる人々を
裏切らなければならないことを
そして僕は恐れる
いつの日か、その真夏の炎天下
麦藁帽子をかぶり、あぜ道を歩く姿を
たぶん僕は狂っているだろう
= = = = = = = = = = = = = =
排気ガスに煙る高層ビル
熟しすぎて
路地に垂れ下がる柿の実
路上に落ち
腐りかけ
腐りかけたおごりを載せた車のタイヤが
おもむろに踏みつぶしていく
= = = = = = = = = = = =
すぐ影響されやすいから、
木よ、わたしを支えてほしい。
それから、彼らは見かけによらず壊れやすいから、
見守ってやってほしい。
= = = = = = = = = = = = =
ともだち
* * * * * * * *
ハヤテは食べることが大好きで、
とても人懐っこい体の大きなシェパード。
それに、まだ、誰にも認められていないが、
とっても賢い犬。
この家に来たときは、ぬいぐるみのように
小さく可愛かったので、家族全員から宝物の
ように大切され、疲れて眠くなるまで遊んで
もらえた。でも今は、邪魔者扱い、少々もて
あまし気味、一日中家から離れた檻のような
小屋の中でひとりぼっち、誰も遊んでくれな
い。
とにかく、ハヤテは食べることが好きなの
で、みるみる大きくなって、一年あまりで、
現在の大きさになった。立ちあがると大人の
女性の背丈ほどにもなるので、家の者も、相
手にするのがなんとなく面倒になったわけだ。
ハヤテがみんなから煙たがれるようになっ
てから、もう二年近くになる。家の者が、ハ
ヤテに会いにくるのは、朝と夕方の二回。ド
ッグフードを持ってくるときだけ、それも、
挨拶程度に無愛想に、ヨウとか、オイとか、
と声をかけてくれるだけで、ハヤテが食べて
る間にすぐ居なくなってしまう。ハヤテは食
べることに夢中でそのことに気づかない。だ
から、相手にしてもらったという気持ちはし
ない。
ハヤテはよく食べて大きいだけじゃなく、
よく吠えるので、家のものは、とにかく扱い
に困っていた。
やたらと吠えるわけではない。家に誰かが
訪ねてきたときに、それを知らせるときと、
見知らぬものを家の周囲に発見したとき、そ
れに、遠く離れた、まだ見ぬ犬と吠え合って
情報交換するときだけ。
でも、なにせ、体に合わせるように声も大
きい。低音で窓ガラスを振るわせるくらいに
迫力がある。だから、家のものは近所に迷惑
がかかっているのではないかと気が気でなら
なかった。
そんなわけで、ハヤテの一日は、ほとんど
がふて寝しているか、力なく横たわっている
か、寂しさに耐え切れずにクゥクゥとうなっ
ているだけだった。
クゥクゥと、うなると不思議と寂しさがま
ぎれることに、ハヤテは気づいていた。
ある日。親戚の女の子がふたりやってきた
。家の者が、
「ハヤテ、トモダチが遊びにきたよ」
と言って紹介してくれた。女の子達は十歳の
マキと八歳のユキの姉妹。
ハヤテは檻から出された。
うれしそうに走る回るハヤテに、女の子達
はさっそく命令を下した。
「ハヤテ、とまれ。」
「ストップ、ストップ。ステイ、ステイ」
「おすわり、おすわり。」
と、女の子達は,日本語と英語で交互に我先
を争うように叫んだ。
それは、もし、ハヤテが自分たちの言うこ
とを聞いてくれたら、ハヤテを自分たちが引
き取って、可愛がってあげても良いようなこ
とを、家の者と事前に話し合っていたからだ
った。
だが、ハヤテは女の子達の命令に従うよう
な気配はまったく見せなかった。あいかわら
ず女の子達の周りを走り回ったり、命令と関
係なく臥せってみたり、じゃれて飛びつこう
としたりするだけだった。
それでも、女の子達は、くり返しくり返し
命令を下した。
たまに、ハヤテが言うことを聞くと、女の
子達は満足したように、頬を緩めるが、また
すぐ、言うことを聞かなくなるので、いらだ
ち始めた。
ハヤテにとって、自由に伸び伸びて走り回
れるだけじゃなく、遊んでもらえるのも二年
ぶりだったので、とにかくうれしくてうれし
くてたまらなかった。ハヤテにとって、女の
子の命令を聞く聞かないは二の次だった。そ
れは遊びの一部に過ぎなかった。
だが、女の子達は、そうではなかった。真
剣だった。いくら、調教の仕方が、テレビで
見ただけのにわか仕立ての、稚拙で、的を得
なかったものであったとはいえ、プライドが
いたく傷つけられたような気がした。
女の子達は、相変わらず服従の意思を見せ
ないハヤテに対して、ついに怒り出した。
「ストップ、ステイ、ステイ、ストップ」
「とまれ、とまれ、ふせ、ふせ、ハヤテ、ふ
せ」
「ハヤテ、ストップ、ハヤテ、ストップ、だ
め、ちがうったら、なんどいったらわかるの」
と矢継ぎ早に、ハヤテも混乱するくらいに
命令を出し続けた。
二人の女の子はだんだん興奮してきてよく
判らなくなってきていたのだ。そして、つ
いに、ハヤテを手でぶつようになった。
体を、ときには顔を。
だが、ハヤテは少しも変わらなかった。
小さな女の子に怒鳴られたり,ぶたれたりし
ても少しも苦にならなかったからだけではな
く。マキとユキが苛立ち大きな声で叫んでも、
ハヤテにとっては、それは、雰囲気がさらに
いちだんと、にぎやかになったような気がし
て、それも、自分がとった行動のせいで、そ
うなったとなれば、なおさらやめるわけには
いかなかったからだ。しかも、女の子の小さ
な手でぶたれたぐらいは、体の大きなハヤテ
にとっては強く触られたようなもので、それ
に、顔をぶたれたのも、なでられたような気
がして、かえって気持ち良いくらいだったか
らだ。
三十分後、相変わらず自由にあっちこっち
と走り回り、飛びつき、意味もなく伏せ、時
たま指示に従うだけのハヤテに、マキとユキ
は「これで最後」と、言わんぱかりに、強く
大きい声で命令を下した。
「ハヤテ、ストップ、良い、これがステイで、
これがシッダウンよ。シッダウン、違うって
ば、ストップ、ステイ、うん、もう、ストッ
プ、もう、止め、もう、おわり、ハウス、ハ
ウス」
「だめ、もう、あきらめよう」
そう言ったきり、二人はハヤテに目をくれ
ることもなく、家の中に入って行ってしまっ
た。
残されたハヤテは何が起こったか判らずキ
ョトンとするだけだった。
翌朝、二人の女の子は自分たちの家に帰る
ために、ドアをあけて出てきた。そして、ハ
ヤテには、まったく目もくれずに車に乗り込
もうとした。
昨夜、家の中でこんな話し合いがされたこ
とを、ハヤテは知らない。
「ねえ、どうだった、ハヤテ、言うことを聞
いた?」
すると、姉のマキが笑いをこらえながら言
った。
「だめ、全然だめ.ちっとも言うこと聞いて
くれない。あれじぁ仲良くなれない。」
妹のユキがそれに付け加えるように言った。
「ハヤテってさ、もしかしたらあんまり賢く
ないんじゃないの」
家の者が答える。
「警察犬にもなるシェパードだからね。そん
なことないと思うけど。」
「もしかして、バカ犬だったりして。」
マキがそう言うと、みんな笑顔になった。
目の前を通り過ぎる女の子達を見て、ハヤ
テは二人がこれからどこに行くのかなんとな
く判った。
家の者がハヤテに言った。
「ハヤテ、ともだちが帰るよ」
突然のように、寂しさや悲しさが体のあっ
ちこっちから沸き起こってくるのを感じたハ
ヤテは、全身から搾り取るやうな声で、トウオ
ッ ムウオッ ダウオッ チウオッと、叫んだ。
車に乗り込んだミキが言った。
「と、も、だ、ち? 、、、、友達じゃない
よ」
マキが言った。
「ウオッウオッ、変な声、ちゃんと吠えられ
ないのかしら」
二人を乗せて走り出した車はあっというま
に、ハヤテに目の前から消えてしまった。
おしまい
詩集ざわめきを求めて
(2004年5月以降)
* * * * * * * *
ふりかえれば、すぐそこのような気がする
もし、いま戻れば、間に合いそうな気がする
でも、時間はけっしても戻ることは出来ない
- - - - - - - - - -
XX岳
あそこに見えるのが五十年前、父が造った
国道XXX号線
幼いころ、母の胸に抱かれて聞かされたのだから
きっと見えるはず、英雄のような父の姿が
もし光が旅をするなら
- - - - - - - - - -
西の空が夕映えに染まるとき
何かに呼び寄せられたかのように、部屋を出て
自転車にまたがり、あてもなくさまよい走る
その寂しく賑わう黄昏の町を、そのはずれまで
当然のごとくわたしは道に迷い
見知らぬ薄暗い森にたどり着く
そして、わたしを待っていたかのように
ヒグラシがいっせいに鳴きだす、あのときのように
あのときのように悔恨の森に鳴り響く
目に見えない煙が立ちこめ
匂いのしない香りが漂う
そして 西の空は、
母を焼き尽くした炎のように
さらに赤々と燃え上がる
だれかわたしをここから救い出してください
- - - - - - - - - -
百億年後、二百億年後、
宇宙が再び造りかえられても、
あなたには会えない。
そしてわたし自身にも。
- - - - - - - - - -
西の山々が夕陽に染まると
狼に狙われた小鹿のようにあせり混乱する
一日が過ぎると、また一日あなたと会えることから
遠ざかっていくような気がするからです
どんなに願っても過去に戻ることなんかできないのに
雪解け水が
あなたが耕し続けた水田を満たしたあと
いま、目の前を音を立てて流れている
何者でもないある男の母の死が
男を子供のように寂しがらせ悲しませ
罪人のように後悔させ苦しませ
そして、廃人のように狂気に駆り立てる
男は頻繁に渇きを覚え水を飲むが
どんなに飲んでも決して癒されないことを知る
やがて男は自分がXX地獄に落ちたことに気づく
- - - - - - - - - -
母親とはぐれ、道に迷い、途方に暮れ
森に迷い込んだ幼な児が泣いているというのに
なぜあなたがたは助け出そうとしないのですか
- - - - - - - - - -
ざわめきを求めて
グランドは春の小雨に煙っている
三十年前と少しも変わっていない
その舗装道路の荒れぐあいも
いま目の前の、機械工学科棟に入って
エレベーターに乗って四階行きのボタンを押しても
そのなれた手つきにだれも部外者だとは疑わないだろう
すべてはまるで昨日のことのようだ
でもドアのガラスに映る顔は確実に中年のそれだ
わたしの子供のような学生が歩いている
みんな屈託なく満ち足りているようだ
どことなく、幸せのあまりか、
笑みを浮かべているようにさえ見える
ゆっくりと通り過ぎる家並
そっくり昔の姿で、
または少し形を変えて残っているものもあるが
跡形もなく消え去っているものもある
その残っているものもほとんとどが
人の住まない廃屋となっている
XX川は谷深く冷たく音を立てて流れている
あのころはこんなにも寂しい川ではなかったはずだが
いったいわたしのなにが変わったというのか
この際消えたいものはみんな消えてしまえば良いのだ
あのころ抱いていた夢や希望は
これが本当にひとりで歩くということなのか
そして、今、過去を大事にしてこなかった
ものへの刑罰が下る
百年たっても今日と同じように
川は流れているだろう
風景は少しはその形を変えながらも
面影は残しているだろう
でも、この目の前の町並は跡形もなく
消え去っているにちがいない
そして、人々の記憶からも消え去っているだろう
わたしは今まで色んな所を歩いてきたが
あまりにも多くの、二度と会うことのない
風景を残してきた
みんな懐かしく忘れることはできない
どんなに急いで歩き回っても、
どんなに速足で走り回っても
すべての風景を目の前にとどめておくことはできない
そうしたいなら、
わたしは一生歩き続けていなければならないだろう
もしかしたらわたしは、
このままずっと独りで歩いていたほうが
良いのかも知れない
そうすればいつの日か、きっと風になり
いつでも好きなときに、自由にどこにでも行って
会いたい風景と人々に会えるにちがいないから
- - - - - - - - - -
XX寺
東の山に、子供のころからずっと見ていたのだから
きつと西の野に見えるはず。畑仕事をする母の姿が
もし光が旅をするなら
- - - - - - - - - -
路上ライブ
この町で一番大きなデパートの角を曲がると
突然のように歌声が響き渡る
昼間でさえ人通りが少なく
夜になるとさらにまばらになる
この退屈しかけた通りに
かつて渋滞するほど車が行き交い
歩道にはあふれんばかりの人々で
賑わっていたこの通りに
どんなに煌々と光を放っていても
寂しさを隠しきれないこの通りに
二人の少女は歌い続ける
ときおり通る人々も立ち止まることはない
それでも少女たちは歌い続ける
親子連れが通り過ぎるが、
相変わらず関心を示さない
だが、果たしてそうだろうか
響き渡る少女たちの歌声が
この夜の空間を充実させ活性化するからだ
見よ、さきほど通り過ぎた少年が
なんどもなんども振返って見ているではないか
その親たちも今夜の偶然の出会いを
決して忘れることはないだろう
少女たちの抱えきれぬ不安や孤独を
あたかも自分のことのように思うものは
そこから離れて薄暗い路地に入ったとたん
なぜか溢れ出す大粒の涙を止めることができない
少し離れたところで客を待つタクシードライバーは
かすかに響く歌声を耳にしながら
不思議にも通りが息を吹き返していることに気づき
かつてのように人ごみで賑わうことを夢見る
わたしたちがやることで無意味なものは何もない
こんなにもいたるところに真実があふれ
真実だらけのこの世界に
雨上がりの水溜りを好んで歩こうとする
幼児の行為は無意味だろうか
炎天下のもと、猛スピードで走り抜ける車のわきで
草取りをする老人のように
どんなにからかわれても、作業の手を休めて
移り変わる四季の雲を眺め続ける
青年の行為は無意味だろうか
もう子供じゃないんだからとなんど言われても
毎日わが子を見送り続ける母親のように
駅前の人工池に流れ込む小川のせせらぎや
ペットショップから聞こえてくる小動物の鳴き声が
だれの耳にも届かないことがあろうか
夕方、ブランコのきしむ音や子供たちのはしゃぎ声が
住宅街に響き渡るように
身のまわりにあるもので
わたしたちと関わりのないものは何もない
道端の石ころや名もない小さな花が
トタン屋根に鳴り響くにわか雨の音が
なにもわたしたちに与えないことがあろうか
大人たちから与えられるだけで、
なにも与えていないかのように見える
子供たちのように
やがて少女たちの姿は見られなくなるだろう
だが、彼女たちの歌声を一度でも耳にしたものは
この通りを通るたびに、聞こえない歌が
いつまでも響き渡るのを聞くだろう
屋根が風に壊れ、柱がさび付き、通りが完全に朽ち果て
往時の名残をとどめなくなるときまで
何故なら少女たちの歌声がこの通りに記憶され
この通りの秘密の宝になっているから
そして少女たちの歌声は忘れ得ぬ思い出のように
人々の心に行き続け、何気なく語り続けられ
いつの日かきっと、他のだれかの姿を借りて
少女たちの夢が結実するだろう
何故ならわたしたちは目に見えないところで
深く結びつきあっているのだから
反正義
穏やかに日が暮れようとしている。
今日は朝から澄み切った青空がどこまで
どこまでもひろかっていた。
公園では幼子たちがはしゃぎまわっていた。
近くのパン工場からはその香ばしい匂いが
風に乗って漂っていた。
そして今、
子供のころに見たような夕焼けが広がっている。
何の不満も何の不安もなく
穏やかに日が暮れようとしている。
太平洋の端に浮かぶ、
こんな小さな島国の平和、
そしてこんなにもありふれた小さな幸せ。
でもはたしてこれでいいのだろうか?
あの美しすぎる夕焼けの向こう側の遠い
遠い国では
極北の狂気が、その極北の狂気による
反正義が渦巻いている。
そしてその反正義は
建物を生き物を思想を愛を、
地上のあらゆる生命活動を
破戒し続けている。
銃を抱えた兵は老いた者たちを
いたわる娘たちを脅している。
戦車は抗議する男たちを
蹴散らし踏みつぶしている。
砲撃は食べ物を分け合う家族を
家ごと吹き飛ばしている。
そしてミサイルは
母たちとその幼子たちを容赦なく破壊する。
彼らの血しぶきと肉片をまき散らしながら
この惨状を眼の前にして、
はたして人類は存続するに意義を
見出すことができるだろうか?
我々はもはや究極の覚悟を
決断することに迫られている。
2022/12/25